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#2「人形は亡き少女に代わり愛されるべきである」

 

 《1》


「早速ですが、空箱叉流。貴方は故人を偲んだことがありますか?」

 エマは外に出て開口一番に、化け猫の少年にそう問いかけた。

「えぇ? うーん……無い、かなぁ」

 シャルは色々《異類隔離区》に来てからの出来事を思い返してみたが、エマの言うような「故人を偲ぶ」ような機会は、一度も無かったように思われる。

 というのも、そもそも《異類隔離区》にいる人々は、一度は人間としての死、道具としての死、あるいはシャルのような動物としての死を経験した者ばかりなのだ。その魂は生きている者よりも柔軟で、仮に死したとしても新しい体を用意することで蘇る場合がほとんどなのである。むしろ、死者として現世で生きる人々に思われる機会の方が、ここの人々からすれば多いのではなかろうか。

(——ま、僕は偲ばれたことも無いんだけどね……)

 と、一度も名前をつけられないまま猫としての一生を終えたシャルが自虐する隣で、エマは満足そうな表情を浮かべた。どうやらシャルの回答は、彼女が求める反応そのものだったようだ。

「ここにいる多くの人々は、その死を惜しまれ、また数年経てばその存在を思い出される身です。何かを失った経験のある者は、少数派と言えるでしょう。そんな中で、私は最も『故人を思い出す』ことに理解がある個体だと言って良いでしょう」

「随分大きく出たね……なんでそんな自信満々に言えるの?」

「私が……その故人を偲ぶ思い故に生まれた存在だからですよ」


 《2》


「残念ですが……娘さんは、ご臨終です」

 百年と少し昔のこと、とある娘が、重い病気で息を引き取った。

「お父様、これは仕方がないことです。現在の医療技術では、娘さんを治療することはできません。娘さんを長生きさせたい気持ちも分かりますが……それはかえって、彼女を苦しませてしまうのです」

 娘の父親は、以前より医師にそうやって聞かされてきた。しかしながら、冷たく動かなくなった娘を前にした時、彼が涙を堪えることはできなかった。

「娘は……娘はまだ……」

 父親は人形職人だった。彼は人々から直接依頼を受けて、その注文通りに、それはそれは精巧な人形を数多く手掛けていた。しかしながら、そうやってわざわざ人形をオーダーメイドするのは一部の裕福な人間のすることで、大衆は大量生産された、安価で無個性な人形に心を奪われていた。

 彼の手掛けた人形を一目見れば、人々は一瞬で心を奪われてしまうだろう。しかし彼がその技巧を評価されることは少なく、偶に注文を受けては丁寧に人形を仕上げて、送り出し、それで得た金で細々とした生活を送るばかりだった。

 父親は娘の死後、自らを責めた。どうしていつも自分が愛でていたのは、手掛けた人形ばかりだったのかと。本物の我が子たる娘に意識を向けたのは、彼女が死んでからのことだった。

 彼が娘のことを愛していた気持ちは、確かなものだった。彼はただ、その伝え方を知らなかったのだ。

「俺は……俺はまだ……!」

 彼はいつしか、発狂したかのような勢いで、否、まさに発狂の様相そのもので、一体の人形の制作に着手していた。誰に注文されたわけでもなく、誰に求められたわけでもなく。ただ己の虚しさを紛らわすために、食事を切り詰めて材料費を捻出し、四六時中試行錯誤を繰り返していた。

 彼の工房には出来損ないのドールの部品が積み上がり、時折罵声が響いていた。彼は周囲の人々から恐れられ、以前はぽつりぽつりと入って来ていた注文も、パタリと来なくなってしまった。

 それでも彼は、そのたった一体の、否、たった「一人」の人形を完成させるために心血を注いだ。目の下の隈がどれだけ濃くなろうと、焼き窯に触れた手にどれだけ火傷が刻まれようと、彼は倒れなかった。そして遂に、彼の求めるものは、彼の目の前に現れた。

