忘却の駅
最終列車が行ってしまった。
それが分かったとき、疲れた身体がじーんと沈むような落胆を感じた。
もう月が中天に達している。
全てを諦めて駅の前のベンチに座った。今夜はまだ、涼しいだけで、ここで一晩明かしても平気そうだった。
駅の広場をぼうっと見つめていると、1人の男がベンチの隣に座ってきた。
夜に似合わぬ明るい青い髪をした、今時の若者らしい男だ。
「最終行ってしまった感じですか?」
意外にも穏やかな声をしていた。だからかもしれないが、特に警戒もせず答えた。
「あぁ、そうだ。まいったよ」
青い髪の男は、朗らかな口調で言った。
「この駅、僕もよく来るんですよ。いつも何かを忘れるんです」
男の言葉で思い出した。この駅は、忘却の駅、何かを忘れた人が辿り着く場所だと。
胸がざわついた。
何も忘れたことなんてないからだ。
忘れたものを思い出さないと、この駅から帰れない。
「何が忘れたか、分からない感じですか?」
青い髪の男が心配そうに尋ねる。
「あぁ、そうだ。参ったよ。どうしよう」
俺は頭を抱えた。
「仕事、家族、恋人、友人、昔持っていた宝物、なんでもいいんです。何かないですか」
「そうは言っても……」
仕事は順調だし、家族仲もいい、友人も最近はよく会ってる。
昔持っていた宝物?
宝物?
「あ」
青い髪の男が嬉しそうに尋ねる。
「何か思い出しましたか?」
俺は夜空を見上げながら答えた。
「昔、大切にしていたおもちゃを失くしてしまって、親にもう一回買って欲しいってお願いしたんだ。結局ダメだったんだけど、あのとき約束したんだ。いつか、もう一度あの子を迎えに行くって」
思い出すのは、トイストーリーみたいな人形。いつもどこでも、その人形が側にいた。
青い髪の男はふっと笑った。
「それが、あなたが失くしたものなんじゃないですか」
疲れた頭は、誰かの呼び声を捉えて、急かしていた。
「そうかもしれない」
「じゃあ、もう答えは分かっていますね」
青い髪の男は、掌を俺の目の上に当てた。不思議と抵抗しなかった。それが自然なように感じた。
「おやすみ、良い夢を」
その言葉を最後に、青い髪の男は消え、涼風だけが残った。
ベンチから立った。
約束を果たす場所に戻るために。