10. 窃盗犯は公爵閣下でした
——もしも私がすぐに離婚してここから出て行ったら?
最近は非現実的なことを考えては、体を強張らせる毎日だ。
「疲れたわ……」
部屋に戻るなり、私はドレスのままベッドに倒れ込んだ。
身体が重くて、筋肉が張っているみたい。
「お疲れ様でございました。お茶をご用意します」
専属侍女のパメラが、私の戻りを待っていた。
労ってくれる人がいる、それはとっても幸せなこと。
「ありがとう。明日から引き継ぎを始めるから、しばらくは遅くなるわ」
「ルドルフ様への引き継ぎですか?」
「そう。ようやく代理業から解放されるの~!」
——と言いつつ、憂鬱な様子を隠せなかった。
毎日顔を合わせることが確定したようなものだから、憂鬱になるのも当然。
「全ては、あの女のせい!」
パメラはイザベラの名前を呼びたがらない。
この愛人劇を、自分のことのように怒っているから。
「ルドルフのせいでもあるわ。男と女の関係は一人じゃ結べないんだから、どちらか片方だけを責めるのは不公平な話よ」
「そうかもしれませんが……気に入りません!」
「パメラ、お湯を用意してくれる? 身体を温めて早く寝たいの」
パメラが入浴の準備をする間、鏡に映る自分を眺めた。
透けるような金色の髪に白い肌、どこを取ってもイザベラに大敗するような要素は見当たらない。考えれば考えるほど気が滅入るから、鏡に映らない位置に移動することにした。
「ん?? 何かが違う。何だろう?」
移動して座った位置から一番よく見える飾り棚、そこに違和感を感じるのだが——違和感が何かまでは分からない。
「お風呂の準備ができました」
違和感のことは、ひとまず忘れよう。
パメラとバスルームへ移動して、入浴の手伝いをしてもらう。
「そうだ……今日はマッサージしてもらおうかな。首と肩が痛いの。『アリア』を使ってくれる?」
「お任せください!すぐにご用意いたします」
疲れた、ほんとに。
ルドルフって——ほぼ公爵やらずに出征したわよね。
業務内容を覚えているかすら怪しいもんだわ。
そもそも頭良かったっけ——??
「奥様、大変です!!『アリア』が減ってます!」
考え事でボンヤリしていた私はその声に驚いて、ザッパーンとバスタズの湯を揺らしながら立ち上がった。
裸で仁王立ちになる私を、パメラが慌ててバスタオルで包む。
「え?なに??」
「未使用が9本あったはずなのですが、6本しか見当たらないんです! 3本……どちらかへお持ちになりましたか?」
「どこへも持って行かないわ」
さっきの違和感、それだったのね。
誰——?
誰が持って行ったの?
考えても答えは出そうになかった。
——寝たと思ったら朝だった。ていうか、寝れなかった——。
「待たせたな」
ルドルフが颯爽と現れる。
相変わらず、全く目が合わない。
「疲れは取れましたか?」
私もルドルフの方を見ずに声をかける。
ちょっとした仕返しだ。
そのまた仕返しだろうか? 返事がない——。
「引き継ぎのスケジュールは?」
「一日の拘束時間は長くなりますが、短い期間で引き継ぎたいと考えております」
私は、とっとと引き継ぎを終わらせたい。
なるべく早く、ルドルフに会わない日を迎えたいからだ。
「いや、すまないが一気には無理だ。俺の頭がついていかない。一つ一つ納得して進めたいんだが、それでは嫌か?」
「嫌ではありませんが、私も早く解放されたいもので……」
「そうか……」
「でも構いませんよ。幸いにも、夫人としての仕事が多くない時期ですし。考え方によっては、納得して進める方が後々のご質問は少ないでしょうから」
私はどこか吹っ切れたような気持ちになって、ぶっきらぼうに返した。
それに対しルドルフは沈んだ表情で——。
それがなぜか、とても印象的に私の心に残った。
「どうかなさいました?」
「いや、なんでもない」
「では、まずは騎士団の報奨について」
騎士団のことは、出征時から気にかけてきたことだ。
出征は北部が雪深くなる前のことだった。
それは、領地が一番大変な時期に男手が不足することを意味していた。
手遅れになる前に——騎士団の出発後すぐに私は、彼らの家族に対し準備金を用意したのだ。給付に必要な書類を代筆する担当者も領民から選出し、雇用も創出した。そして、終戦を迎えるまでの5年間、毎年一定額の支援金を給付して騎士団の家族を支え続けたのである。
その際のことを公爵閣下に説明し、公爵代理として行った判断について報告しなければならない。ルドルフの反応は気になったけれど、私は落ち着いて説明を終えることができた。
「君の案だったのか?」
「そうです」
