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志村と堅洲の夜

作者: 折田高人

 夕日が地平線に沈み行く。

 世界を染める赤が黒へと飲み込まれ行く中、一人の男がバイクで公道を走っていた。

 スピード違反もなんのその、擦れ違う車から不振と軽蔑の目を向けられているが、男は気にした様子はない。

 否、気にしている余裕が無いのだ。

 ヘルメットの奥、隠された顔には明らかな焦りの色が浮かんでいた。

 彼の名は志村圭吾。

 携帯電話に送られてきた知人からのメールを見て、慌てて堅洲に向かっている最中であった。


 艶やかな黒髪が左右に揺れる。

 何とも楽しげな表情で、軽やかな足取りを見せる女性が一人。

 これまでと変わらぬ日常が、これからも続いて行くと信じているかのような能天気さだ。

 そんな彼女を路地裏から見つめる男が一人。

 下卑た視線に獰猛な笑みが、何も知らない女性を付け回す。

 男の名は友石朴人。ここ最近世間を震撼させている指名手配犯である。

 これまで幾多の女性を犯しながら殺害して回る野獣のような男。犠牲者の遺体は、人間の仕業とは思えない程に損壊している有様であった。

 とは言え、そんな行為が表沙汰にならないわけも無く。今、彼は警察から逃走している最中だった。

 潜伏先にここ、堅洲を選んだのには理由があった。一般人はもちろんの事、警察でさえも忌避している堅洲町。大人しく身を潜めている限りは、見つかる事は無いだろうと踏んだのだが。

 堕落した性欲を抑えるのが限界に来ていた。ほとぼりが冷めるまで隠れているのが賢明だと言うのは理解しているのだが、これまでの犯行の高揚が魂に刻まれた友石は、その理性が本能に負けつつあったのだ。

 また、資金面でも問題があった。始まりは趣味で始めた凶行の数々であったが、何時からか実用を兼ねた犯行になっていた。無論、犠牲者の財布を漁る事は忘れない友石ではあったが、得られる資金的に不確定要素の高いこの行為に関しては、然程期待してはいない。

