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聖遺物

 先ほどと同じように彼女の乗るXRの後ろについて、ガレージがあるという別荘に向かった。相変わらず無駄のないスムーズなライディングだ。テクニックだけなら明らかに彼女の方が上だろう。


「まさかこれが別荘とか言うんじゃないよな?」

 走りながら、ここがガレージに使ってる別荘だと彼女が指したのは小高い丘の上に建ってるずいぶん立派な洋館。最初は映画とかの撮影用セットじゃないかと思ったほどだ。ファンタジーなんかによく出てくる貴族の館みたいなイメージだ。確かこの建物は、スキー場跡地からも一部見えてた。その時はスキー場のホテルより格上の、特別な客向けのホテルかと思っていた。近くで見るとやっぱり無駄にお金掛かってそうだ。玄関の石柱は本物の石だし、壁のレンガも、貼り付けたタイルみたいなのじゃなく、年季の入った本当のレンガっぽい。一歩間違うと成金趣味というかラブホテルに見られそうだが、賑わってた頃は格調高いと羨望されたのだろう。そんな時代だった。

「300年前に建てられた貴族のお屋敷よ」

本気(マジ)かよ?」

 唖然と見上げてた俺に、彼女は真面目な顔で説明してくれたが、さすがにそれはないだろ。300年前のこの地に、こんなヨーロッパ風の館があるはずない。騙されないぞという顔で見返すと、彼女は真面目な顔のまま続けた。

「不動産で大儲けしたある男が、わざわざヨーロッパで本物の貴族の館を買って、別荘としてここに移築したの」

「頭イカレてたのか?」

 ヨーロッパのどこか知らないが、現地の貴族の館を買い取り、解体して日本まで運んで、さらにこんな山奥まで持って来て組み立てたという事か?どれだけ費用が掛かるか想像もつかない。

「本当に狂ってるわね。どれだけ無駄なお金使えるか競い合ってたのかしら。そんな事やってれば、そりゃあバブルも弾けるわ。ここの主もすべて失って今も行方不明よ」

「それを今はあんたがガレージとして使ってるのか?」

「ご覧の通り、ここにあっても買い手なんてつかないでしょ。町に運ぶにもとんでもない費用掛かるし。私は要らなかったんだけど、お祖父様がレーシングカーのコレクションホールにちょうどいい、って引き受けたの。タダ同然で」

 維持するだけでも大変な費用が掛かりそうだが、もうツッコむのも面倒になってきた。それより気になるのはそのコレクションホールの中身だ。

「コレクションホールって、そんなにたくさんバイクあるのか?」

 ホンダコレクションとかトヨタ自動車博物館みたいなものを想像してしまう。

「言ったでしょ?ロードやオフロードのレーシングマシンが何台かあるって。それに四輪もあるわ。どちらかというと四輪の方が多いかしら。四輪はスペースも取るから減らしたいんだけど、手放すと二度と手に入らないらしいから反対されてるの。まあ、ホンダとかトヨタのミュージアムには敵わないけど、たぶんここにしかない希少なものも、あるわよ」


 建物に入ってまず目に入ったのは、白緑赤のAlitaliaカラーのランチアストラトス。子どもの頃、一番憧れたスーパーカーだ。近づき涎を垂らさんばかりに顔を近づける。もちろん触ったり舐めたりはしない。それくらいのマナーは心得てるつもりだ。

「あなたもこの車好き?お祖父様も一番のお気に入りだって一番目立つ所に置いてるわ」

 お祖父様はいい趣味している。

「でもこの車、格好いいけど運転が難しいのよね。ちょっと気を抜くとすぐスピンしちゃう」

 子どもの頃憧れたスーパーカーだと言ったが、ストラトスが実はスーパーカーのカテゴリーにないと知ったのはいつ頃だったろうか。

「ベースの市販車設計段階からラリーで勝つ事だけを目的に、快適性とか運転しやすさとか全部無視して、速さのみ追求した究極のラリーウェポンだからな」

 俺は興奮して、所有者の孫娘にしたり顔で語っていた。実車を見るのはスーパーカーショー以来で、もちろん運転などした事ない。思えばめちゃ恥ずかしい事言った。彼女は特に反応する事なく、先へ進む。案外やさしいな。

