4話 この私を誰だと心得る
「……さて、サチよ」
「……」
主従契約という名の枷がはめられてから、妙に重苦しい沈黙が続いていた。
「……その、なんだ。事あるごとに私のベッドに逃げるのはやめてくれないか」
「ガルルルルル」
見よ! この他人のベットに潜り込み、身体をすっぽり隠して威嚇する情けない姿を!
これが僕だとは信じたくない。なんていうデジャブ!
「さっきから言っているだろ。君に変な命令をしたりしない、と」
「嘘ですよ。マスターは絶対にスグ僕をペロペロしますよ! そんなの火を見るよりも明らかじゃないですか!!」
「ああ……マスターと呼ばれるのっていいな……想像以上にゾクゾクする」
ド変態魔女の第二の命令「私のことをマスターと呼べ」により、望んでもないのにマスターと呼んでしまうようになってしまった。
エゲツねぇよ……自動人形ってマジエゲツねぇ……意思関係無しに命令を守っちまうんだもん。
「……変態」
「いやいや、ちゃんと聞いてくれたまえ、先程はどちらも冷静じゃなかった。あのときに言ったことは本心ではない」
「どういうことですか?」
「君の人権を侵害するつもりは毛頭ないということだ」
「つまり、ペロペロとかしない?」
「ああ、しないとも。モミモミもしない。君の意思を最大限に尊重する」
「じゃあ、マスターの権利を放棄してくれませんか?」
「それは承服しかねる」
「ほら! 信用できないじゃないですか!」
「だって、だって、マスターと呼ばれたいんだもん!」
「『だもん』じゃないですよ!もっと知的なキャラを守ってください!」
「私はできるだけ君に命令をしたくないんだ。これは本当だ。信じてくれ。君が超絶可愛いということと同じぐらい信じてくれ」
「僕が超絶可愛いことは信用しますけど、マスターは信用できないです。そもそも「信じろ」と命令したらいい話じゃないですか」
「だから命令したくないんだ」
「なぜですか」
「君には人間としての感性、そして意思がある。ならばそれを最大限に尊重するのがモラルとして正しい行為だからだ。それに君は人間の魂を持つ自動人形としてとても希少な価値を持っている。下手な命令、例えば”私を信じろ”などをすると君の意思が消えてしまうかもしれない。私はそれを避けたいのだ」
「本当の理由は?」
「私の手でじっくり落としたいから」
「ほらぁ!! 」
「いや、違う!誤解だ!!」
「誤解!?流石に無理があるでしょう!」
「言い方が悪かった!えーと、そう、友人が欲しいのだ!友人!これならどうだ!?」
友人? この人が? 僕と?
ベッドの布団からそっと顔を出し、マスターの表情を窺う。その整った顔には、先程までのふざけた様子はなく、どこか真剣な……いや、寂しそうな色が浮かんでいるように見えた。
……もしかしたら、本当に悪い人ではないのかもしれない。いや、変態なのは間違いないけど。
「でも、まぁ、マスターが悪い人ではないというのは分かりました。もし本当に悪い人なら即座に命令しますもんね」
僕は渋々といった体でベッドから這い出る。エウロパは「ああ、そうだとも」と頷いた。
「仕方がないですもんね。これからよろしくお願いします。」
僕はそう言ってニッコリと笑う。
「ヤッべマジ激カワ」
だから知的キャラを守ろうよ……
僕がジト目を向けると、エウロパはわざとらしく咳払いをして誤魔化した。
「コホン。さて、これから君にはこの世界のことをもっと知ってもらおうと思う。だが、その前にだ」
エウロパは僕の服装――彼女自身の古びたローブ――を見て、顔をしかめた。
「まずはそのみすぼらしい格好をどうにかしよう。私の薄汚れたローブなど、君の価値を著しく貶めている」
「別に、そこまで汚れては……それに、着るものがあるだけマシですよ」
「謙遜は美徳だが、過ぎれば嫌味だぞ、サチ。いいや、これは断じて許容できん。その最高のボディには、それに相応しい装いをさせねば、創造主への冒涜というものだ」
創造主、か。僕は「作品」なんだったな……。その言葉に少しだけ胸がちくりと痛む。
「それに、サイズも全く合っていないだろう。ダボダボじゃないか。美しくない」エウロパは断言した。
「服を買いに行く……と言いたいところだが、あいにくここは陸の孤島でな。店などない」
「じゃあ、どうするんですか?タンスの中には……」
「フッ、甘いなサチ。この私を誰だと心得る?」
エウロパは芝居がかった仕草で魔女帽子をくいと持ち上げた。
「かの創造の魔女エウロパだぞ。服ぐらい、魔法でチョチョイのチョイよ」
そう言うと、彼女は部屋の隅から大きな姿見を軽々と運んできた。年季の入った、しかし美しい装飾の施された鏡だ。
「さあ、この鏡の前に立ってくれ。君に最高の服を仕立ててやろう」
言われるがまま鏡の前に立つ。自分の姿が映る。……ボロボロのローブを着た、見慣れない美少女。
「え、可愛い」
意図せず言葉が溢れた。鏡に映る姿を見て僕は驚愕した。
茶髪のショートボブヘヤーに見れば見るほど魅入るブルーの瞳。質のいい人形のように汚れ1つない白い肌、頬には少し桜色がかかっていて可愛い。まさに昔見たことのあるブランド物の人形そのものだ。いや、それ以上かもしれない。こんな可愛いものがこの世の中に実在するとは……。
自分の腕を動かす。鏡の向こうの人形も動く。頭を傾ける。向こうの人形も頭を傾けた。
つまり、この美少女ドールが僕ってこと……?