 兎に角、今。汚れた魂の欲求を満たすべく、犠牲者を見繕っていたのである。

 目に掛けたのは、何処かのんびりした様子の女性だった。

 荒事などには全く向かないであろう、おっとりとした女性。

 その平穏を享受する表情が歪み、死への恐怖で泣きわめく姿を想像すると、今にも襲い掛かりたくなる。

 しかし、今は物事を大事にはしたくないという理性も微かにではあるが働いていた。

 結果、人気のない路地裏を移動しながら、女性を引きずり込むタイミングを計っていたのである。

 チャンスは準備をしていた者にこそ舞い降りる。

 通りを散歩する黒猫に気を取られ、路地裏の前で足を止めた女性の腕を強引に掴み、路地裏の奥で押し倒す。

 女性に馬乗りになり、口を片手で抑える友石。女性の方は何が起こったのか理解していないのか、抵抗する素振りを見せない。

 これではあまり面白くない。獲物の恐怖を堪能するため、空いた片手で大ぶりのナイフを目の前でちらつかせ……躊躇なく女性の掌に突き刺した。

 流れ出る血潮と、痛みに震える女性の肢体。次に来るのは当然、それらだと認識していた友石だったが。

 引く抜かれたナイフから零れ落ちたのは螺子と歯車。カランコロンと音を立て、路地裏を転がっていく。

 一体何が起きたのか。友石の驚愕はそれに留まらなかった。

 先程までは確かに跨っていた女肉の柔らかさを感じていたはずなのだ。しかし、今感じるのは無機質な感触の何か。

 チクタクチクタク……ギーコギーコ……ギッタンバッタン……。

 奇妙な音と共に友石に伝わる機械の振動。

 女性と目が合った。時計の秒針が瞳の中を狂ったようにグルグル回る。

 鉄の骨組みが露出した手が、友石に伸びる。

 機械仕掛けの化け物女。

 友石は慌てて跳ね上がり、路地裏の外へと逃げ出した。


 コロコロと転がっていた螺子と歯車が、意思を持つかのように本体へ。

 立ち上がったその姿は、まごう事無き人間の女性のものだ。

 身体に付いた埃を払った女性は、携帯電話を取り出す。

「……もしも~し、牧師さんですか~? 私、トイショップ雅各の平賀ナミです~」

『おや、ナミさん。車輪党で何か問題でもありましたか?』

「いえいえ~。今回は個人的なお話でして~。たった今、変な人に襲われまして~。そのお顔、何処かで見たと思ったんですけど、ニュースで見た指名手配犯さんでした~。確かお名前は友石朴人さんだったと思いますけど~」

『ほう。ご連絡有難うございます。ふむ……女性連続強姦殺人の指名手配犯ですか。ここ最近、こういう凶悪犯が堅洲に来なかったので、鯖江道の皆さんきっと喜びますよ』

「はい~。お役に立てて光栄です~。ではでは~」

 電話を切って路地裏から出るナミ。

 一部始終を眺めていたのだろう、黒猫が金色の瞳を波に向けている。

「あら~どうしたの~ハミちゃん?」

 黒猫は友石が逃げ去ったのであろう方向を手で示す。

「食べていいかって? ダメだよ~ハミちゃん。アレは堅洲町の皆のモノなんだから我慢してね~。代わりに何か奢るってあげるよ~。付いてきて~」

 そう言うと、ナミは何事も無かったのような軽い足取りで、黒猫を伴いながら商店街にある我が家へと向かうのだった。


 夜の鯖江道を友石は逃げていた。

 一刻も早くこの町を出なければならなかった。

 唯一の味方ともいえる志村には既に救援のメールを送っていた。

 かつて自身の犯行現場を志村に目撃された友石だったが、無残に損壊し尽くした遺体を目にした彼から思ってもいなかった言葉を投げかけられたのだ。

「興奮するな……血が滾る。お前、良かったらその芸術品を写真にして俺に送ってくれないか? 謝礼は弾むぞ?」

 以降、自らの犯罪行為の犠牲者を写真に撮っては、志村に送信していたのだ。

 信じられない程の高額を支払ってくれる上客。

 指名手配犯である友石にとって、信頼できるのは犯罪の秘密を共有するこの男以外には存在しない。

 友石はただの人間など怖くはなかった。警察も余裕で撒けるし、例え襲ってきても返り討ちに出来るのだという根拠のない自信が胸の内にあった。

 だが。

「お主等はそっちを探せ! 絶対に逃がすでないぞ!」

 黒いローブに身を包む一団に指示を出す人影一つ。

 全身を隠し覆い包むローブの中から聞こえる声から男だという事だけは分かったのだが、その目的に関して友石は耳を疑った。

「獲物の名は友石朴人、死刑確定の犯罪者という事は確認済みじゃ! 牧師殿からもしっかりと許可を得たからのう! 久しぶりに人身御供が出来るわい! ダゴン様! ハイドラ様! 見ていてくだされ! この蔵人、必ずや生きのいい供物を用意して見せますぞ!」

