1話 プロローグ
僕の名前は桜庭 幸太郎 (サクラバ コウタロウ)
突然だけと僕は今、走馬灯を見ている。
死ぬ間際に過去の思い出を次々に思い出すというあれだ。
といっても努めて平凡に生きてきた僕に取っては特筆するような過去はない。
僕は日本生まれ近畿地方育ち、悪そうなやつとはあまり友達になっていない。
雨には負けるし、風にも負けた。雪にも夏の暑さにも結構負ける。
そんなただの工学系の学生だ。
ちょっと人と違うのは今死にかけているということかな。マジヤバイ。
現在僕は自由落下運動の途中である。
目前に迫りくるのは偉大なる大地。重力で加速した僕の体がこの大地に叩きつけられると、水風船のように破裂すること間違いない。
はっきり言って絶体絶命。絶対に絶命するという文字通りの意味である。
なんでこんな事になったのか解説させてほしい。
少し前のことである。
今日ふたご座流星群が観測できるらしいと聞いた僕は愚かにも一人で夜の山へ登った。山の中なら光源が少ないし、何よりも空へ近いから星がよく見えるだろうと考えたのだ。
一人での登山はとても怖かった。月の光を阻む森林、距離感を消し去る純粋な闇。それを照らすのはコンビニで買った150円(税抜き価格)の懐中電灯。頼りないどころの話ではなかった。何度闇の中から化物が現れる想像をしたことかわからない。寒さはドンドン激しくなるし、山を登るのは疲れる。
「星を見る」という動機は「闇夜の山を登る」という手段を果たすには足りなくなっていた。
でも僕は登り続けた。
行動が焦りに追いつかず何も成すことができない。だけど目に見えない焦りだけは降り積もってくる。
そんな現状を変えるきっかけをこの山に求めていたのである。
頂上に近づけば近づくほど、僕は変わる事ができる。きっとそうなんだ。そんな実質を持たない気持ちを燃料にして闇夜という恐怖と戦っていた。
結果から言えば現状を変えるどころか人生を終わるきっかけになったわけだけど。
苦しい。辛い。寒い。怖い。そんな考えしかできなくなった頃。僕は山の頂上にたどり着いた。
それはもう本当に感動した。
星空は期待したほど綺麗じゃなかったけど、僕は成し遂げることができたんだと。
たった一人で、誰からも強要されずに、自分の意志で。
そこには自由があった。
そんな僕を祝福するように流星が1つ夜空に瞬いた。すると何故か涙が流れ始めた。
一体何に感動したのか、たかが流れ星の1つ。なんで泣いていたのか本当に理解できない。
だけど、涙は止まらなかった。
それから僕はただひたすらに夜空を眺めていた。一心不乱に、まるでこの世界が空しかないと錯覚するほど、それほどまでに空を眺め続けていた。
だからなのかな、このあとの出来事に対応できなかったのは。
突然、異常なほど大きな風が僕を襲った。
その風の大きさを説明すると、僕の体を浮かせて50メートルぐらい吹き飛ばすくらいだ。比喩ではない実体験だ。この風こそが僕が今死にかけている元凶である。
いや、ホントありえないだろ。なんで風で人間が飛ぶんだよ。
そして風が吹き止み、宙に浮かんだ僕の体だけが残り、今に至るというわけだ。
「星を見に山を登ったら風に吹き飛ばされて落下してます」
こんな一行で済むような内容を長々と説明したのは理由がある。
それは死にたくないからだ。最初に言った通り、僕は今、走馬灯を見ている。
つまり、この走馬灯が終わることは死を意味していた。
だからできるだけ走馬灯を見ていたかった。死という現実をできるだけ先延ばしにしたかった。
だけど目の間にある地面は逃げることのできない現実を突きつけてくる。
死にたくない。なんで、こんなことで死ななきゃならないんだ。
そんなことを考えている間でも地面は近づいてくる。逃げられない現実が心臓を掴んで絞り上げる感覚がした。
『痛いだろうな』
そう声にしてニヒルに笑おうとしたが、極限まで圧縮された時間はその動作すらも許さなかった。
「お前になせることはもう何もない」と言われているようだった。
そして、走馬灯が終わる。