#1「人形は異類の狩人であるべきである」
《1》
「ハァっ、ハァっ……!」
青白い月が空に昇り、地上をうすらぼんやりと照らす、とっぷりと夜が更けた頃。起きた人間の気配など一つもないオフィス街の中を、息を荒げながら走る男がいた。
「……待ちなさいと言っているでしょう」
その男の前に降り立つ、一人の少女もいた。
「ヒィっ……!? ……さ、さっきから何なんだお前!」
「私の名は……といきたいところですが、いかんせん今は任務を優先すべき時ですので、省略させていただきます」
ゴシックロリィタ調の服装で身を固め、生糸のような銀髪を夜風に靡かせる少女。ここ日本では街を歩くだけで人々の注目を浴びるような、非日常を全身に纏っていた。男の極めて一般的なサラリーマン的服装とちょうど対比になって、少女の特異性はより目立っていると言っていいだろう。
「逃げたところで無駄だと、幾度となく忠告したはずです。あなたのような種類の人間は、どうにも物分かりが悪くて困りますね」
「お、お前に俺の何が分かるんだッ!」
「あなたのことが詳しく分かるというわけではありませんが……私は一世紀の間、人と共に生きてきました。人心を読む心得くらい、嫌でも習得してしまうものです。……しかし」
少女はその麗しい容姿の中に溶け込むことのできない、鮮血で染め上げたような紅蓮の瞳で男を睨んだ。色に反して、瞳は情熱など一切感じさせない、無機質で殺人者然とした輝きを持っていた。
「これまでの経験を踏まえると、あなたたちオリジナルから学ぶことも、もう多くはないのでしょう……むしろ、私があなたたちに教えることの方が多そうです」
少女は服にふんだんにあしらわれたフリルの隙間から、バラバラと何かを落とした。よく見てみれば、それらはパズルピースや積み木、それからあやとりの糸などの玩具だった。
「《モノクローム・イミテーション》」
無尽蔵に溢れ出るそれらは、一度地面に落ちた後、彼女の周囲を浮遊し、旋回する。あたかも見えない糸で繰られているかのように。
「なっ……何だよこれ!?」
「あなたも自らに狂った、閉鎖的な世界に住まう人間であれば、驚く必要はないでしょう……その『世界観』さえも借り物だというのならば、それこそお笑いですが」
少女は手を天に掲げる。それに応えるように、子供の夢の残骸は一つの意思を持っているかの如く蠢き、その群体の形を変える。
「これもまた世界の均衡のため、安寧のためです。罪の有無に関わらず、その力は没収させていただきます……もしそれが嫌というのなら、その力で争ってみてはいかがでしょうか」
「……くそッ!」
男は全力で少女へと走り出す。その手にはいつの間にか、ナイフのような物が握られている。動物の骨から削り出したかのような、頼りない見た目のナイフが。
「うおおおおおおおおッ——!」
男は玩具に囲まれた少女へと、ナイフを構えて突っ込んでいく。
しかし、少女が動じる様子はない。むしろ、極めて落ち着いていると言って良いだろう。
「……骨格は積み木、皮膚はパズル。血管は赤い毛糸で作りましょう。ある者を模倣し、何者でもない者となりなさい。そして——」
やがて玩具は龍の姿に似た、出来損ないの怪物の姿を成した。
「——この『エマ=スタフティ』の名の下に、制裁を下しなさい」
直後、勇敢にもこの龍のなり損ないに立ち向かっていった男の体は、玩具でできた大口に一呑みにされてしまった。
《2》
所変わって、ここは、どこか遠く、あるいはとても近くに存在する街。常に夕闇の不気味な色が空を覆い尽くす下で、通りは提灯の焔によって優しく照らされている。
国際社会に足を踏み入れたばかりの、黎明期の日本を彷彿とさせるこの街の名前は、《異類隔離区オースト》。普通の人間が暮らす地球とは違う次元に存在する、怪異たちの自治区である。
そして先ほどの少女——「エマ=スタフティ」は、大通りを一人で歩いているところだった。その左手には、男性が持っていたナイフの欠片が、ポリ袋に入れられている。
その姿は街全体の印象からすれば、やや浮いていると言えた。しかしながら一般人の視点からすれば、立っている人々も、彼らが立つ舞台も、どちらも浮世離れしすぎていて、自然と調和しているように見えてしまうのだろう。
(——今月に入ってからというものの、息をつく暇もありませんね)