 真っ当な人間ではない、カルト組織の追手が自分を追っている事実に心底震える友石。

 流石に剛力で成る彼でも、狂人にして狂信者の群れになど関わり合いたくないというのが正直な感想であった。

 それにしてもどうしたものか。

 今、自分の目に映るのは蔵人とかいうローブの男がただ一人。この男が率いていた他の連中は全員町に散って行ったようだ。

 好機なのかもしれない。あの狂人一人なら何とかなる。

 覚悟を決めてナイフを握り締めた友石だったが。

「……殺気!」

 その言葉と共に身を仰け反らせる蔵人。怪鳥音と共にギリギリ頭上を掠める飛び蹴りを躱す。

 地面に降り立ったのは黒衣の僧侶の姿だった。豊かな白髭にサングラス。その奥では翡翠色の瞳が蔵人に挑発的な視線を送っている。

「何の用じゃ弁慶、このクソ坊主が!」

 黒衣の僧侶は憤る蔵人の姿を嘲笑するように笑う。

「カーッカッカ! 悪いが友石とかいう悪漢はわしが戴く! 警察に突き出し懸賞品にしてくれるわ!」

「何じゃとこの生臭坊主め! 金の色気に迷うなど、仏教徒として恥を知れ恥を!」

「確かに懸賞金は欲しい。地獄の沙汰も金次第と言うしのう。じゃが、それ以上に重要なのは……お主の邪魔をする事よ! ダゴン殿に御免なさいする準備をしておく事じゃな!」

「外道があああ! このクソ坊主! 今日と言う今日は勘弁ならん!」

「返り討ちにしてくれるわあああ!」

 煽る坊主に激昂する黒ローブ。出るタイミングを逃した友石は呆気にとられてその様子を眺めていた。

 そんな中、静かな声が狂人二人に掛けられる。

「……今度は何を争っているのですか? 今は夜ですし、余り大声ではしゃぐのは如何なものかと思うのですが……」

 黒衣の二人が声の先に振り返ると金髪の青年がそこに居た。眼鏡から鋭く切れ長な瞳は、二人の醜態に呆れた様子を見せている。

「ギル殿ではないか」

「何じゃギル坊。お主がこんな夜中に出歩くなんて珍しい」

 蔵人にギル坊と呼ばれた青年。ギルバート・ストーンは溜息をつきつつ流暢な日本語で答える。

「友石朴人、でしたか。あなた方と同様、我が団体も件の指名手配犯の確保に動いています」

「ふむ? JICがかの? お主等がこう言った捕物に参加するなど何があったのじゃ? 資金難で懸賞金を狙っているとか?」

「いえ。資金繰りに関しては順調です。問題なのはセキュリティ方面の事でして……」

 JIC。ジャスト・イン・ケース団はギルバートが代表を務める民間魔術結社である。

 ここ鯖江道では無数のオカルト結社が拠点を置いている。

 神秘が失われつつある現代において、武藤の魔王が無尽蔵に生み出す魔力により、魔力無しでは生きていけない者達にとって堅洲は砂漠の中のオアシスと化していた。

 当然、その噂を聞き付け恩恵を得ようとした様々な魔術師達がこの地に移住してきたのだが、その全てが堅洲に根付いたという訳ではない。

 規則違反をした者、魔術的儀式に失敗した者、敵対勢力との融和に我慢が出来なかった者……あらゆる理由で破滅していった個人や魔術結社も多かった。

 さて、そんな壊滅した魔術結社であるが、時折厄介な置き土産を残していく事がある。

 所有者の居なくなったアーティファクトが、何らかの理由で暴発して怪異を起こす事例が過去に多発したのだ。

 その現状を憂いたのが、当時フリーランスの魔術師としてアメリカから渡ってきたギルバートであった。

 彼は早速、星の智慧派教会や武藤の一族からの協力を仰ぎ、危険なアーティファクトの回収と保管を目的とした魔術団体JICを立ち上げたのである。

 彼らの賢明な活動によって、堅洲ではアーティファクトが原因の事件が大幅に減少。今の鯖江道が魔術に関係のない一般人で安全に行動できるのも、偏に彼らの活動のお陰と言っても過言ではない。

 JICによって回収されたアーティファクトは、処分される事無く厳重に保管される。危険なアーティファクトであっても、使い方次第では堅洲で発生する怪異に対して有効な切り札になるからだ。