 本来の冷たい質感を忘れてしまいそうな柔らかな肉体の曲線、哀愁を織り込んだロリィタの服。そして何より、その見事な色味に染まった、銀の髪。

 そう、それはまさしく生きた人間と見紛う完璧な姿をした、彼のためだけの、唯一無二の人形だった。

「ああ……やっと会えた……『エマ』」

 そして職人はその人形に、自身の娘と同じ、「エマ」という名をつけた。何も遺せなかった娘の、唯一の生きた証。その人形は、本物にとって代わり父親に愛を注がれるべく生まれた、三次元の遺影とでも言うべき代物だった。


 《3》


「そうして生まれたのが、私です」

「お、おぉ……」

 シャルは一連の話を聞き終わって、表情を強張らせた。想像を超える「重み」のある話を出されて、思わず緊張してしまったのだ。

「なんというか……暗い話だったね」

「ええ、そうですね。この話を聞いた人は皆、反応に困ったような表情を見せます。それは当然のことでしょう、無理もありません。幼い少女の死、そして父親の狂気。どちらも、生半可に正面からうけとめられる事物ではありませんから」

 エマは慣れた様子で、少し先の空を見上げながら話す。

「……ああ、そうでした。『エマ』という名前は父様……いえ、私が彼をそう呼ぶと、オリジナルの『エマ』さんに対して失礼かも知れませんから……私を作った職人様から授かった物ですが、それを証明するものがあるんです。見ますか?」

「え……そんな大事なもの、持ち歩いてるの?」

「おかしなことではないでしょう。人間だって、恋人からもらったアクセサリーを身につけて歩くではありませんか。それに私のはそういう『物』ではなく、『印』です。取りたくても取れないのですよ」

 そう言うと、彼女は肩まである美しい銀髪を捲り上げて、自らのうなじをシャルに見せた。

「見えませんか? ほら、ここに『Emma』と書かれているはずなんですが……折角人間に化けられるようになってからも、これはどうにも消すことができなくてですね」

「あ、ほんとだ……」

 シャルは彼女のうなじに、とても小さな文字で「Emma」と示されているのを認めた。それは筆で書いたのではなく、焼印のようなもので刻みつけられているようだった。

「……亡くなった娘さんの代わりだったんだから、エマはその職人さんに、たっぷり愛情を注いで貰えたんだよね。……僕と違って」

「いえ……完成した私が彼から得た愛情は……ほんの微々たるものでしたよ。その頃の私の自我はほんの微々たるもので、明確な記憶は残っていないのですが……これははっきり覚えています。私を完成させた数日後に、彼は亡くなりましたから」

「えっ」


 《4》


 最高傑作たる「エマ」の誕生から間も無くして、人形職人は命を落としてしまった。自身の全てを注ぎ込んで「エマ」を作り上げた無理のツケが回ってきたと考えて良いだろう。

 人形職人の工房は、程なくして取り壊されることになった。調査のために立ち入った人々は、積み上げられた人形の残骸と倒れた職人を初めて見た時、殺人現場かと思って錯乱したらしい。そして工房に放置されて埃を被っていた「エマ」を見て、「誘拐事件が起きた」と思い込んだ、とも聞いている。

 程なくして、みすぼらしく汚れ、お世辞にも美しいとは言えない状態だった「エマ」は、埃を払われた状態で、とある富豪に買い取られた。彼は「エマ」を作った職人の生活を苦しめる要因になった、人形工場を経営する立場に立っていた。

 彼は元より人形を金儲けの道具程度にしか思っていない、醜い心の人間だった。「エマ」のことも高値で売ってやろうと回収していたのだが——彼はその「精巧すぎる」人形を前に、寒気を覚えていた。

