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第2話:「森の出会い」

第2話:「森の出会い」


朝日が昇る前、まだ空が淡い藍色に包まれている頃、ルナは静かにアルカディア大聖堂を後にした。銀色に輝く長い髪を一本に束ね、着慣れぬ旅装束に身を包んだ彼女の姿は、かつての清楚な聖女の衣装ではなく、ひとり旅立つ冒険者のようだった。腰にはヘンリー大神官から贈られた「光の水晶」が揺れ、その柔らかな光が薄闇に微かに瞬いている。肩には最低限の荷物を詰めた小さな鞄が掛かっていた。


「光よ、どうか私の道を照らしてください」ルナは静かに祈り、白樺の杖を頼りに一歩ずつ大地を踏みしめた。目に映る景色はないが、彼女の心はこれまでの閉ざされた世界から解き放たれ、見えない光の道標に身を委ねていた。


涼やかな朝の風は彼女の頬をそっと撫で、小鳥のさえずりが森の入り口へと続く道を彩った。通りの石畳には朝露が輝き、その冷たさが杖を通して手に伝わる。遠くの市場からは早朝から始まる生活の活気が小さく聞こえてくる。その新鮮な感覚に、時折ルナは心の底から湧き上がる期待と、未知の世界への不安が交錯するのを感じていた。


彼女の耳には、朝の空気を切り裂くように鐘の音が聞こえた。大聖堂の朝の祈りの時間だ。今頃、ヘンリー大神官は彼女の不在に気づいているだろうか。昨夜、枕元に残した手紙で旅立ちの理由を伝えておいたが、それでも心配をかけることは間違いなかった。


見知らぬ街で迷わぬよう、ルナは慎重に歩みを進める。周囲の気配を感じ取りながら、通りで出会った人々に声をかけた。「すみません、暗影の森への道を教えていただけませんか?」しかし、まだ早朝のため人通りは少なく、応答は得られなかった。ひとり心細くなる瞬間、それまで静かだった石畳の上に、重い足音が近づいてきた。


「暗影の森?そんな危険なところに、一人で行くのか?」


低く渋い声がそう告げた。現れたのは、鋭く緑の瞳を持ち、黒髪が風に乱れる傭兵、レイヴン・ブラックウッドだった。左頬に刻まれた傷が彼の経験を物語り、無骨な外見ながらも頼もしさを感じさせる。革の鎧は使い込まれた風格があり、腰に下げた剣の柄は幾度もの戦いを経てきたことを示していた。


ルナは恐る恐る、自分が大聖堂の者であることは伏せて旅人だと名乗った。盲目であることを隠すように、彼女は杖に寄りかかりながらも、レイヴンの立つ方向を正確に捉えていた。


レイヴンは半信半疑の表情で彼女を見つめた。「目が見えないのか?」と彼が訊ねると、ルナは小さく頷いた。彼は長い沈黙の後、重い口を開いた。


「あの森はただの森じゃない。闇の力が巣食い、奇妙な生き物が徘徊している。昼なお暗く、迷いやすい場所だ。盲目の者が護衛なしで行くのは無謀だ」


「あなたは傭兵と伺いました。声の響きで分かります」ルナは柔らかに微笑んだ。「護衛をお願いできませんか?報酬はお支払いします」


ルナの青い瞳に秘められた強い決意を見て、レイヴンは一瞬ためらいながらも、やがて曇りのない同意を示した。「わかった。俺も用事がある。道中は面倒見る。だが、無理はするな」


二人は未知なる森を目指し、歩みを進めた。王都アルカディアの東門を出ると、舗装された道は次第に細くなり、周囲の景色は開けた農地から野生の草木が生い茂る荒野へと変わっていった。道は徐々に険しくなり、周囲の木々は密になり、日差しすら遮っていた。


「ここからが暗影の森の入り口だ」レイヴンが低い声で告げた。「杖だけでは歩きづらいだろう。手を貸そうか?」


ルナは感謝の言葉を口にしながらも、「大丈夫です。私は感覚が鋭いんです」と答えた。確かに彼女は、周囲の気配を敏感に察知しているようだった。


森へ入るとすぐに、空気は湿り気を帯び、音の響き方も変わった。鳥の鳴き声は少なくなり、代わりに昆虫の羽音や、遠くで響く不思議な鳴き声が聞こえてきた。ルナは時折立ち止まり、周囲の「心の光」を感じ取っていた。生命の輝きは確かにあるが、どこか暗い影に覆われているようだった。