 万が一に備えて、危険なアーティファクトを保管する。だからこそ、彼らはセキュリティの強化には随分力を入れてきた。

 結果、そのセキュリティの強固さは鯖江道一だと他の組織からも認識されているのだが。

「これまで驕っていたわけではありません。常にセキュリティを強化すべく努力してきたのですが……つい最近、あんな事件がありましたからね」

「ああ、こやつの神像が奪われたアレか」

「うむ、クソ坊主が仏像を奪われたアレじゃな」

「「何じゃと、このクソ爺!」」

 互いをディスり合い激昂する二人組を相手に首肯するギルバート。

 ここ最近、シオンと名乗るトヨールの幼女が鯖江道の魔術師宅や魔術結社に人知れず忍び込み、アーティファクトを窃盗するという事件が起きた。

 この事件はJICを驚愕させる事となる。

 被害に合った魔術結社なども当然の事ながらセキュリティ意識ははっきりとしていた。JIC程厳重ではないとはいえ、一般的な組織から見たら過剰なまでの魔術的セキュリティが施されていたのだ。

 それがあっさり突破された。

 幾重にも張り巡らされたセキュリティは侵入者であるシオンに何の反応すら示さずに、悠々をアーティファクトの持ち逃げを許してしまったのである。

「正直、うちの保管していたアーティファクトが無事だったのは偶然に過ぎません。偶々、彼女が我々の保管庫を狙わなかっただけなのです。正直、神父殿が窃盗事件を解決していなければ、我々も被害を出していたでしょうね。だからこそです。これまでよりも一層セキュリティを厳重にしなければ」

「うむ。それは分からんでもない。して、何故この指名手配犯を欲しておる?」

「ええ。栄光の手を用いたトラップを試してみようかと。だから、犯罪者の手が欲しいのですよ」

 栄光の手とは、絞首刑となった男の左手から作られる燭台だ。金縛りの魔力を秘めており、本来ならば賊が盗みに入る際に用いられるアーティファクトなのだが、ギルバートは逆にこれをセキュリティ強化に用いるつもりらしい。

 ギルバートの目的を聞いた蔵人はフードの中で嬉しそうに声を上げた。

「そうかそうか! つまり欲しいのは彼奴の手のみと! よしギル坊、わしと組め! わしが欲しいのは身体の方じゃからのう、手は譲ってやるわい! これでニ対一じゃ、ざまーみろクソ坊主!」

「何じゃとう! か弱い老人に二人掛りで寄ってたかってからに! 負けん……お主等なんぞにわしは負けんぞ! フンヌゥ!」

 その瞬間を目撃した友石の目は驚愕に見開かれる。

 弁慶の身体は掛け声と共に膨れ上がり、原型を留めない程に蠢く肉塊と化し……それが収束していく。

 そこに居たのは人間とは似ても似つかない、どことなく烏賊を思わせる二足歩行の怪物だった。無数の触腕が敵意を露わに戦慄き、放射状に広がるその姿は異形の千手観音を思わせる。

 視界に入るだけでも正気を削られそうな悍ましさ。原型を留めない程に損壊した死体に慣れていた友石ですら、吐き気を抑えるのに精いっぱいだった。

 そのような怪生物を前に、しかし対峙する二人は全く動じる様子が無い。

 次の瞬間、蔵人は黒ローブを脱ぎ捨てた。

 友石の吐き気が加速する。

 ローブの下から現れたのは断じて人ではなかった。ぬらぬらと月光を反射する鱗。水かきと鉤爪が目立つ大きな手。地獄の海の底からやってきたような半魚人こそ、この男の正体だった。

