第一話
とある街のイブ風景。微かに流れてくるクリスマスソング。それを耳にした人々の五つの小さな物語。
[1]
忘れ去られた公園に朽ちかけたベンチがあった。瀬山里沙は、その冷え切ったベンチへ腰を下ろした。凍てつくほどではなかったが、外気の冷えは手先を悴ませた。どこからか、微かにクリスマスソングが聞こえた。里沙は、ダッフルコートのポケットへ両手を忍ばせ、見回すようにその聞こえる方角をさぐった。ああ・・こっちだわ。そう思えた方角から初老の男、戸崎英一が近づいてきた。射す外灯の斜光が男の輪郭を鮮明に映し出した。身の危険。里沙が一瞬、躊躇して立ち去ろうとしたそのとき、戸崎が声をかけ、ベンチへ座った。
「誰か…お待ちですか?」
「いえ…」
腰を上げかけたが、里沙はそのやさしげな声に座っていた。
「いやあ~、冷え込んできましたね」
「ああ、はい…」
ベンチの両隅に戸崎と里沙はいた。
- - - - - - - - - - - - - - - -
一時間ほど前、事務所の里沙の携帯が鳴った。
「俺さ、ちょっと今日は行けなくなった。…ごめんな」
「そうなの? …仕方ないわね。じゃあ…」
言葉は快活に返したつもりが、里沙の顔は笑っていなかった。不満が鬱積していた。秀人と里沙は二年ほど前に、とある街角で出会った。それからの付き合いだったが、数カ月前、その出会いは秀人の仕掛けだと分かった。ほろ酔いの秀人自身が、気の緩みから暴露したのだ。それから二人の仲は、ぎくしゃくした。そして・・クリスマスの夜がきた。
- - - - - - - - - - - - - - - -
一時間ほど前、街路を歩く戸崎の携帯が鳴った。戸崎は配送会社で最後の伝票を書き終え、帰途の途中だった。今夜は久しぶりに別れた妻の美咲と食事をする約束をしていた。上手くすれば元の鞘に・・と、戸崎は将来に僅かな望みを持っていた。だが、離婚後の美咲は堕落し、水商売にドップリと浸かっていた。
「ごめん、行けなくなったわ。客がシツコイのよ、ごめんね~。また、この次ねっ」
美咲のほろ酔い加減の声がした。
「もういい!」
戸崎は怒りの返事で携帯を切った。美咲に腹が立ったというより、望みを抱いた愚かな自分が無性に腹立たしかった。戸崎と美咲は社内結婚をし、一時は人も羨む幸せな結婚生活を送った。それが数ヶ月前、ひょんなことで美咲に男が出来た。それから二人の仲は、ぎくしゃくした。そして・・クリスマスの夜がきた。
- - - - - - - - - - - - - - - -
「よかったら、お茶でも飲みませんか? 私も一人なもんで…」
戸崎は遠慮気味に里沙へ声をかけていた。
「えっ!? ああ、いいですよ」
鬱積した里沙の気持がOKを出した。二人は静かにベンチを立つと街明かりの方角へと歩き出した。
しばらく二人が歩いていると、前方にモンブランと書かれたネオンが瞬いていた。そのとき里沙は何を思ったのか、フフフ…と笑った。戸崎は訝しげに里沙の顔を見た。
「ごめんなさい。私、モンブランが好物なんです」
「モンブラン…ああ、スイーツですか」
「ええ。偶然ってあるんですね」
「ははは…。ですね。この通りは初めてでしたか」
「そうなんです…」
二人は、いつの間にかすっかりうち解けていた。賑やかな人の群れがクリスマスを楽しんでいた。酔っ払いや二人連れ、それに家族連れの姿もあった。二人はモンブランの入口を潜った。偶然なのだろうが、他に客は、いなかった。
「何にしましょう?」
店内に女気はなく、髭モジャの店主兼店員が一名いるだけだった。髭モジャは水コップを二つ置くと低い声で訊ねた。
「ああ・・僕はアメリカン。君は?」
「カフェオレを…」
髭モジャは頷くとニタリと意味深に笑い、去った。
「なんか勘違いしているようですね」
戸崎は髭モジャが誤解して、二人のよからぬ関係を思ったんじゃ…と思った。
「ですよね…」
「今日、本当は飲みたい気分なんです」
「えっ? 私も…」
「そうなんですか、ははは…。実はツレにヒジテツくらいましてね。ほんとなら今頃、楽しんでるんでしょうがね」
「私もヒジテツなんです。待ち合わせてたんですが…。もう別れるから、いいんです」
里沙はふっ切ったように言い切った。
「ははっ、同じだ」
「お待たせ…」
髭モジャが割って入るようにやってきて、アメリカンとカフェオレを置いた。
「ごゆっくり…」
髭モジャはレシートを置くと、また意味深に笑って去った。戸崎は軽く咳払いをすると、話を続けた。
「いや~、偶然ってあるんですね。それに、こう重なると少し怖いですよね」
「はい…」
里沙は戸崎に運命的なものを感じていた。戸崎もまたそうだった。
「よかったら、またお会いできませんか」
里沙には断る理由がなかった。
その一年後・・クリスマスの夜、二人は教会で結婚した。どこからか、微かにクリスマスソングが聞こえた。
THE END