追放聖女は偽りの平民騎士に溺愛される
辺境の村に流れ着いて三ヶ月が経った。
リディアは今日も小さな露店で薬草を売っていた。王都にいた頃の華やかな聖女の衣装は、今やすり切れた麻の服に変わっている。
「あの、この薬草をください」
声をかけてきたのは、見慣れない青年だった。黒い髪に深い青の瞳。整った顔立ちだが、着ている服は安物の騎士見習いの制服だ。
「これは傷薬に効く薬草ですよ。どうぞ」
リディアが薬草を手渡すと、青年はほっとした表情を浮かべた。
「助かります。実は昨日、魔物に襲われて……あの、もしよければ手当てをお願いできませんか」
青年の脇腹から血が滲んでいた。
リディアは慌てて店を閉め、青年を自分の小屋へ連れて行った。狭くて粗末な部屋だが、薬草を調合する道具だけは揃っている。
「失礼します」
リディアが青年の服をめくると、深い裂傷が目に入った。普通の薬草では治らない。
どうしよう。私の聖女の力は、あの日失われたはず――。
「王都の聖女様は、光で傷を癒すことができるそうですね」
青年が苦しそうに笑った。
「でも、あの方は最近追放されたと聞きました。『偽物の聖女』だったとか」
リディアの手が止まった。
偽物――そう、私は元婚約者である第一王子エドワードと、新しい聖女として現れたセリーナに、そう罵られた。
『お前の力は本物の聖女の足元にも及ばない』
『偽物のくせに聖女を名乗るな』
婚約破棄の上、王宮から追放された。慰謝料として持っていた財産の全てを没収され、着の身着のままで放り出された。
「……私は、ただの薬草売りです」
リディアは震える手で薬草の調合を始めた。でも、この傷では――。
青年の呼吸が荒くなってきた。顔色が悪い。このままでは命に関わる。
リディアは決意した。
もう一度だけ。もう一度だけ、あの力を――。
手を傷口にかざすと、かすかな光が灯った。弱々しい光だったが、確かに傷が塞がっていく。
「これは……」
青年が驚いた目でリディアを見つめた。
「あなた、もしかして――」
「違います」
リディアは慌てて手を引っ込めた。
「私は聖女なんかじゃありません。ただの……偽物です」
涙が溢れた。自分でも驚くほど、涙が止まらなかった。
青年は何も言わずに、リディアの頭をそっと抱き寄せた。
「泣かないでください。あなたが偽物なんかじゃないことは、僕が一番よく知っています」
その優しい声に、リディアはさらに泣いた。
それから、青年――アレクと名乗った彼は、リディアの小屋に通うようになった。
「今日も魔物退治ですか」
「ええ。辺境は魔物が多くて大変です」
アレクは爽やかに笑う。騎士見習いとして、村の警備をしているらしい。
リディアは彼のために傷薬を調合し、時々こっそりと治癒の光を使った。
「リディア様は優しいですね」
「様なんて、やめてください。私はただの平民です」
「それは僕も同じです」
アレクが微笑んだ。その笑顔が、リディアの凍りついた心を少しずつ溶かしていった。
ある日、アレクが言った。
「リディア、僕と一緒に来てくれませんか」
「え?」
「僕の故郷に。あなたのような優しい治癒師が必要なんです」
リディアは迷った。でも、アレクの真剣な眼差しに、頷いていた。
「はい。私でよければ」
二人で村を出ようとした時、それは起きた。
「見つけたぞ、偽物聖女!」
エドワードとセリーナが、大勢の兵士を引き連れて現れたのだ。
「リディア、お前を連れ戻しに来た」
エドワードが傲慢に言った。
「セリーナの聖女の力が思ったより弱くてな。お前の力が必要だ。戻って王宮で聖女の真似事を続けろ」
「な、何を……」
「無論、報酬は出す。月に銀貨十枚でどうだ」
リディアは呆れた。自分を追放しておいて、今更戻れと?しかも銀貨十枚?王宮にいた頃の百分の一以下じゃないか。
「お断りします」
リディアがきっぱりと言うと、エドワードの顔が歪んだ。
「偽物の分際で生意気な!ならば力ずくで――」
その時、アレクがリディアの前に立ちはだかった。
「彼女に手を出すな」
「騎士見習いの分際で王子に逆らうか!」
エドワードが剣を抜いた瞬間、アレクの周りの空気が変わった。
圧倒的な威圧感。
兵士たちが一斉に膝をついた。
「ア、アレクシス様!?」
エドワードが青ざめた。
「隣国第一王子、アレクシス・レオンハート。リディア・エルフィードは我が国の客人だ。手を出せば、それは我が国への宣戦布告と見なす」
アレクの――いや、アレクシスの声は、凛として揺るがなかった。
「き、貴様、正体を隠して――」
「互いに身分を隠していただけだ。彼女は追放された身。僕は敵国の王子。それが何か問題でも?」
アレクシスはリディアの手を取った。
「リディア。君が望むなら、僕の国へ来てくれ。そこで、本物の聖女として――いや、僕の妃として迎えたい」
リディアは驚いて目を見開いた。
「で、でも私は……」
「君は偽物なんかじゃない。僕の傷を癒してくれた。僕の心を癒してくれた。それが何よりの証拠だ」
アレクシスの青い瞳が、真っ直ぐにリディアを見つめていた。
「僕は君を愛している。身分も過去も関係ない。ただ、リディアという一人の女性を愛している」
涙が溢れた。でも今度は、悲しみの涙じゃなかった。
「私も……私もアレク様を……」
「アレクでいい。僕たちは対等だ」
アレクシスはリディアを優しく抱きしめた。
エドワードとセリーナは、何も言えずに立ち尽くしていた。
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それから半年後。
リディアは隣国の王太子妃として、盛大な結婚式を挙げた。
彼女の治癒の力は、アレクシスの国で「奇跡の聖女妃」として称賛された。
式には、エドワードとセリーナも「招待された」。
「まさか、あの偽物が……」
セリーナが悔しそうに呟いた。彼女の聖女の力は、結局大したことがなく、今ではただの貴族令嬢に戻っていた。
エドワードは、リディアを見つめていた。今更ながら、自分が何を失ったのか理解したようだった。
でも、もう遅い。
リディアの隣には、彼女を世界で一番愛してくれる王太子がいる。
「リディア、幸せか?」
アレクシスが優しく微笑んだ。
「はい。こんなに幸せでいいのかと思うくらい」
「なら、もっと幸せにしてみせる。君が笑っていてくれるなら、僕は何でもする」
アレクシスはリディアの手に口づけた。
その光景を見て、エドワードとセリーナは顔を歪めた。
追放した聖女が、自分たちよりも遥かに高い地位と、真実の愛を手に入れた。
その事実が、何よりも彼らを苦しめた。
リディアは、もう振り返らなかった。
過去の痛みは、アレクシスの愛で全て癒された。
「愛しています、アレクシス」
「僕も愛している、リディア。永遠に」
二人は深く口づけを交わした。
辺境の村で出会った二人は、互いに身分を隠していたからこそ、真実の愛を見つけることができた。
そして今、彼らの未来には、幸せしか待っていなかった。
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