 ギラギラと見開かれた魚眼が蠢く触手を挑発している。魚人はそのまま水かきの付いた手で鋭い鉤爪が光る中指を突き立てた。

「こいやクソ坊主!」

「上等じゃあああ!」

 かくして始まる大決戦。触手が鞭のように唸り、鉤爪が空を裂く。

 友石は限界だった。

 異形の怪物同士の争いに背を向け、急いでその場を後にする。

「あの……俺は一体どうすればいいんでしょうか? と言うか勝手に敵味方の認定するのはどうかと……聞こえてますかお二人さん? おーい?」

 困惑するギルバートの訴えが耳に入る。

 友石は耳を塞ぐ。

 人間に化けていた怪物の姿を見たのだ。それに動じないあの金髪の青年も、悍ましい怪音と共に怪物に化けかねない。

 これ以上あそこに留まれば、頭がどうにかなりそうだ。ましてや、あの怪物どもに自分が狙われているとなれば。


 友石は愕然とした。

 月明かりの下で、蠢く影が鯖江道に満ちている。

 ここにいる連中が全て、自分を狙っているというのか。

 路地裏で戦慄していると、隠れている自分に気が付かずに立ち止まり、世間話を始める男達が見えた。

 蔵人が指示を出していた黒いローブの男と、弁慶と同じような装束の坊主だった。

「悪いね運慶。宝嶺寺の皆にも手伝わせちゃってさ。でも良いのかい? 獲物を僕らに引き渡しても懸賞金は貰えないよ?」

「いいんですよ、サム殿。私達の目的は町の治安維持。懸賞金なんて住職が蔵人殿に絡むための口実に過ぎません」

「なんだかなあ……うちの長老もそっちの住職さんも、普段は尊敬できるのになあ……」

「全くですよ……二人揃った途端に知能指数がだだ下がりになるのは何とかして欲しいですよね……」

 溜息をつく二人の狂信者。

「それにしても他の組織の皆さんも張り切ってますねえ」

「まあ、人間を使って儀式を行う機会なんて滅多にないしね。無辜の人間を犠牲にするのはダメだってのは武藤が定めた事だけど、ちゃんと人身御供の機会も与えてくれるんだから有難いよ。悪党もただ死刑になるよか有意義な死を迎えられるし、万々歳さ。もっとも、需要に対して供給は少ないから、争奪戦になるのは仕方ないよねえ。長老は久々に人を供物に出来るって張り切っているけどさ、捕らぬ狸の何とやらにならなきゃいいけど」 

