7話 綺麗、だと思います
カッコよく勝利宣言して全て解決!ってならないのが現実の辛いところだとおもう。
勝利の対価というか事後処理というのか、様々な問題が残ってしまう悲しさがある。
僕の腕が銃になってしまっている件とか、家に穴が空いた件とか、鬼熊の死体処理とか。
あーギャグ漫画みたいにフェードアウトして何もかもが元どおりとかになってたらいいのに。
「ところでマスター、この腕みてどう思います?」
僕はシューターモードのままの右腕をマスターに見せる。
「太くて硬くて黒い。そして雄々しい」
「……」
マスターの頭上にめがけて一発銃弾を発射する。
「危な! 何するんだサチ!!」
「セクハラを感じたので」
「セクハラではない、率直な感想を述べただけだ」
「疑わしきは射殺せよです」
「物騒すぎるだろ」
「まーともかく僕の腕を元に戻したいって話なんですよ」
「あーこのモゲた手首をくっつけたら治るんじゃないのか」
そう言ってマスターは落ちていた僕の手首を拾い上げた。
そのまま僕に渡してくれるのかと思ったが、何やら様子がおかしい。
マスターは手首をジッと取り憑かれたように見つめている。その横顔は、ただ感心しているというより、何か複雑な感情を押し殺しているようにも見えた。
「どうしたんですか」
「こう……サチの手首をみていると……なんていうか……美しさを感じるな……気品というか……人形師の執念のようなものすら感じる」
「マジで寒気がするのでやめてください」
「なぁ、サチ。この手舐めてもいいか?いや、いいよな!」
さっと銃の照準をマスターの頭に合わせる。
「次は当てますよ」
「さすがに自重しよう」
そういってマスターは手首を僕に渡す。
受け取った手首を元に戻るように装着すると「ガシャン!」という音が鳴り、見た目上は元に戻った。
手をグーとパーと動かすことで後遺症も動作不良もないことを確認した。
『通常モードに移行します』
例の機会音声が流れた。
わかりやすくていいのだが、自分の体から勝手に音声が流れるのには慣れないなぁ。
「それで戻ったのか」
「ええ、みたいですね」
「しかし、その体面白いな。他にも隠された機能とかもあるんじゃないか?」
「個人的に目からビームがでたらいいですね。ロマンじゃないですか」
「何言ってるんだ?」
そんな雑談をしていると、背後から大樹を引き裂き倒れるような轟音が聞こえた。
今度はなんだよ、もう勘弁してほしいなーと祈りながら背後を振り向く。
そこにあったのはとても悲しい現実だった。
「私の家が……崩れた……」
一部始終を眺めて居たマスターは引きつったような声で呟く。
その表情は地蔵のように固まっている。その視線の先には、マスターがこれまでずっと住んできたであろう家の残骸があった。
考えてみれば当然である。あんなデカイ図体の熊に暴れられていたのだから。むしろ、あの時に倒壊しなかっただけでも幸運だ。自分たちが助かっただけでも良しとしよう。
なんてことを言って見たけれど、マスターにとってはなんの慰めにもならなかったようだ。その瞳には、単なる落胆以上の、何か深い喪失の色がよぎった気がした。
「クヒ……クク……クアハハハッッハ!」
マスターは突然狂ったかのように高笑いを始めた。
いや、これは完全に狂ったな。なんていうか、破産寸前のサラリーマンのような狂気を感じるような笑い声だ。
人間、家が壊れるとこんな風になるんだなぁと静かに眺めていると、マスターが突然糸が切れたように倒れた。
慌てて駆け寄る、体を揺すっても、顔を叩いても反応は返ってこない。
「き、気絶してる……」
どうやら、キャパシティを完全に超えてしまったようだった。
僕はいつの間にか脱げてしまっていた帽子を拾い、被り直す。
さてこれからどうしたものだろうか。人形の体は疲れにくいとはいえ、さすがに連戦で精神的には参っている。
マスターを木陰に運び、それから鬼熊の死体を埋めるための穴掘り作業に専念する。鬼熊には憎しみしかないが、このまま死体を晒し続けるのも後味が悪いと思ったのだ。
穴掘りの作業はかなり難航した。そもそもスコップがないのだ。仕方がないのでそこらに散らばった家の残骸の木の板を使い、地面を掘り進めた。人形の身体能力がなければ、とてもじゃないが終わらなかっただろう。
作業を終え、少しだけ家の残骸を調べてみる。「何か使えるものは……」と瓦礫をどけていると、煤けた革張りの手帳が目に留まった。『人形研究録』と表紙に型押しされている。マスターが持っていたものだろうか。
なんだろう、と思って開いてみると、最初のページにインクで『私の研究結果をここに記す』とだけ書かれており、あとのページはほとんど白紙だった。……いや、よく見ると、いくつかのページに何かを消したような跡や、インクの染みが微かに残っているような……?
