38. さようなら
「おはようございます。少しは眠れましたか?」
庭園を散歩していると、後から声が聞こえる。
早朝の庭園、他にも誰かいるとは思っていなかった。
声の主は、帝国新聞社のオーナー、アベル・ベイカー。
お互い、随分と早起きだ。
「おはようございます!そちらも早起きですのね」
「公爵邸の客間が素晴らしくて、全く眠れませんでした」
「ベイカーさんほどのお方なら、高級宿にもお泊まりでしょう?意外なお言葉ですわ」
「いえいえ、いつも安宿です。記者と同じ宿を使うようにしていますので。ところで、朝食は?」
アベルと二人で朝食をとることになって。
侍女のパメラが厨房へと走る間、庭園の東屋へ案内した。
気楽に話したい気分がそうさせたのだろう。
自然と、外での食事を提案していた。
「本当なら、裏の森を抜けたところにある花畑でピクニック!と行きたいところなんですが、今はこんな状況なので。またいつかお誘いできたらいいのだけれど……(もうディカルトの森へ行く機会なんてないわよね)」
「別の場所でもピクニックはできますよ。いつかお誘いしても?」
「ええ、もちろん!ベイカーさん、ご結婚は?」
「独身です。もちろん結婚願望はありますよ」
既婚男性とのピクニックは遠慮したい私の質問は、既婚であるかを確認したい質問としてアベルに伝わったようだ。完全に誤解が生じた瞬間である。
——好意を持つ人間とは、いかにご都合主義なものか。
「さあ!いただきましょう。北部野菜のサラダ、首都ではお目にかかれませんでしょう?」
「北部がお好きなんですね?」
「結果的にはこんなことになっちゃいましたけど、愛おしい我が家でしたわ」
アベルは帝国唯一の新聞社を一代で築き上げた若き起業家。
帝国民の認識は皆、同じだろう。
しかしながら、その偉業にかかる資金の一部が皇族から提供されたものであることは、一部の人にしか知られていない。
それも現皇帝フィリップの治世になってからの出資である。
そして私にとって一番の気がかりは、彼の二つ名だ。
——『皇帝の情報網』
そんな人材になるには、裏の仕事もしてきたはず。
実は危険な人物なのではないか?——そう思うと、友人関係になることも躊躇うのだった。
「首都に来られたら、ぜひご連絡ください」
そう言って渡されたのは、個人的な連絡先。
耳まで赤いのは照れているのだろうか?
よく確かめようとしたが、立ち上がった彼の背丈は思いのほか高くて。
太陽を背に、表情は隠されてしまった。
「ありがとうございます。本日も宜しくお願いいたしますね。聞き取りも長引きそうですから」
私は現実に引き戻された。
イザベラと子爵をはじめ、多くの人間が収容されている地下牢。
その様子を思い浮かべるだけで、食事も進まなかた。
執事のバーナードが「こんなに混み合った地下牢は、ディカルト公爵家史上初でございます」とまで言うのだから——とんでもない事態である。
◇
——今日の聞き取りでも、ルドルフは同席を許されない。
イザベラは度々「ルドルフを呼べ」と騒いだけれど、カイルはひたすら無視を決めこんで。「次の件は……」を淡々と繰り返していた。
そうしてようやく全ての容疑を確定させたわけだが、どれもこれもルドルフが「上の空」で生きてこなければ防げたことばかり。おそらく、何か事が起きるたび思考を停止させ、全て後回しにしたのだろう。
成れの果てを見た今、妻としては「情けない」の一言だ。
「イザベラさん、今日もお疲れ様。最後に私から聞きたいことがあるの。あなた、転生者よね?」
「…っ、いつから知ってたの?」
「そうね……火災事件からかしら。私に必要なものを誰かが先回りして潰そうとしている?そんな気がしたことがあってね。あなたが未来を知っていれば、全て辻褄が合うと思ったの」
「それを知られていたら……もうお手上げじゃない?」
「そうね。この世界の物語を知っていたからルドルフとの『始まり』を変えられたし、子爵を手懐けて夫人を破滅させることができた。先代の公爵夫妻が自分の邪魔になることも知っていたし、馬車で皇城へ出かける時期も推測することができた」
イザベラは拳を握りしめ、それを机にドンと叩きつける。
私に対する苛立ちを、もう隠すことすらしなかった。
「そうよ!アンタには分かるはずもないわよね!平民だっていい生活をしたいのよ。成り上がりたいのよ!!私にとって今までの行いは、ただの努力よ。それを犯罪だって責められても、反省なんてしないっ! 申し訳ないなんて思わないわ!」
「でもね……あなた、変えすぎたわよ。変えすぎたせいで、あなたの物語には存在しなかった人、登場人物が増えてしまった。そして増えた人物が誰なのか、あなた自身が特定できなかった。で、最後は?……足元をすくわれたんじゃない?」
「……転生者である証拠は?アンタの勘でしょう?」
「ごめんなさい、あなたの隠している本を見せてもらったわ。自分の身に起こる危険を回避するためにね」
その後はもう、イザベラが私の前で口を開くことはなかった。
私は状況を見て退室し、全てをカイルに委ねることを決めた。
イザベラに抱いていた疑問を、本人にぶつけることができた。
それだけで満足だから。
過去も現在も未来も——もう何もかも、ルドルフとの間では変わらない。
そのくらい壊れている。
ルドルフが自由なうちに伝えに行こう。
——「さようなら」