「……おや?」

「どったん?」

「JICの方々がいますね」

「本当だね。今度の指名手配犯、アーティファクトでも持っているのかな?」

「……こちら側の住人だとは聞いていないなあ。君々」

 サムの言葉に応じたJICの職員。東欧系の美女だ。

「何ですサムさん。またナンパですか? 今忙しいのですが」

「ははは。ナンパはまた今度。いや何、JICが何をしているのかなって気になってさ」

「ええ。実は所長が……」

 その話の内容は、友石が先程盗み聞きした内容のそのままだった。

 それだけならまだいいが、彼らの会話から聞くに栄光の手とやらは絞首刑となった犯罪者の手を使って作るとかなんとか。

 サムは必要なのは手だけなんだし、一緒に協力しないかと蔵人と同じ提案をしながら美女を口説いている。

 冗談ではなかった。人身御供に絞首刑。連続殺人鬼である自分が言うのも何だが、こいつらに人としての倫理観はないのか。そこまで考えて、友石は首を振った。

 そうだった。こいつらは人間かどうかも怪しかったのだと。人外の存在が人間の法など守る必要はないのだ。

 一刻も早くこの町を離れなければ。友石は路地裏を引き返し、人目を避けるように闇の中を駆ける。

 路地裏を抜け出した瞬間、友石の額を掠める何か。額を伝う血の熱さも、恐怖と驚きの念から冷める。

 目の前に突き刺さる金属製の鋭い棘。あと一歩踏み出していたら、自らのこめかみは確実に射抜かれていただろう。

「おっと、外したか」

 声の方向に振り返ると、そこには金髪碧眼の優男の姿。

 にっこりと笑いながら、友好的な態度で語り掛けてくる。

「やあやあ、ミスタートモイシ。ようやく見つけたよ」

 そう言って手を翳すと突き刺さっていた棘が独りでに抜け、吸い込まれるかのように優男の掌に納まった。

 震えて萎えそうな心を精一杯震わせて何の真似だと友石は激昂するが、優男はそんな怒りなどどこ吹く風の様子であった。

「いやいや。僕はジョン・スミス。君の味方だよミスター。僕は君を同胞にしに来たんだ」

 友石には何を言っているのか理解できなかった。

 明らかに頭部を狙って物騒な凶器を投擲してきたのだ。どこをどう見れば味方という言葉を信じられるというのだろうか。

「さあ、大人しく我が神の恵みに身を委ねたまえ。そうすれば……我が同胞達と同じく、永遠の生を得られるのだ」

 友石は漸く、自分が囲まれている事に気が付く。生ける者の吐息も感じられない夜の静寂の中、何時の間に自分を取り囲んだのだと周囲に目をやった友石は絶叫しそうな声を必死に堪えた。

 どうりで吐息も感じないはずだった。自分を取り囲む者達は人間だ……否、かつて人間だったモノだ。虚ろな瞳をこちらに向けるのは紛れもなく死者の群れ。迫るゾンビ達が友石との距離をじわりじわりと詰めている。

「何、痛みは一瞬だよ。我が神棘をその身に受ければ、君も彼らの仲間入りだ」

 自らの心臓に狙いを定めながらにじり寄る、笑顔の優男。

 逃げられない。もはやこれまで。絶望が友石の心を支配する。自分もこんな化け物の仲間入りを果たすのか。

 その時だった。けたたましいエンジン音を響かせながら、ゾンビの群れを蹴散らして乱入する大型バイク。

「ああ、みんな!」

 弾き飛ばされたゾンビを見て慌てる優男。

 そんな隙をバイクに跨るヘルメットの男は見逃さない。

「乗れ!」

 その声が、絶望で固まっていた友石の身体を動かした。

 無我夢中でバイクの駆け寄る友石。

 彼が乗り込んだのを確認した乱入者は、即座にバイクを発進させる。

「ま、待ちたまえ!」

 逃す訳にはいかない。折角、合法的に同胞を増やす事のできるチャンスなのだ。

 ただの一般信者を集める事ですら決まり事がある堅洲町である。

 以前、武藤や神父の目を盗んで魔術的手段で信者を得ようとして大目玉を食らい、武藤姉妹から顔面が剝がれるかのような威力の斧爆弾をお仕置きとして容赦なく叩き込まれたジョン。