「研究録なのに……白紙? 何かの冗談かな」
マスターのことだから、タイトルだけ書いて満足したのかもしれない。とりあえず懐にしまい込み、あたりを見回すと、空はすでに暗くなり始めていた。月明かりがなければ何も見えない時間だ。
「ん……あ……?」
マスターが身じろぎする気配。タイミングがいいんだか悪いんだか。
「おはようございます。あたりはすっかり夜ですよ」
「ああ、おはようサチ。なぁ聞いてくれ。さっき家が崩壊する夢をみてたんだ」
「残念ですがそれは現実です」
「じゃあ、夢ってことにしておいてくれ」
「そんな適当な夢オチが許されてたまりますか」
「ああ、くっそぉ……私の家がぁ……私の研究資料、大切な本。食料とか気配消しの魔石とか何もかもがあったのに……」
マスターは頭を抱えてうなだれた。やはり家そのものよりも、失われた「中身」の方が重要だったらしい。
「ほら、マスター元気出して!前を向いて生きていきましょう!」
「そう簡単に割り切れる訳ないだろ。私の2年間の……いや、もっと長い間の結晶が瓦礫になったんだぞ」
「家ぐらいなんですか。気がついたら僕は人生を共にした肉体が無くなってたんですよ」
「……そう考えるとお前ってかなり壮絶だな」
「ホントそうですよ」
いや、マジで。
「うんまぁ、切り替えていくか、ついさっき寝たから魔力が回復したし」
「寝たというより、気絶でしたけどね。あれ」
「うるさいぞ。家を建てて欲しくないのか?」
「さすがマスター!ちょっと寝るだけで家が建てられるなんて素敵です!」
「照れるじゃないか。ハッハッハー。では早速、創造」
意気揚々と叫んだ呪文は薄暗い森へ消えゆき、静けさが訪れた。そこに期待されたマジカルなものは一切発生していない。
「マスター?」
どうしたことだろうと、マスターの顔を伺うと、なんてことの無いような顔でこう言った。
「すまん、失敗した」
「マスター!?」
「つまり、今日は野宿ってことだな」
「マ、マスター!?」
「…………」
すると、マスターは返事もせずにゆっくりと空を見上げた。
そして、誤魔化すような笑みをしたかと思うと、僕に飛びついてきた。不意を突かれた僕はそのまま草むらに押し倒される。
マスターの明るい夜の色をした長い髪の毛が僕の頬に垂れた。至近距離で見える瞳が髪と同じ色で綺麗だと思った。
「……なんです?」
「そのまま見ていてくれ」
そう言ったマスターは僕の上から離れた。そのままマスターを目で追おうとすると、「私じゃない、空だ」と言われた。
そして気がつく。満点の星空に。
「あ……」
無意識に言葉がこぼれた。
あの時――僕が死ぬ直前に見た星空。その星空が偽物だと思えるほどに無数に煌く星々。
人工の光に邪魔されない、純粋な夜空の輝き。吸い込まれそうなほどの奥行きと、静寂。
きっとこれが本当の空なんだろう。
「どうだ? 綺麗だろう」
マスターの声にはいつものふざけた響きはなかった。
「綺麗、だと思います」
「だろう?」
しばらく僕らは星を眺め続けた。この世界には星空しかないと思い込むほどに。
「確かお前はニホンから来たんだよな」
「……そうですよ」
「この世界は異世界人が多くいる。特にお前が住んでいた世界は一番数が多く、"隣の世界"と呼ばれている」
「僕以外にも日本人がいたりするんですか?」
「ああ、いるだろうさ。お前の世界は有名だからな。証拠を1つ教えてやろう」
そしてマスターは空にある星の1つを指差し、「あの星を見てみろ」と言った。
