第五話
とある街のイブ風景。微かに流れてくるクリスマスソング。それを耳にした人々の五つの小さな物語。
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井郷千一郎は田所進の斜め向かいの病室ベッドで酸素マスクを装着し、眠っていた。井郷に身寄りはなかった。幸い病状は回復の兆しを見せ、医師は「峠は越しました…」と女性介護士の新谷へ静かに告げた。井郷はウトウトと浅い眠りの中で夢を見ていた。そんな井郷の夢の中で、微かにクリスマスソングが聞こえた。妻・・子・・家族が笑ってキャンドルが灯るケーキを囲んでいた。その中に若い井郷もいた。事故は一瞬だった。車はガードレールにぶつかり、転倒。生き残ったのは井郷一人だった。
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「大丈夫でしょうか、先生?」
「ははは…峠は越したと言ったじゃないですか。朝には意識が戻りますよ」
医師は新谷へ静かに告げた。井郷の意識はすでに戻っていた。井郷は夢を見ていた。
「ありがとうございました」
医師は軽く頭を下げると出ていった。
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翌朝、井郷は射し込む陽の光で目覚めた。
「気がつかれましたか。もう大丈夫ですよ」
傍らには看護師と新谷がいた。看護師は静かに酸素マスクを外した。
「私、…眠ってたんですか?」
「えっ? はい、まあ…。昏睡状態で来られたんですが…」
「そうでしたか…」
それ以上、井郷は返せなかった。夢を忘れたくなかった。亡くした家族に会えた素晴らしい夢だった。天からの無形の贈り物に思えた。
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その一年後、井郷は病院近くの街並みを歩いていた。どこからか、微かにクリスマスソングが聞こえた。聞き覚えがある曲だった。
「…あの曲だ」
夢で聞いた曲だった。井郷は一年前の夢を想い出していた。瞼を閉じれば、家族がいた。少し、幸せな気分がした。
THE END
※ 五話完結のオムニバス短編小説でした。