12. 最愛の妻なのに
何でもなく過ごせるようになったことを喜ぶべきか、否か——。
「奥様、おはようございます」
「おはよう。ルドルフはまだ?」
「まだ寝ておられるようで……。お茶はいかがでしょう?」
「いいわね!お願い」
今ね、今のうちに言っておこう。
こういうことは後回しにすればする程、言いにくくなるのよ。
「それと……バーナード、ルドルフからイザベラの立場について明言してもらったわ。やはり『愛人』よ。住み込みで雇った娼婦ではないわ」
「承知致しました」
なぜかしらね?
私もバーナードも、ルドルフに期待していないのかしら?
こういった話題に付きものの驚きとか不安とか——いわゆる緊迫感てものがいっさい出てこないわね。
——なんて可哀想な男なのかしら?
期待されない公爵閣下だなんてね。
「ケーキもご用意しました」
「ありがとう。美味しそう!」と喜んでる場合じゃないわ。
ルドルフもまだ来ないし——
やっぱりあのことも知らせておくべきね。
「あ! あと……ちょっと報告もあって。一昨日ね、私の部屋からオイルが持ち出されたんだけど、犯人はルドルフだったわ。イザベラがねだったらしいの。妻の部屋でも勝手に入ってはいけません!とか、妻の所持品であっても勝手に持ち出してはいけません!とか……そんなことから教えなきゃならないの?って呆れたわ(笑)」
「地下牢にお入りいただくのも良いかもしれません」
やっぱり地下牢だよね……普通。
昨日のうちに入ってもらうべきだった??
それにしてもバーナード!あなたのその目——まるで死神よ(涙)
「私もそう思ったんだけど、実行しなかったわ」
「残念です」
即答ね——。
教育係だったってことだから、よっぽど後悔しているんだわ。
「ルドルフはまだまだ来ないでしょう!ということで、今日は引き継ぎをお休みしていいかしら?ちょっと街へ出かけたいの」
「承知いたしました。どのようなご用で?」
「学校を始めたくてね。物件探しよ」
「それは素晴らしい!私もお手伝いしましょう」
「それなら、一緒に行ってくれる?」
「もちろんでございます」
◇◇◇
——こうしてバーナードと二人で街に来るのは久しぶり。
「ここはどうかしら?」
「少し奥まっていますから、安全面が不安です」
バーナードがいてくれて良かった。
安全面のことは、私では気付けなかったと思う。
「そうね。一軒目は狭かったし、2軒目は窓が少なかった。条件と妥協点を絞り込まないと……かなり時間がかかりそうね」
「もう1軒見て決定できない場合、今日のところは戻りましょう」
「そうね、わかったわ」
4軒目はここね。
今日見た中で一番ボロボロだわ。
補修費用がかさみそうね。
「ここは論外です。意味もなく予算を使うことになるでしょう」
「私も同じ意見よ。物件を買ったり借りたりするのではなく、新しく建てるというのはどうかしら?」
「予算のことは心配ですが、長い目で見れば良い選択になるかもしれません」
ちゃんと計算してあるもんね!
戦争のせいで使いきれなかった公爵夫人の予算、貯めこんだ4年分。
舐めんなよ!!——ということで、楽勝なはずでございます。
——-時を同じくして、こちらは
「今日は、なんでお休みなの?」
相変わらずの薄着で、イザベラがルドルフに抱きつく。
「今日はバーナードがアリアの供で街へ出たからな(……二人は何しに街へ行ったんだろう?)」
「へぇ~、私も街へ言ってみたい!」
「専用の馬車があるんだ、好きな時に行ってきたらいい」
「一緒に行こうとは言ってくれないみたいね」
ルドルフのエスコートで馬車を降りる自分。
それを街中が目撃すること、それがイザベラの望みだ。
——いくらルドルフでも、そんなことはお見通しである。
「街へ行くくらいなら仕事をした方がマシだ」
「本音は? 愛人と歩いてるとこを見られたくないんでしょう?」
「くだらないな。そんなこと気にするくらいなら、そもそもこの邸に住ませたりしない」
ルドルフは身支度を始めた。
どうでもいいやりとりに辟易としたのである。
「仕事をしてくる」
嘘を言っているわけじゃない。
昨日アリアから受け取った件を、もう一度見直すつもりだ。
——戦から戻って以降、こんなに静かな執務室は初めてだ。
誰もいないな。
二人はいつ戻ってくるんだろう?
今朝は遅刻してしまった。
俺のだらしない行動のせいで——。
アリアはどう思っただろう?
不安になればなるほど、イザベラを求めて無駄に時間を使ってしまう。
不安の根拠を探すことも、その根拠に向き合うことも、何もかも満足にできたためしがない。——なんでだ?なんで俺は何もまともにできないんだ?
欲しいものだって同じだ。一番欲しいものは手に入れられなかった時に傷付くから、最初から求めなかった。二番目に欲しいものも不安だった。だから必ず三番目に欲しいものを取りに行って、手に入れても……愛着が深くないがゆえ大切にできない。——それを繰り返して、無限のループを断ち切れない。
他のことだって、いつもそうだった……。
いつも弟のカイルと比べられて。
魔力もその他の能力も——-見た目も何もかも。
アリアと初めて会った時、なぜかカイルも同席してたな。
俺の婚約者として連れてきておきながら、お父様はカイルとの相性も見ようとしていたに違いない。
アリアはどう思ったんだ?
どちらでもいいと言われたら、俺とカイルのどちらを選んだんだろう?
彼女は子供の頃から美しくて、誰もが触れたくなるような子だった。
どこの令嬢と比べても、ダントツだった。
——帝国一の公爵令嬢、それがアリアだった。
夫人教育で一緒に住むようになってからは、いつも笑いかけてくれたな。それなのに、俺は一度も良い態度を見せられなかった。
カイルといる時の笑顔の方が自然に見えたりしてな。
子供のくせに嫉妬してたんだろう。
器が小さいまま成長して、今じゃこの有様だ。
戦地から帰った時だってそうだ。
本当なら、アリアを抱きしめて「ただいま」と言ってやるべきだった。
それなのにアリアに何を期待したんだろう?
イザベラがでしゃばるのは分かりきったことで、出迎えの時の状況は想像したとおりだった。だが——『アリアが傷付くだろう』という事実に対してだけ、知らないふりをした。
俺は……そこまでしてでも、アリアが嫉妬するのかを確かめたかったんだ。悲しいことに、それだけは言い切れる。
自ら進んで、最愛の妻に嫌われにいったんだ。
妻の本心を知りたくて。
クズ以外の何者でもないな——。
◇◇◇
「公爵閣下、ご機嫌いかがでしょうか」
「ああ、調子はいい。今日は街へ行ったと聞いたが、買い物か?」
また目も合わせずに声をかけてしまった——。
「公爵様、仕事にも信頼関係が必要です。引き継ぎは、目を見てお話をなさるべきではありませんか?夫婦生活においては強要いたしませんが……」
よそよそしい声だな。
アリアの声一つでこんなに胸が締めつけられるなら、もっと好かれる努力をすれば良いものを——俺はいったい何がしたいんだ?
「そうだな。気をつけよう」
「ありがとうございます。資料を取りに立ち寄りましたが、私はこのまま休ませていただきます。また明日、宜しくお願い致します」
笑顔でお辞儀をすると、アリアは執務室を出て行った。
「結局、街へ行った理由は教えてもらえなかったな。愛人のことを教えなかった仕返しか(笑)」
いつもどおり上手くいかないな。
俺はこれからもずっと、こうして落ち込み続けるんだろう——。
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