 中の骨格すら想像させる緻密な造形。生気すら感じさせる、陶器にしては滑らかすぎる肌。そして何より——見つめられているという錯覚を植え付ける、つぶらな瞳。

「こんな不気味な人形、売り物になるかってんだ!」

 富豪はその人形を、自身の工場の敷地に乱雑に投げ置き、下っ端の従業員たちに処分させようとした。

 しかしながら、工場の前に張り紙を貼られて棄てられたエマを見つけた従業員たちは、彼らの雇い主とは違う感性を持っていたようだった。

「おい見ろ! 人が倒れてるぞ! 女の子だ!」

「おい、大丈夫か? ……ってなんだ? 人間にしちゃ小さすぎる……それにちっとも温もりを感じないし、この質感……もしかしてこの子、人形……なの、か……?」

「人形だって? ……ああ、本当だ……! いつも工場で触れてるからわかる、この質感は確実に人形だ!」

「でも、こんな精巧な人形、一体誰が……」

 その後、「エマ」は工場の建物の中に運び込まれた。そして工場で働く職人たちは、彼女をそのまま処分せずに、工場に飾っておくことに決めた。

「俺たちが作ってるのは安っちい量産品だが……いつかこの子みたいな、特別なべっぴんさんも作ってみてぇもんだなぁ」

 それは娘の死で狂ってしまった一人の芸術家に対して、そして彼が自らの命を代償に作り上げた、この世に二つとない「娘」に対しての敬意ゆえの行動だった。

「エマ」は工場の中で、自分の同胞たちが作られる様子を毎日眺めていた。焼き窯がほとぼり、丁寧に小さな服が縫われ、一人、また一人と、小さな少女が生まれていく。

 時折、休憩時間の職人たちは「エマ」に話しかけた。作業の辛さを紛らわすためか、あるいは彼ら自身の娘に近しいものを「エマ」に感じていたのか。今更真相は確かめようもないが、彼らは確かに「エマ」に対して親しみを感じていた。

「よぉ嬢ちゃん! 今日もこの工房は暑いねぇ……ま、嬢ちゃんは暑さなんてもん感じねぇか! ガッハハハハハ……」

「嬢ちゃんを作った職人さんは、一体どんな人だったんだい? きっと、俺らより何倍もいい男だったんだろうなぁ」

 彼らの身なりは決して良いものではなかった。雇われる身である以上、その暮らしが裕福でなかったことは想像に難くない。それでいて彼らは、人の優しさを忘れていなかった。それは素晴らしいことだったように思われる。


 《5》


「それに比べて……あのクソ豚野郎といったら……」

「エマ大丈夫? めちゃくちゃ口悪くなってるよ?」

「あっ……失礼しました、悪人のことを考えると、つい……」

「……任務の時もそうだけどさぁ〜、エマって敵に対して本当に『敵だ!』って感じにしか見てないよね」

「それは……どういう意味ですか?」

 エマはシャルの方に顔を向けた。彼女の真紅の瞳に、猫耳を生やした少年の姿が映り込む。その姿は元々猫だったとは到底思えない、自然な「人間」の姿だった。

「だってさ……《基礎世界》から取り寄せた本とか読んでると、悪役が『悪役』になった動機とかに同情して、救おうとする展開とか、結構見かけるんだよ」

 夕闇の空は変わらず、人ならざるエマたちを、悠然と、超然と見下ろしている。光源は地上のランタンだけだというのに、道にできる街灯の影は、少しずつ向きを変えているように思われた。

「だから、エマはそういう感じで、敵のことを完全完璧な悪じゃないって考えたりしないのかなって」

「それは……」

 エマは下ろした手を組み、シャルの言葉を反芻した。

「……私は、人の姿を誰よりも見てきたつもりでいます。それ故にこう考えるのです。『私はあくまで徹頭徹尾、味方するものの味方であるべきであり、それ以外に絆されるなど言語道断だ』と」

 あの工場は、後に経営破綻を迎えることになる。あの富豪が人形ビジネスの寿命を察し、事業を手早く手放してしまったがためだ。

 彼女の生まれた工房の土地を買い上げ、彼女自身の出来にさえ汚い言葉を吐きかけたあの男。彼が更なる富を求めたことによって、エマは家を奪われ、次なる居場所も奪われた。

「私は、自分はどうとか、あなたはどうとか、そういう立場で物を見る立場にいるつもりはありません。ただ《異類隔離区》によって遣わされた、罪人に裁きを下す者でしかない」