「二輪で一番お気に入りはこれ」

 黄色いヤマハのTZ500。黄色に黒のストロボライン、ヤマハインターナショナルカラーと呼ばれるカラーリングは、今でもヤマハのカラーはこれ!というファンも多い。俺もその一人だ。そしてゼッケン1はキング、ケニー・ロバーツの伝説のマシンだ。本当にケニーが乗ってたのならOW○○(数字は開発ナンバー)となる。2サイクル直列4気筒で、左右外側のシリンダーが後方排気で内側2気筒が前方排気という独特のチャンバーマフラーの取りまわしが格好いい。同じ形式でTZ500としてプライベートにも販売されていたので、それを黄色のヤマハインターカラーにしたものなら時々オークションサイトに出てたりする。これが本物のワークスマシンかどうか見分ける知識もないが、俺の中ではそんなのどうでもいいくらい世の中すべてのバイクの中で最高に格好いいバイクである。&ケニー・ロバーツはGP史上最高のライダーだ(個人の感想です)。

「実はこれ、市販のTZにカラーリングしただけのOWレプリカなのよね。本物は調子悪くて、今オーバーホール中なの」

 なんと自ら白状した。せっかく思い込んでいたんたから、わざわざ言わなくていい情報だ。って本物あるの!?

「そうだ!レプリカでよかったらこれ乗ってみる?」

 とんでもない事を言いだした。レプリカと言っても40年以上前の貴重なバイクだ。しかも2サイクル500ccレース専用車という今のMotoGPマシンとは比較にならない凶暴な暴れ馬。素人が容易く乗れるものではない。丁重に辞退しようとするが、

「オフロードあれだけ走れれば大丈夫よ。もし壊してもTZのパーツなら沢山あるから心配ないわ」

 まるで自分の嵌まってるゲームを友だちにも推める少年のようにキラキラした瞳で俺に乗らせようとする。絶対フルボッコされて恥かくパターンだろ、それ。

「これは先週、私が走らせてるから調子は最高よ。パワーは今の市販車と比べても大した事ないけど、巨人に後ろから蹴飛ばされたみたいな瞬間的な加速は、電子ディバイスで躾られた今のリッタースーパースポーツにはない興奮が味わえるわよ」

 俺だって乗ってみたいに決まってる。だけど金持ちってのはどんな感覚してんだ?今日会ったばかりの素性も知らない男に、高価で希少なバイクを貸そうなんて。そういえば互いに名前も名乗っていなかった。

「その前に他のコレクションも気になるから。それとあんたの事はなんて呼べばいい?いつまでも『あんた』じゃ失礼な気がしてきた。『キミ』とか『あなた』なんて呼ぶのも、なんか馴れ馴れしいし……、あんたもおっさんから『キミ』なんて呼ばれたら気持ち悪いだろ?」

 試乗の先送りも兼ねて、話題を変えた。

「別に失礼でも気持ち悪くもないけど。『あんた』でも『キミ』でも……」

 そこで彼女はなにか思いついたように薄笑いを浮かべた。

「そうね、じゃあマイハニーって呼んでくれる?」

 完全におちょくられている。だがこれは自分にも非があるだろう。名前を訊くならまず自分が名乗るのが礼儀だ。

「俺は竹内裕之。親しいやつからはヒロって呼ばれてる」

「私は吉田由紀子よ。ユキでいいわ」

 あっさりフルネームを教えてくれた。ここまで入れてくれるぐらいだから、それなりの信用はされてるのだろう。今まで名乗らなかったのは、やはり俺が先に名乗らなかったからか?上流階級は形式(マナー)を大事にするというがそこらへん徹底しているらしい。彼女の場合、自由過ぎる所もあるので単に忘れてただけとも考えられるが。