「あれはデネブだ」
「そしてあれがアルタイル、そしてこれがベガだ。夏の大三角と言われる奴だな。あとアレは____」
マスターはそれからも次々に指を動かし星の名前や星座を説明してくれる。
そのどれもが僕のいた世界と全く同じものだった。しかも、名前だけじゃない。星の場所さえも一致しているのだ。
星の数が多くてわかりずらかったが、僕たちの世界の夜空と全く同じだった。
そう完全に一緒なのだ。異世界なのに。
「驚いたか? 星の名前はお前の世界からの輸入品だ」
『この世界では初めに見つけたヤツが名前つけるルールだ』そんな言葉を思い出した。
「名前だけなんですか?でも、この星空は僕の世界の星空と全く同じですよ」
「面白いだろう?」マスターは楽しそうに言った。
「どれだけ文化が違っても、国が違っても、たとえ異世界でも、夜空を見上げれば同じ星々が輝いている。それはまるで、遠く離れた故郷からの便りのようだ。そして……違う世界にいる誰かも、今、同じ星を見上げているのかもしれないな。そう思うと、なんだか少し、ワクワクしないか?」
「そう……ですね。なんだか、不思議な感じです」
「ああ、本当に不思議だ。だが、ある意味当然とも言える。何もない状態から生命が生まれるのがどれだけ不可能なことなのか。それを達成した地球がどれだけ貴重なものなのか。どれだけの偶然が重なった存在なのか。そして数ある生命が進化を繰り返し人類を作りだすとは、奇跡という言葉で表すのもおこがましい本当の奇跡なのだろう。そんなことを考えると、人間という種はきっと地球にしかいないのだろうな」
「そうなんですかね……」
「きっと私たちは世界が変わろうともどれだけ遠くに行こうとも結局は地球から逃げられないのだろうな」
そして、しばらくの間互いに空を眺め続けた。すると、マスターがゆっくりと語りだした。
「……私がいた世界でも同じ星空だったよ。まあ、これほど綺麗ではなかったがな。あちらの空はいつも、どんよりと曇っていた」
「私がいた世界? まさかマスターも異世界から?」
「ああ、私も別の世界からこの世界にやって来た。お前がいた世界とは違う世界だがな」
「そうなんですか……どこから?」
「"晩秋の世界"と呼ばれている。……もう戻る気はないが」
マスターの声に、一瞬だけ冷たい響きが混じった気がした。
「どんな世界なんですか?」
「技術はあったよ。触れるだけで情報が流れ込んでくる板とか、均一な天才児共に不老手術にクローン技術。勝手に言葉を翻訳してくれる大気だとかな。だが……誰もが心は枯れていた。空を見上げる余裕なんて、誰も持っていなかった。皆、ただ決められた役割をこなすだけの……人形のようだった」マスターは少し遠い目をした。
「だから……なのかな。この世界の『本物の空』を見た時、息を呑んだよ。ああ、私はこの世界に来て、少しはマシになったのかもしれないな、と不意に思ったのさ」
「……」なんて声をかけたら良いのか。マスターの横顔が、いつもよりずっと複雑に見えた。
一時の間をおいてマスターが口を開いた。
「ところでお前のいた世界はどんなのだ?」
僕のいた世界か……。
「何にしても競争、生きることは競うこと。そんな世界だと思います」
「そうか、それは……そうだな……大変だ……」
「技術力は多分そっちには敵わないと思います」
「……ああ、だろうな」
「……」
「……」
「なぁ、サチは元の世界に帰りたくないのか?」