「ああ、初めて自分を見たのか。ほらな、私の言うとおり超絶可愛いだろ」
「えっと、はい……想像以上でした……」
ほぉ……いや、すごい可愛い。こんな事は言いたくないけど、マスターのセクハラしたくなる気持ちも分かる。だってこの肌すごく触り心地良さそうだもん。本当に想像以上という言葉がぴったりだ。
「よし。では、まず……その汚れたローブを脱いでくれ」
「はい……って、ええ!? 脱ぐんですか!? ここで!?目の前で!?」
「ああ。でないと新しい服が作れん。採寸のようなものだと思え。それに、私たちは『友人』だろう? 何も恥ずかしがることはない」
どの口が言うんだこの人は! しかも友人って言質を早速利用してくるし!
「嫌です!絶対に嫌です!」
「む……仕方ないな」エウロパは少し残念そうにため息をつくと、悪戯っぽく笑った。
「サチ。これは"マスター"としての命令だ。服を全て脱いでくれ」
「~~~~っ!! やっぱり信用するんじゃなかった!!」
甘い痺れのような感覚が体を走り、僕の意思とは無関係に手がローブにかかる。抵抗しようと唸っても、身体は命令に忠実に動いてしまう。
屈辱と羞恥で顔が熱くなる。鏡に映る自分の顔がみるみる赤くなっていくのが分かった。ローブがはらりと床に落ち、次にドロワーズに手が伸びる。
「クク……良い眺めだ……。実に、芸術的だな……サチ……」
マスターの満足げな声が耳に届く。涙目で睨みつけるが、彼女は意にも介さない様子だ。
下着も脱ぎ捨てられ、ついに僕は生まれたままの姿になった。鏡の中の美少女が、恥ずかしさで身を縮こまらせている。
「……ん? ブラは着けていなかったのか。まぁ、人形に必要ないか。合理的だな」
「分析しないでください!!」
「はは、すまんすまん。では、いくぞ」
エウロパが軽く指を鳴らす。その瞬間、部屋に満ちていたランプの光とは違う、柔らかな光の粒子が無数に現れ、僕の周りを漂い始めた。それはまるで蛍の群れのようで、幻想的な光景だった。
光の粒子は僕の体に吸い寄せられるように集まり、糸のように絡み合い、徐々に形を成していく。暖かな光に包まれる心地よさと、裸を見られている羞恥心が混ざり合い、奇妙な感覚だった。
やがて光が収まると、僕の体には新しい服が着せられていた。
「どうだ? 今回のテーマはボーイッシュ・エレガンスだ。君の凛々しさと可憐さを両立させてみた」
マスターが自信満々に言う。恐る恐る鏡を見る。
そこに映っていたのは――息を呑むほど美しい、人形のような少年のような少女だった。
紺色のショートパンツに、ダブルボタンの白いブラウス。胸元には上品なリボンタイ。膝下までのニーソックスと、クラシカルなブーツ。仕上げにキャスケット帽が被せられている。
透き通るような白い肌、少しつり目がちの大きな青い瞳、短く切りそろえられた茶色の髪。中性的でありながら、人間離れした精巧な美しさにその装いは何よりも似合っていた。
「……これ、が……僕……?」
自分の腕を上げてみる。鏡の中の人形も同じ動きをする。信じられない。こんなにも「完成された」存在が、自分だなんて。
「ほらな、私の言った通りだろう? 超絶可愛い。いや、もはや美しいと言うべきか。この身体を創り出した職人には敬意を表するよ。ぜひ会ってみたいものだ」マスターは満足げに頷いた。
「……マスターのデザインセンス、すごいんですね。正直、見直しました」
「ククク……だから言っただろう? この私を誰だと心得る。創造の魔女エウロパだぞ」
マスターは機嫌良く笑う。この人、変態だけど、やっぱりすごいのかもしれない。……認めたくないけど。
「創造の魔女……さっきのってどんな魔法なんですか?」
「ああ、私の魔法はな……簡単に言えば、明確にイメージできたものをこの世に創造する力だ」
「イメージしたものを、創る……? それって、何でもできるってことですか!?」
「そう単純ではないさ」マスターは首を振る。
「"明確にイメージする"というのが肝でな。素材、構造、制作工程……それら全てを寸分の狂いなく頭の中で構築する必要がある。少しでもイメージが曖昧だったり、現実の法則と矛盾していたりすれば、決して形にはならない。複雑な機械などはまず無理だな。まぁ服なら得意だから失敗はしないがな。それに、創造には相応の魔力が必要だ。素材に応じた魔力を消費するし、失敗しても魔力は戻らん。」
「はぁ……すごいけど、大変なんですね」
「そういうことだ。万能に見えて、意外と制約が多い。……それでも便利な力ではあるがな」
マスターはそう言って、悪戯っぽく笑った。
「さて、服も整ったことだし、そろそろ外の世界について教えてやろう。準備はいいか? サチ」
外の世界。僕がこれから生きていく場所。期待と、それ以上の不安が胸に渦巻く。
僕は鏡の中の美しい見慣れない自分を見つめ、1つ、深呼吸をした。
「はい、マスター!」