「じゃあヒロ、私のこと呼んでみて」

 やはり『あんた』なんて呼ばれた事が気にいらなかったのか、さっそく名前を呼ぶよう要求してきた。俺なんかより遥かにセレブ様とわかった以上、失礼ないようにしなければ。

「吉田さん」

「ユキでいいって言ったでしょ?」

 いきなり下の名前呼びは失礼でないのか?まあ本人がいいと言うのだから

「由紀子さん」

「さんはいらないわ、ヒロ。それと私の愛称はユキ」

「由紀子………」

 親子ほど歳の違う若い娘と下の名前を呼び捨てで呼び合うのが、こんなに「わるいことしてる感」伴うとは思ってなかった。他人が聞いたら絶対勘違いされる。俺はキャバクラでも『ちゃん』とか『さん』つける主義だ。

 しかし彼女は『さん』なし愛称呼びにこだわった。俺を困らせ楽しんでるだけな気もするが。

「だからユ、キ!やり直し!」

「由紀………子さん」

「ユキ!!」

「ユキ…………様」

「もういいわ。変な性癖にめざめられても困るから好きに呼んで。様はなしよ」

 俺がどんどん背徳な方向に向かってるのを感じたのか、ようやく解放してくれた。


 結局「ヒロさん」「ユキさん」で落ち着いたところで、コレクションの見学を再開する。

 大企業のミュージアムほどではないと言ってたが、なかなかどうして負けない希少車に圧巻される。ヤマハのGPマシンは500だけでなく、世界で活躍した250や350のマシンも並んでいた。4サイクルの耐久レーサーでは、化粧品会社のスポンサーで話題になったあのマシンもある。実際にレースで使われたマシンでなく、試作段階のプロトタイプらしいが、それはそれで貴重だ。

 カワサキが中排気量クラスで一時代を築いたタンデムツイン(横向きクランクを縦に2つ並べた2気筒エンジン)のKR250とKR350。

 ホンダが大金を投じ、世紀の大失敗プロジェクトとして名高いオーバルピストン8バルブのNR500も当然のように鎮座している。初期の頃の車両って話だが、俺は後に限定販売されたNR750しか見た事ないから細かいところはよくわからん。もしかしたらフレディスペンサーが乗ってたかもと能天気にワクワクしていた。

 そんな俺をも驚愕させたのが、250クラスの車体に、NR500のオーバルV4エンジンを半分にしてV型2気筒250ccエンジンとして載せ、ターボ過給で500㏄クラスに挑もうとした幻のGPマシンNR250turboだ。

 そんな計画があったという話だけで、試作車がどこまで作られたか、その前に本気で世界最高峰クラスに挑むつもりだったのかさえわからない、まさに幻のマシンである。2スト500と同等の車重とパワーで、トルクは圧倒的だったという話もあるが、実車はもちろん、写真さえ見た事なかった。

「実在してたんだ……」

 本当に作ってた事に、当時のホンダのイッちゃってる感を感じる。さらにそれがここにある事に、じつは俺、異世界に来てしまってるのではないかと疑ったくらいだ。

「偶然手に入れたみたいだけど、正直出処もよくわからないの。だけどピストンもクランクもNRと同じものだから、ホンダの研究所が作ったものに間違いないと思うわ。偽物だとしたら、作ったのは朝霧の研究所と同レベルの技術と予算がある所って事になるわね」

 ユキさんはコレクションに関して嘘はつきたくないらしい。すべて正直に話してくれてる。確かにこのエンジンが作れるとしたら、凄い技術力だ。偽物だとしても大変な価値がある事は間違いない。公開したらバズること必至だ。

「でもこれ、ここの整備してる人がどんなに頑張ってもまともに走らなかったの。動く事は動くんだけど、何度やっても少し回転上げると焼きついちゃって」

 お抱えの整備士までいるのか?まあ考えてみれば当然だろう。これだけの車やバイクを動態保存するなんて、素人がDIYで出来るものじゃない。町のバイク屋でもたぶん無理だ。専門知識のある元レースメカニックぐらいじゃないと触れるマシンたちじゃない。ここに整備工場作って、技術の確かな専属メカニックを常用した方が安心だし、経費も安くつくだろう。