 普通の信者ですらきっちりと規則によって守られている以上、ゾンビ化などと言う方法での同胞の会得が普段なら許されるわけがないのは十分理解できた。

 流石に武藤のお仕置きを再び受けるのは勘弁なジョン達にとって、今回の犯罪者狩りはまたとない天恵だった。

 折角の機会をふいにしてなるものかと必死になって追いすがるジョンとゾンビ達だったが……そんな願いも空しく、バイクは遥か彼方へと走り去っていった。


「ちっ……こっちも行く手が塞がれてやがる」

 夜の堅洲を爆走する二人乗りのバイク。

 どうにかして堅洲から逃げ出したい二人であったが、思った以上に情報の巡りが早い。

 堅洲を抜け出すための道に屯するカルト組織の群れを見るに、狩人全体で友石達の情報が共有されているらしい。

 逃走ルートは悉く塞がれていた。

 今、二人は明らかにカルトに決められたルートを誘導されていた。

 見晴らしのよい高台にバイクを乗り付けた志村は、突如としてエンジンを切る。

 バイクを降り、ヘルメットを脱いだ志村は高台から街を見下ろし、こちらに迫ってくる怪人達の群れを認めて首を振った。

「チェックメイトだな」

 諦めるのかと志村に掴みかかる友石を、志村は冷ややかな瞳で見つめている。

「あの様子を見てまだ逃げられるとでも? 現実を見ろ。お前の悪行もこれまで。警察に自首でもしとけばもっとマシな死に方ができただろうが……残念だがここが潮時だ」

 志村はもはや逃げる様子を見せようとはしない。友石がいくら罵倒しようと、どこ吹く風だ。

 どうしてあんな連中の捕囚になる事を受け入れられようか。友石は一人でも逃げる覚悟を固める。

 逃げるための足は幸い目の前にある。全てを諦めたこの臆病者には必要あるまい。ましてや、あんな連中に無防備に命を晒すつもりなら、命すら不要なはずだ。

 たとえ逃げきれても、捕らえられた志村から情報を引き出した連中が町の外まで追ってくる危険性もあるなら排除する必要がある。

 友石はナイフを握り締め、この裏切者を保身の為に殺す覚悟を決め……ごとりと、志村の身体から何かが落ちた。

 ゴロゴロと友石の足元に転がってきたモノを、彼は直ぐには認識できなかった。否、脳が認識を拒んだのだ。

 見慣れたモノがそこにあった。何度も何度も眼にしていた、よくよく見慣れたモノが転がっている。

 つまらなそうな表情を浮かべた志村の顔が、虚ろな瞳で友石を見上げている。

 目の前には首を失った志村の身体。それがゆっくりと動き出す。

 足元に転がる志村の首と、首のない志村の身体を交互に視界に収めながら、呆然としている友石。

 志村の身体が掌を友石に広げて見せる。亀裂が現れ、掌に形作られたのは鋭い歯を覗かせる濡れた口。

 顔面に押し付けられたそれが、友石が最後に見た光景となった。


 静かな高台に響く咀嚼音。

 血溜まりの中に転がる友石の片手。それを拾い上げ、掌から伸びる舌が一滴すら逃すまいと滴る血を舐めとっていく。

 突如、高台に絶叫が響き渡った。。

 絶望に打ち震えた声の出所を探ってみると。

「うおおお……わしの獲物が……ダゴン様達への供物があああ!」

 地面に突っ伏して頭を抱える魚人の姿。そして。

「ぬははは! ざまあ! ザマア! ザ・マ・ア!」

 無数の触腕で魚人を指さしつつ、鬼の首を取ったかのように煽りに煽る烏賊怪人。

「貴様あああ!」

「来いやあああ!」

 そのまま戦いに突入する老人達。年寄りは二度目の子供という言葉を思い起こさせる大人げなさであった。

 何時の間にか集まっていたカルト組織の集団が、早速どちらが勝つかを賭けて野次を飛ばしている。

 獲物を取り逃がした事実からの現実逃避か、それとも切り替えが早いだけなのか。先程までの静けさとは正反対の騒がしさであった。

 そんな騒がしい一団から離れ、志村に声を掛ける男が一人。JIC団のギルバートだった。

「あの、すみません。貴方にお願いがあるのですが……」

 落ちていた首を拾い上げて元の位置に戻した志村。

 何の話かと怪訝な様子で、手にしていた友石の片手を掌が貪り尽くす。

 その様子を見て、ギルバードの顔が落胆に染まった。

「ああ……その手を譲って欲しかったのに……」

 がっくりと肩を落とすギルバート。

 志村の視線は盛り上がるカルト集団に混ざる、一人の男に注がれていた。

