2. 終戦と愛人の足音
「戦争が終結したとの報告が入りましたっ!勝利です!」
そう叫んで、統括執事のバーナードが執務室に飛び込んできた。
出征した夫に代わり、今は公爵夫人の私が全てを取り仕切っている。
皇帝の命により始まった領地拡大戦争も、5年目を迎えた。
帝国が隣国ソルテーヌを手中におさめるべく始めた戦で、私の夫でディカルト公爵家当主のルドルフ・ディカルトも公爵家の騎士団を率いて出征したのである。
帝国軍とともに勝利に貢献したのかと思うと、誇らしい気持ちでいっぱいだ。
それにしても——戦地へ何度も手紙を書いたのに、一度も返事がなかったわね。理解には苦しむけれど、戦死の報告はないわけだから——もちろん生きて帰ってくるわよね?
「ところで、ルドルフはいつ帰ってくるのかしら?」
「ひと月ほど先になるのではないでしょうか」
—— と答えたところで、バーナードはハッと息をのんだ。
「……奥様、申し訳ございません。実は……お話すべきことがございます」
「なにか困ったことになっているのね?」
バーナードの様子を見れば、容易に想像ができる。
「……はい。旦那様より数週間前から手紙が送られてくるようになりました。全て執事である私宛てでございます。どちらにも『奥様には内密にするように』とございますため……ご報告を躊躇っておりましたが、その指示には従えないと判断いたしました。奥様は公爵閣下の代理を立派にお務めですから。こちらにお目通しいただけますでしょうか」
手紙は3通で、バーナードが言うとおり全てに「アリアには内密」とある。
内容は別邸についての指示であるが、違和感しか感じられない。
1通目
別邸の全室を使えるように整え、別邸専属の料理人と使用人を雇うように。
執事はバーナードが統括執事と兼務すること。
別邸専用の馬車を用意し、公爵家の紋章は入れるな。
——私と別居する気なの?それとも愛人用?
2通目
ドレスや靴、女性が必要とする身の回り品を揃えておくように。
——指定のサイズを見るかぎり、グラマーな女ね。
3通目
イザベラという女性が到着したら、そのまま別邸に通すように。
使用人はその時にイザベラに紹介すること。出迎えの際の服装も整えてやってくれ。
——え?あなたより先に着くの?
別邸は本邸の横に建てられており、代替わりの後に隠居する公爵夫妻が住む屋敷として代々使われてきた。ルドルフの両親は馬車の事故で代替わり前に亡くなったため、今は例外的に使われていない。
「手紙というより……まるで業務の指図書ね」
私は手紙を机の上に置き、バーナードに視線を向ける。
「……バーナード、あなたこれ読んでどう思った?顔も知らない愛人が夫より先に屋敷に到着して、妻と一緒に着飾って、隠れることもなく妻と並んで出迎える。私にはそんな状況にしか思えないんだけど?」
「仰るとおりでございます。なぜこのようなことになってしまったのか……。ルドルフ様の教育担当もつとめさせて頂いた身としては、お詫びの言葉もございません」
「はぁ……。私から離れたところに人知れず囲ってくれれば良かったのに」
「………(奥様は、愛人の存在じたいは許容されるということなのか?)」
「まぁいいわ。誰のせいでもないもの。ルドルフが戦地で勝手なことしただけよ。イザベラさんが来たら私が対応するわ。お腹が大きくないかも見たいし」
はたして私は——冷静でいられるのかしら?
状況から見て愛人の方が愛されてる。
心の内を表情に出さないようにしなきゃ。
どうか子供なんて面倒な存在ができていませんように。
「奥様の仰せのままに致します」
バーナードが退室してからもずっと、私はルドルフのことを考えていた。
15歳で婚約したと同時にディカルト家で暮らすようになったけれど、ルドルフは食事の時にも無口で、私をお茶に誘うこともなかった。
公爵夫人としての仕事や社交のこと、ディカルト領や公爵家の歴史、膨大な学びの量に私が追い立てられている間、ルドルフは何をしていたのだろうか?
——そうだ。3年の婚約期間中、まともに会話をしたのは3回だけっていうネタが幼馴染の貴族の間で広まって——笑いの種にされちゃったのよね。それで義弟のカイルが詫びに来てくれたんだっけ。18歳の結婚式の後は先代の公爵夫妻が亡くなったりルドルフが出征したりで、まともに会話したのは——え??何回だっけ??3回だわ。結婚式の日、お葬式の日、出征の日、あまりにもわかりやすくて覚えてる。夫婦の営みなんて更に少なくて、初夜と出征する前日の2回だけ。出征前日なんか「無理しないで」って言ってみたのに、返事もせずにさっさと終わらせて寝室を出て行ったのよね。当時はせっかく交わったのに子を授かっていないと分かって落ち込んだけど、今となっては良かったのかもしれない。母親が愛人に父親を取られるっていう地獄絵図、幼子に見せるわけにいかないもの——。
脳内に猛スピードで言葉を巡らせては、「ハッ」としたり沈んだり。
私は一人で、妙な時間を過ごした。