 その出来事は、エマが完全な自我を獲得するより随分前に起きたことだったにも関わらず、彼女の価値観に影響を与えていた。

「少なくとも、それが今の私にとっての『正しさ』なのです」

「『正しさ』かぁ〜……」

「……話は変わりますが」

 エマは少し小走りになってシャルの前に出ると、両手を広げてその姿をシャルに見せつけた。美しい銀髪の少女の姿を。

「あなたは、私の力の全容を理解していますか」

「それって……《モノクローム・イミテーション》のこと?」


 ——《モノクローム・イミテーション》。


 それはエマだけが持つ、彼女を象徴する異能の力。

 この世界において、「命持つもの」、「知性を持つもの」、そしてその中でも特別に「空想の世界を見ることができるもの」は、その「自己同一性(アイデンティティ)」によって、世の理から大きく外れた力を宿す場合がある。

 それこそが《異類隔離区》が排除、あるいは確保すべき力であり……その存在を知る人々からは、《ツインズ》と呼ばれることが多い。

 そんな《ツインズ》を、エマもまた宿している。それが《モノクローム・イミテーション》。彼女の姿を維持する力であった。

「私の力は、私の記憶に依存するものです。私の記憶の『ピース』をパズルや積み木、毛糸といった形で現実世界に出力し、それを再構成することで私の姿を別のものに変えます。このように」

 そう言うエマは早速、シャルの前で実演してみせる。彼女の眺める左手の表面がパズルピースのように分解されていき、内部骨格たる積み木や、腱や血管に相当する毛糸が露わになる。

 積み木は彼女の体内で位置を変え、毛糸もまたそれらの結合を改めて整理していく。最後に、色の変わったパズルピースがそれを覆い隠すと……彼女の腕は、猫のパペットに変わっていた。

「おぉ……相変わらずすごい力だね〜、それ」

「そうですね。周りの同僚たちに比べれば、いささか派手な力かもしれません。しかしこれは逆に言えば、それは 私がうまくイメージできない事物は、その空想通り出力されてしまいます……簡単に言えば、極めて不安定な姿になってしまうのです。例えば——」


 ——「人間になった自分の姿」とか。


「……え?」

 シャルは改めて、彼女の全身を眺めた。腕がある。足もある。顔のパーツも揃っている。敵対生物を滅殺するという、機械的な覚悟を宿した赤い瞳は、変わらず輝いている。

「いや、いやいやいや!? エマはエマでしょ!? そんな不安定だなんて……嘘だよ、信じられないもん」

「いいえ、これは紛れもない事実です。私は、純粋な『人間になった自分の姿』を想像することができません。何せ、人形の私では鏡を見ることさえも困難ですからね。……それ故に、この姿を構成しているのは、私についての言及、第三者からの感想そして、私の記憶にある『印象的な人物』の記憶から抜き出したパーツです」

「……つまり?」

「この顔は、純粋な『エマ』の……職人に作って頂いた顔とは、異なるものということです。例えば……この瞳」

 エマは彼女のアイデンティティたる、紅蓮の瞳を指さした。

「この瞳も、私のものではありません。私の瞳を『気持ち悪い』と言った、失礼な人間がいたことを覚えていますか? ……私は仕返しのつもりで、彼の瞳を自分の姿に組み込んだのですよ。『あなたは今、あなた自身が気持ち悪いと言った瞳そのものになっている』……この瞳には、そういう意味が込められていると言ってもいいでしょう」

 エマは目を細めて笑った。憎き相手から奪い取った、ギラギラと醜悪な欲望の片鱗を見せる、紅蓮の瞳で。そこには人間らしさはあまり感じられない。機械のようであり、野獣のようでもあるためだ。

「本当に、眼だけは不似合いなくらい綺麗でしたからね。せっかくならばと、模倣させて頂いたのですよ」

「う……あ……」

 シャルは彼女の微笑み相手に、二、三歩後ずさる。今まで綺麗だとしか思っていなかったその少女の姿が、彼女の過去を少し聞いただけだというのに、とても歪なものに感じられてきたのだ。

「え、エマ! 僕っ、お腹すいちゃったな〜!」

「?」

 シャルは突然、体の前まで持ってきた灰色の尻尾の先を、左手で撫でながらそんなことを言い始めた。笑顔もどことなく固い。

「……まあ、言われてみれば私も、少し口寂しい気がしてきました。適当な屋台に寄って、何か菓子でも食べますか?」

「うん! ……それがいいと思うよ!」

 シャルは、ちっとも腹など空いていなかった。

(——これ……多分最後まで聞かされるよね……)

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