「うちの整備士の技術が足りないのか、そもそもの設計に無理があったのか、さすがに希少なオーバルピストンを無駄に潰せないから諦めたわ」

 当時ワークスの技術者すら難儀していたNRだ。500の半分の2気筒でも過給器(ターボ)つきエンジンは、より複雑で神経質だったろう。技術が足りないとは決して言えないと思うぞ。

「そうね、たぶんホンダも無理とわかって計画中止したんじゃないかな。ここじゃ数少ないただのお飾りになってるわ」

 ただのお飾りだって?幻のオーバルVツインだぞ。しかも一応エンジンは掛かる。オブジェにしたって、何億出してでも手に入れたいマニアはいるはずだ。


 他にも50ccから500ccまでの主に70年代後半から80年代のGPマシンたち、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ、カジバやクライドラーなんてあまり日本じゃ知られてないヨーロッパの小排気量マシンに至るまで、メジャーから超レアなものまである。この時代に限ればおそらく世界有数のコレクションと言えるだろう。モトクロスの方は、自分もやってただけに興味あったが、ワークスマシンと市販車の違いがあまりなく(ワークスマシンの技術もたいてい翌年には市販車に導入されていた)、ホンダのフロントサスペンションがガンダムみたいなの(結局実用化はならず)以外、正直興味を惹きつけるのはなかった。パリダカなどのラリーレイドマシンも自分がよくわからないせいで、「凄いな」で終わってしまった。申し訳ない。

 四輪のラリー車には感動したぞ。ストラトスをはじめ、ファミリーカーの後部座席位置に無理やりエンジン載せてミッドシップ化したルノー(サンク)ターボは、他では見られないというほど希少ではないが、狂気の先駆けとして歴史的意味は大きい。そこからどんどん過激になっていき、グループB時代のぶっ飛んだラリー車たちは、まさに公道のF-1。ミッドシップ4WDというレーシングカーとして究極の形態は、メカニカル的にはF-1すら上回ってると思う。それを観客溢れる公道でかっ飛ばすんだから、ドライバーも観客も自殺願望あるとしか思えない狂気の時代だった。実車を目の前にして震えた。


 楽しい時間はあっという間に過ぎる。一通り見終わって窓の外に目をやると、太陽はだいぶ西に傾いていた。腕時計を見ればもう午後4時をまわっていた。

「もうこんな時間か。本当に夢のような時間だったよ。そろそろ帰ら」

「待って。まだTZに乗ってないわよ」

 帰らないとと言おうとした俺の言葉は、ユキさんに遮ぎられた。なんとTZ試乗の話はまだ生きていたらしい。

「乗りたいのはやまやまなんだけど、今から準備してたら日が暮れるだろ?」

 乗ってみたいのは本心だ。未体験の500cc2サイクルレーシングエンジンへの期待と恐怖も同時にある。それに貴重なコレクションの重圧。頭に浮かぶ様々な思いを統合すると、今日はおとなしく帰った方がいいと導き出された。しかしユキさんは、

「準備なら出来てるわよ」

 と言って玄関とは反対の方に顔を向けた。俺も向けるが特に何もない。しかし、微かに(パッパーン、パッパーン)という2サイクルエンジン特有の乾いた排気音(エキゾースト)が聞こえた。


 えっ、暖気運転してるの?


 貴族の館は防音効果も高いのか、遥か遠くに聞こえる。が、意外と近いかもしれない。滅多に見られないレーシングマシンに興奮して、TZが運び出されてた事も、外でエンジンをかけてる事も、まったく気づかなかった。


 外に出ると大きくなった排気音が頭蓋骨を震わせ、脳まで痺れさせる。催眠術にかかったかのように思考できなくなり、俺はユキさんに促されるまま、館の裏へと向かっていた。

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