 恨みがましい視線を向けるギルバートに、これをやるから諦めろとばかりに掌に口の付いた手を象った彫刻を投げ渡す。

 果たしてこれはどう使うのかと奇怪な彫刻を繁々眺めているギルバートを背にし、志村はゾンビ達と共に声援を送るジョンへと語り掛けた。

「おい、お前」

「ん? 何だね? 入信希望かな?」

「ちげーよ。お前が持ってるその棘……」

「これがどうかしたのかね?」

「湖畔の奴から貰った奴か?」

「おお! 我が神を知っているのかい?」

「んな事はどうでもいい。アイツを信仰しているって事は、お前ら黙示録は持っているのか? 何巻持ってる?」

「もちろん既刊は全巻揃えているさ!」

 輝く笑みでサムズアップするジョンに、志村は頭を抱えた。

 恐れていた事がとうとう起こってしまったのだと、目の前が暗くなりそうだった。

「……十二巻は読むなよ? 絶対に読むな」

「フリかい? 就寝前にでも読めばいいかい?」

「フリじゃねーよ! 絶対読むなよ! 十二巻だけは広めるな!」

 念入りに注意をして、志村はバイクに跨った。ヘルメットを被り、エンジンを入れる。

 怪老人達の激闘に盛り上がる集団にチラリと目をやり、溜息一つついて高台から走り去った。


 本当に大変な夜だった。

 まさか養殖していた家畜が自ら狼の巣へと飛び込むとは。

 これまでに何度、この町で自分の獲物が横取りされた事か。

 それもあって、友石には堅洲に決して近付くなと念を入れて注意していたはずなのだが。

 志村は人間ではない。人間の堕落した、邪悪な魂を糧に生きる存在である。

 そのため、目に掛けた悪党達を支援し、魂が堕落しきった所で捕食。今までそうやって生きる為の糧を得てきたのだ。

 友石もその一人。わざわざ人間の金を掛けてまで自己中心的な邪悪な魂を育んでいたのだが、今回の騒動で育ち切る前に捕食する羽目になった。

 お陰でお腹は半分ほどしか膨れていない。味だって未熟な果実を齧ったかのような不満足感でいっぱいだ。

 それでも、腹が膨れないよりはよっぽどいい。本来なら堅洲に迷い込まれた時点で、今までの畜産の努力の全てが水の泡になる可能性が高かったのだ。

 それにしても。志村の表情は晴れなかった。

 様々なカルトが集まる堅洲町。何時かは来ると覚悟していたが、とうとうその時がやってきたのだと心が沈み込む。

 黙示録を聖典とする連中の出現で、忌々しいあの町に否応無しにも関わる事になりそうだ。

 奴らの聖典の十二巻は、志村を強制的に呼び出す魔力を持っているのだ。

 本来ならば家畜が増えると嬉々として呼び出されるところなのだが。堅洲に常駐する連中はどいつもこいつもルールには厳格、その上神々への信仰心や創立理念に邁進する真面目な狂人ばかりで、堕落させるのは不可能に近い。

 志村が飼いならす事の出来ない獣達。家畜化した連中に比べて味は粗野で魂の肉質も固く……正直、適切に飼育された家畜の味に慣れ親しんだ志村にとっては食べる気がまるで起きないのだ。

 うま味の無いだけならそれでも良いが、今回の騒動のように志村が丹精込めて育てていた家畜を食い荒らそうとする始末。狼顔負けの害獣共であった。

 そんな苦い思い出しかない町に、何で好き好んで関わらないといけないのか。自分の意思とは無関係に召喚されかねない事態に、志村の気分はどこまでも急降下。

 いっそ、堅洲を滅ぼしてやろうか。湧き上がる衝動を必死に押さえつける。

 出来なくはない。仮にも背徳の神と呼ばれた志村である。その気になれば、あの忌々しい町を更地にする事は可能だろう。

 しかしである。あの町に喧嘩を売るという事は、あの町を拠点とする全てのカルト組織と相手取る必要がある。つまり、彼らが崇拝する神々自体にも喧嘩を売る事になる訳で。

 流石の志村であっても、量でも質でも自分を上回る神々を相手にするのは不可能だ。そんな愚行を一時の感情で引き起こす訳にもいかず。

 出来れば呼んでくれるな。切なる志村の願いは果たして。

 徐々に明るくなってくる空の下、車通りの少ない道を志村のバイクがひた走る。この日の出が自分の心も晴らしてくれればいいのにと嘆息する志村だった。

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