「帰ってほしいんですか?」
「いやそんな訳ないだろ。もしそんなことあれば絶対に阻止してやる!絶対!絶対にだ!!」
「無駄に決意が硬いですね!?」
出会って一日で世界に監禁宣言かよ。可愛さは罪とでもいうのか。
「だがな、私はサチが無理している気がしてならんのだ」
僕が無理している?いや、そんなことないけど。
「私も異世界から来たらわかる。内心は不安でいっぱいなんだろ?」
「そんなことないですけど」
「いやいや、私にはわかる。なんか無理やり余裕ぶってそうな感じするし」
「えぇ?」
「ピンチの時にクイズとかするし」
「いや……あれは……」なんの反論も思いつかず口籠る。
「皆までいうな、わかってる。私にはサチの気持ちは分かってる」
「いや、全然分かってないですけど!? てか今日初めて会ったばかりでそんな全部分かってる面するのやめません!?」
「サチよ。お前は思ったよりも――頼りになるやつだったな」
頼りになる。頼りになる?頭の中でその言葉がリフレインする。
そして素直に褒められていると脳が認識した時、得体の知れない高揚感が身に襲う。
「別に……」
誤魔化すために出た言葉はまさにツンデレそのものになりそうだったので、ぐっと堪えた。
「なぁ、私と一緒に街を作ってくれないか?お前となら出来そうな気がするんだ」
「それは――」
「まぁ、お前に拒否権などないがな!サチ、貴様は有能だ。逃すはずもあるまい?」
「ちょっと僕の意思は!?」
「ククク……そんなのあるわけないだろ?それにお前も――」
「……。なんだか疲れたな、もう寝るとするか」
「寝る?この草むらで?」
「野宿と言っただろ。創造《毛布》」
そう唱えると、ふわふわとした暖かそうな毛布が現れ。マスターはそれを羽織るとぐうぐうと寝息を立てて眠りだした。
「え、眠るの早くないですか?てか、僕の分の毛布はないんですか!?」
「ぐーぴーぐーぴー」とマスターの方から寝息がもう聞こえてくる。
「よく野宿でそんなすぐに眠れますね!?」
その叫びは星空の下に消えていった。
一人残された僕は、言いようのない心細さを感じながら、再び満天の星を見上げ続けるしかなかった。
前世では、あの山で「現状を変えたい」「何者かになりたい」と、漠然と願っていた。その結果が、これなのだろうか? 人間ですらない、この美しく精巧な『人形』の体に成り果て、異世界の辺境の森で星を見上げることだったのだろうか。
変わることを望んだ結果、僕は『人間』ではなくなった。
けれど、確かに『何か』にはなれたのかもしれない。――たとえそれが、心臓のない人形だとしても。
ふと、懐の手帳に手が伸びる。マスターが落としたらしい、『人形研究録』。奇しくも、今の僕自身を表すようなタイトルだ。年季の入った表紙を開いても、中は白紙にしか見えない。僕の体の秘密や、なぜ僕がここにいるのか……知りたいことは山ほどあるが、その答えが記されているわけではないのだろう。
ならば――僕自身で、この記録を埋めていくしかないのかもしれない。この異世界で、『サチ』として生きた証を。人間だった過去の僕ではなく、この人形の体で感じた、あまりにも大変で、少し不思議で、そして忘れがたい今日一日を。
この『人形研究録』に。僕自身の『研究』として。
僕は手帳に付属していた古風なペンを手に取った。空白のページに、震える指で、異世界での最初の言葉を、静かに綴り始めた。
『僕と街づくりの日記 一日目』