6. アリアの睨みとイザベラの企み
——それでも時間は流れて、こうやっていつも通り働く私がいる。
ほんと私って、真面目だなぁ。
「奥様、失礼致します。公爵閣下のお戻りは、明後日と報告が入りました!」
「いよいよね。わかったわ。あぁルドルフ……私の旦那様っ!既に貴方の愛人は麗しき妻のもとに到着しておりますわよっ!」
私はおどけて見せながら——既に心中「無の境地」である。
公爵夫人なんて立場、この後に及んで何の役にも立たないだろう。
「とりあえず……本邸と別邸の両方で準備を進めましょう。全て別邸で済ませると言われたら、本邸の使用人を無駄に働かせることになるから。その辺り手厚く対応してちょうだい」
「承知いたしました。奥様のご負担が少ないよう指示を出しておりますので、ご安心ください。当日は、ディカルト公爵家の名に恥じない一日とさせていただきます」
バーナードの表情によぎる『ニヤリ』——。
この雰囲気が出る日は戦闘態勢と言っていい。。
「イザベラさんのことは、別邸の新しい使用人たちに任せて問題ない?ドレスや靴も既に届いていると聞いたし」
「はい。スケジュールの詳細も確認済みでございます」
「ありがとう。そういえば……あなたが別邸の執事も兼務するようルドルフから指示が出ていたわよね?その件については変更ない?」
「はい。変更はございません。奥様にとっても本邸にとっても、都合の良いお話と承知しております」
またまた『ニヤリ』ね、バーナード。
私も『ニヤリ』を抑えられないけれど、あなたには敵わない。
なんて素敵な執事なのかしら——。
「あ、それと……別邸の使用人のことなんだけど。イザベラが来た日に挨拶したルイーゼを覚えてる?彼女は力関係に敏感な子だと思うわ。これからうまく使えないかしら?密偵として育てられるなら、こちらに引き込みたいわ」
密偵という言葉を使った自分に、妙な満足感だわ。
私はどこかに『夫に裏切られた妻の悲壮感』を置き忘れたらしい。
「それは奇遇でございます。実は私も、昨日から同じことを考えておりました。早速そのように進めてまいりましょう。別邸に馴染んでしまう前の方がよろしいかと存じますので」
あなたの不敵な笑みは、なぜか私を救う……。
そこには嘘も建前もないからかしら。
「それからもうひとつ。出迎え当日のイザベラのドレスと靴、装飾品の詳細を確認してくれる?それに合わせてこちらも考えるわ」
「承知いたしました」
執務室に一人になった私は、自分の心の内を整理することにした。
正直なところ、精神状態は万全とは言えないから。
予想外の出来事に動揺して、ルドルフの裏切りに悲しんで。
だけど不思議なことに、焼きもちや妬みとは異なる感情なのだ。
その感情の正体が何なのか、自分でも分からないままじゃ困るものね。
——時を同じくして、イザベラの寝室には騒がしいひと時が訪れている。
「イザベラ様、旦那様が明後日お戻りになるそうです」
「まぁ!そうなの!ようやくね。着飾らなくちゃ!!」
侍女からの知らせに心躍らせ、鼻歌まじりのティータイムだ。
「ドレスのお色など、ご希望はございますか?」
「本邸の人は何を着るのかしら?格はあちらに合わせてよ!こちらが負けていたら、ルドルフがガッカリしちゃう。それと……動いた時にふわっとする感じのデザインがいいわね。生地を贅沢に使ったフリルたっぷりのデザイン!いくつか選んでおいてちょうだい。アクセサリーはネックレスと指輪かしら?それも本邸の人と同等以上のものが必要ね。とにかく、私が一番美しくなるように考えて動きなさい」
公爵邸に来て2日目、イザベラは既にアリアを「本邸の人」と名付けていた。使用人に指示を出す姿は偉そうで、地位の高さを勘違いさせるほどだ。
「承知いたしました——。
(そう言われても、この人に公爵夫人と同等以上の装いさせていいの?後で私が罰されたりしないわよね?)」
新しく雇われた別邸の使用人たちも、浅はかではない。
これから公爵邸で繰り広げられるであろう歪な人間関係について、十分に察しているのだ。力関係から考えれば、是非とも公爵夫人の味方につきたいと思っていても当然である。
「そうそう、出迎えの時の立ち位置なんだけど、中央になるように加勢してちょうだいね。中央をイメージして動きを決めてあるから。ルドルフが私を見つけて喜ぶ顔、想像するだけで楽しみだわ!本邸の方には目もくれないはずよ(笑)今から良い気分!」
「お力になれるよう努力いたします」と頭を下げながらも、侍女は困り果てた様子を隠せていない。
そんなことはお構いなしに侍女を下げたイザベラは、ドアの外に人の気配がないか用心してクローゼットへ歩みを進めた。
公爵邸に来る時に持ってきた古びた旅行鞄を取り出すためだ。
再びドアの方を警戒すると、重そうにベッドの横まで鞄を運び、隠すように中を覗いている。ガサゴソと取り出したのは、一冊の本。
「どこにしまおうかしら?誰の目にも触れないところ……」
ぶつぶつと呟きながら視線を動かしていたが、思い立ったように部屋の隅に置かれた飾り棚の前に立つ。奥行きのある棚の裏側を覗いてみると、壁との間にちょうど本が1冊収まる程度の隙間を確認できた。スッと本を差し込んでみる。
まるで測ったかのようにピッタリで。
それを見たイザベラは、クスッと満足そうに笑うのだった。
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