やがて、明るい声が森の奥から響いてきた。


「あら、珍しい訪問者ね!」


それは赤い巻き毛を揺らし、琥珀色の瞳を輝かせた若い女性、フィア・ルミエールの声だった。彼女は森の闇と光のバランスを研究する古代魔法の学者であり、奇妙な水晶の装置を手に計測をしていた。その装置は淡い光を放ち、周囲の闇のエネルギーを可視化しているようだった。


フィアの服装は実用的ながらも、鮮やかな赤と金の刺繍が施された上着と、動きやすいズボンという、どこか学術的な雰囲気を漂わせていた。首には古代の魔法書から抜粋したと思われる符丁が刻まれた護符を下げている。


フィアはすぐに二人に気づき、満面の笑みで迎え入れた。「一緒に行きませんか?この場所は危険だから、大人数の方がいいわ。あなたたちも『古の泉』を探しているの?」


レイヴンは眉をひそめた。「『古の泉』?そんなものを探しているわけじゃない。ただ、この森の奥へ行きたいだけだ」


「そう、残念ね」フィアは肩をすくめた。「でも、この森の奥に行くなら、私の知識が役立つわ。私はフィア・ルミエール、古代魔法の研究者よ」


ルナは優しく微笑んだ。「私はルナ。そして彼はレイヴン。一緒に行けたら心強いです」


三人は協力して、さらに深き暗影の森へと入っていった。湿った空気と息づく生き物の気配が、都の喧騒とは全く違う次元を作り出していた。森の中は薄暗く、古の樹々が天を覆い隠しているため、光は僅かにしか届かない。木々の間から漏れる光の筋は、まるで別世界への入り口のようだった。


歩きながら、ルナはフィアに尋ねた。「光と闇の力について教えてください。あなたが研究しているものですよね?」


フィアは目を輝かせながら熱心に答えた。「この世界では光は生命や希望、癒しをもたらし、闇は恐怖や絶望、破壊をもたらします。けれど、本当の真実は違うの。どちらも必要な力であり、バランスを保つことで世界は成り立っているの。最近、そのバランスが崩れ始めているの。だから研究しているのよ」


彼女は手にした装置を見せた。「これは闇と光のエネルギーを測る装置。この森は本来、両方のエネルギーが調和しているはずなのに、最近は闇のエネルギーが強くなっているわ」


レイヴンは黙って聞いていたが、時折周囲を警戒する目を光らせていた。「話は後だ。気配がおかしい」


彼の言葉通り、不気味な静寂が森を包み始めた。鳥や虫の声が突然途絶え、風さえも止まったかのようだった。三人は剣と魔法を構えて警戒を強めた。レイヴンは長剣を抜き、フィアは指先に炎の魔法を宿らせた。


そこに突然、黒い霧のような魔物が木々の間から襲いかかってきた。その形は絶えず変化し、触れるものから生気を奪っていくようだった。レイヴンの剣が霧を切り裂くが、すぐに元の形に戻る。フィアの炎の魔法も一時的に霧を押し返すだけで、完全に退けることはできなかった。


「これは闇のエネルギーが実体化したもの!通常の攻撃では効かないわ!」フィアが叫んだ。


緊迫の戦いの中、ルナは静かに「光の水晶」を手に取った。彼女の手の中で水晶が明るく輝き始め、彼女の祈りの言葉とともにその光は強さを増していった。


「光よ、闇を照らし、生命を守りたまえ」


その言葉とともに、水晶から眩い光が放たれた。その光は闇に包まれた森の空気を切り裂き、黒い霧の魔物は光に触れるとシューッという音を立てて消えていった。


光が収まると、三人は息を整えた。フィアは驚きの表情でルナを見つめていた。「すごい力ね。あなた、ただの旅人じゃないわね?」


ルナは小さく頷いたが、詳しい説明は避けた。「私には光の力が少しだけ授けられているのです」


戦いを終えた後、さらに奥へと進む一行は、古い倒木の陰で倒れている男を発見した。金髪と青い瞳を持つその男は、王家の紋章が刻まれた鎧を身につけていた。王家の騎士オリヴィエ・ノワールだった。