「よくやってくれた」
とても短いけれど、予想に反して温かい言葉だった。
上からな物言いは、機会があれば注意することにして——。
評価を得たことについては素直に嬉しい。
「ありがとうございます。これ以降は全員が受け取る報奨金とそれぞれの活躍に応じた褒美の品について、閣下のご判断が必要になります」
「誰に相談すればいい?」
「先代の公爵閣下より以前の資料を参考になさるか、バーナードとご相談なさるのが良いでしょう」
「そうか…分かった」
「では、本日はここまでにいたしましょう。私は少々解決しなければならないことができましたので、これにて失礼致します」
「何かあったのか?」
「閣下にご心配いただくまでもないことです。私の部屋から私物が持ち出される事態が発生しまして。詳細を調査したうえで、犯人を突き止めなければなりません(……なんで興味を示すのかしら?あぁ早く出て行きたい)」
「何が持ち出されたんだ?」
「オイルです。西部の友人が私を想って栽培してくれている薔薇があって、その薔薇で作ったオイルを贈ってくれるのです。『アリア』と名付けてもらったことも嬉しいのですけれど、薔薇そのものが本当に希少なものなので」
「そうか……」
なぜかルドルフは一気に沈んだ様子
うつむいたまま何かを考えているようだけれど、今の私にはそれに付き合う時間がない。
「閣下が気を揉まれる必要はございません。では、これにて…」
——私が最後まで話し終える前に、ルドルフが遮った。
「待ってくれ!そのオイルを持ち出したのは……俺だ」
「なぜそのようなことを!?」
「申し訳ない。実はイザベラが欲しがってな」
「……はは(笑)それが理由ですか?本当に??これは立派な窃盗ですよ!地下牢へ行くことになってもよろしいのですね?なぜ私に一言「欲しい」と言って下さらなかったのです?何もかも理解に苦しみますわ」
怒りが込み上げる以上に、呆れすぎて途方に暮れていく。
もっと問いただすべきか?このまま許すべきか?——分からないまま、私は黙った。
「本当にすまない。そんなに大事なものだとは知らなかったんだ。イザベラのために譲ってほしいと、君に頼む勇気がなかった。彼女はまだ環境にも慣れていない。唯一頼れる俺にわがままを言いたかったんだろう。あぁ見えて可愛いところもある……今回は取り返さずにおいてくれないか?」
「取り返す取り返さないの問題ではないのです。たとえ家族であっても、誰かの物を断りもなしに奪うのは……いけないことだという常識は、閣下には通用しないのですか? 私の夫はそんなに低俗な人間なのでしょうか?」
「……夫か。心から詫びよう。こんな人間を夫と呼んでくれたことは、状況的に見ても感謝すべきことだ」
「ご丁寧にどうも。しかしながら、そんなことはどうでも良いのです。知りたいことは、他にもございます。そもそもイザベラさんは私のオイルについて誰から聞いたのでしょう?」
「使用人からだと言っていたな」
「それは……おかしいですね。別邸の使用人は全員、閣下のご指示で新しく雇った別邸専属の者たちです。本邸の私について、誰も詳しいはずがないのですよ。安全上の配慮で、本邸と別邸の使用人の交流は控えるよう通達も出してありますし」
「ずいぶんと……警戒されているんだな」
「当たり前ではありませんか!? 閣下からは、イザベラさんが何者なのかすら……教えて頂いておりません。それにもかかわらず、言われるがままに別邸に住まわせているのですよ? 公爵家に万が一の被害がないよう、警戒する以外の選択肢はありませんわよね?」
「君の言うとおりだ」
「閣下が盗みなどしなければ、こんな追求の必要はなかったのに……。残念ですわ。本邸で自分の生活を守れれば、私は閣下と彼女のことに口を出す気など全くありませんでしたから。良い機会ですので、確認させてください。イザベラさんは閣下の愛人なのですよね?」
「あぁ、そう思ってくれていい」
「はっきりと教えていただき、感謝いたします。お二人のことは、お二人で自由に決めていただいて構いません。その代わり、全て別邸の中で済ませてくださいませ。では、これにて失礼いたします」
最後は得意の『公爵夫人らしい笑顔』で。
優しく気持ちを伝えたのだから、拒絶反応などないわよね。
萎縮せずにちゃんと理解して、彼自身が心に受け入れないと意味がない。
私の方は、言いたいことを全て言った。
愛人だと断言さえしてくれれば、こちらにとっては逆に楽。
どうぞご勝手に!といったところだ。
執務室から出ていく私の足取りは、どこまでも軽かった。
背中に羽でも生えたかのように軽快だ。