彼の「心の光」は弱まり、体は疲弊していた。ルナは彼の傍らに跪き、そっと額に手を当てた。「心の光が弱っています。闇にほとんど侵食されかけています」


彼女は再び「光の水晶」を取り出し、静かに祈りを捧げた。水晶の柔らかな光がオリヴィエを包み込み、彼の顔色が少しずつ戻っていった。やがて、彼は弱々しく目を開いた。


「ありがとう...あなたは...」彼は言葉を切った。「待て、あなたは大聖堂の...」


レイヴンが割って入った。「何があった?なぜ王家の騎士がこんな場所に?」


オリヴィエは身を起こそうとして痛みに顔をゆがめた。「王命により、この森の調査に来たのだ。最近、王都で発生している奇病の原因を探るためだ」


彼は森の奥を指さした。「奥に古い廃城がある。そこから闇の力が漏れ出しているようだ。調査しようとしたが...あの黒い霧に襲われた」


「廃城?」フィアが食い入るように尋ねた。「古代の魔法文明の遺跡かもしれないわ!」


オリヴィエは頷いた。「古い記録によれば、かつてこの地にあった古代王国の城跡だという。しかし、最近になって活性化したようだ」


4人は夜が迫っていることを感じ、その場で休息を取ることにした。フィアが集めた薬草でオリヴィエの傷を手当てし、レイヴンが小さな焚き火を起こした。


夜空の星明かりの下、火を囲みそれぞれの思いを語り合う4人。レイヴンは過去について多くを語らなかったが、傭兵として生きてきた日々の一端を話した。フィアは古代魔法への情熱と、失われた知識を復元したいという夢を熱く語った。オリヴィエは王国への忠誠と、最近の不穏な状況について懸念を示した。そしてルナは、自分の見る「心の光」のことと、この旅に出た理由のほんの一部を打ち明けた。


焚き火の炎が揺らめく中、運命の糸が静かに絡み合い、これから始まる試練を予感させた。夜風が彼らの髪を優しく撫で、明日への決意を新たにしていた。


翌朝、一行は廃城へ向かう準備を整えた。オリヴィエの体調も回復し、彼は王家の騎士としての誇りを取り戻していた。


「城の近くまで案内しよう」オリヴィエは言った。「だが、あの闇の霧は厄介だ。普通の武器では太刀打ちできない」


フィアは思案顔で言った。「私の魔法も一時的な効果しかなかったわ。でも、ルナの光の力なら…」


「私にできることならなんでも」ルナは静かに頷いた。「人々の心の光を守るために」


レイヴンは無言で剣を手入れしながら、時折ルナを見つめていた。彼の緑の瞳には警戒と同時に、どこか好奇心のような感情が宿っていた。


廃城への道は険しく、木々はさらに密になり、光はほとんど届かなかった。オリヴィエの先導のもと、四人は慎重に進んだ。やがて、木々の向こうに古びた石造りの建物が見えてきた。かつての栄華を思わせる建築様式だが、今は崩れ落ちた壁と蔦に覆われた柱だけが残っていた。


「ここが廃城か」レイヴンが低く呟いた。「確かに、ただならぬ気配がする」


フィアは手にした魔法の装置を確認しながら言った。「闇のエネルギーが強すぎるわ。この装置では測定できないほど」


城の周囲には黒い霧が渦巻き、中に入ろうとする者を拒むかのようだった。ルナは「光の水晶」を握りしめ、その気配を感じ取っていた。


「この城の奥には、何か大きな秘密が眠っている。でも、今はまだ…私たちの力では立ち向かえないかもしれません」


オリヴィエが頷いた。「私も同じ考えだ。まずは霧の谷で古代の知恵を探るべきだろう。伝説によれば、光と闇について多くの知識が眠っているという」


フィアが目を輝かせた。「霧の谷!それは古代魔法の研究には外せない場所よ!」


レイヴンは一度廃城を見つめてから言った。「ここは一度引くか。霧の谷で情報を集め、次の一手を考えよう」


四人は廃城から離れ、森の中で夜を明かした。翌朝、彼らは新たな目的地、霧の谷へと向かうことを決め、暗影の森を後にした。ルナの心には、いずれ廃城の謎に挑み、闇の力の源を突き止めるという決意が芽生えていた。


「光よ、私たちを導きたまえ」ルナは静かに祈り、旅の続きに心をはせた。彼女の心の中で、「光の水晶」が静かに共鳴するのを感じたのだった。


(つづく)

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