彼女は肩でも首を回しながら、そんなことを考えた。
エマは《異類隔離区》の住民の一人だった。彼女がこの場所にて請け負う役目はただ一つ、それは「一般人の目に異類や異常現象を触れさせないよう回収・処分する」というもの。謂わば彼女は、一般人から《異類隔離区》の存在を秘匿する工作員なのだ。
先ほど始末したあの男性——厳密には、男が持っていたナイフは、そんな異常現象に由来する出自を持つ代物だ。故に彼女は男性を襲撃し、その手に握られたナイフを破壊した。
そして今は、その戦果を上に報告しに行くところだった。
「エマ=スタフティ、只今帰還しました」
街並みの最奥に鎮座する巨大な洋館、通称《お狐屋敷》。その門をくぐった後で、エマは事務的に宣言した。
『お帰り、エマ。成果はどうじゃったか?』
門についたスピーカーから声が発される。スピーカーの向こうの相手は女性だ。老人めいた口調に反して声は若々しく、十代後半くらいの印象を与えてくる。もっとも、それを発するスピーカーの音質は、なんとか日本語として聞き取れるか否かという酷いものだが。
エマはこの声に、目を瞑って返答する。
「……いつも通りです。変わったところはありません」
『相変わらずお主は冷たいのぅ。も少し面白おかしく脚色してくれても構わないのじゃがな』
「クミホ様は娯楽に飢え過ぎです。そんな簡単に面白い話が湧き出る世界など、壇上の喜劇の中以外にあり得ませんので」
『お主……上の者に対しても手厳しいんじゃな……』
「好きに言ってください。私は業務をこなすだけの人形ですので」
エマはスタスタと屋敷の中へと入っていく。スピーカーの声の相手をするのがよほど面倒だったのだろう、その足取りは素早く、逃げるようだった。
『報告の後は、品物を置いていくのを忘れぬようにな〜!』
「お気遣い有難うございます、言われずとも分かっていますので!」
《3》
「はぁ……なぜクミホ様はああもお喋り好きなのでしょうか」
報告手続きを終えた後、エマは《異類隔離区》内部の自分の部屋に戻ってきていた。
現代人から見るとレトロさを感じる街並みは飾りなどではなく、実際に人が住んでいたり、商業利用されている。空き家のまま放置されている物件はほとんど無く、長い間住人がおらずとも、隙間を埋めるように小売店などが開くことがほとんどだ。
そんな人口過密の《異類隔離区》中では、エマの住む一帯は特別扱いされている。そこは隔離区の運営に直結する重要メンバーのみが居住を許されたエリアなのだ。現代で言うならば、警察官の寮のようなものと考えればいいだろう。
(——やはり、自分の部屋があるというのはいいですね。防弾のガラスケースより、ずっと快適です)
エマはそんな我が家にたどり着くや否や、ベッドに腰を下ろして楽な姿勢を取った。欠かさず手入れされた部屋は、まるでモデルハウスのように整っており、生活感を感じさせない。
もとより無駄を好まない彼女の気質に加えて、部屋を留守にする時間が増えたことにより、家財道具が普段よりも触れられなくなっていることが、この部屋の生活感の無さの要因であった。
そんな無機質な情景の中で、非の打ち所がない、可憐ながら美麗な容姿を持つ少女エマは、ため息をついて、自分の手を見た。
(——どうせしばらく訪ねてくる人もいないでしょうし……今くらいは「解除」してもいいでしょう……ふぅ)
彼女のモノローグを合図にして、突然彼女の体に、無数の線が入った。きめ細やかな肌が、ゴシックロリィタ調の服が、バラバラと崩れ始めたのだ。まるで完成したパズルをひっくり返した時のように。
外見が崩れて露わになったのは、彼女の内側。そこには沢山の積み木が複雑に組み合わさって人の骨格に似た輪郭を作り出し、それをあやとりの糸が補強しているようだった。それらもまた、外の空気に触れたのを合図に、どんどん彼女の体から崩れ落ちていく。
(——たまには術を完全にオフにするのも、悪くは無いですね。真の素肌の感覚は……人のものより少しばかり鈍いですが)
ベッドの上、さらにそこから溢れて床の上に散乱した、数々の玩具たち。その内側から現れたのは、一体の西洋人形だった。
ゴシックロリィタ調のシックなドレスを身に纏ったそれは、物憂げに赤い瞳で俯いている。陶器でできた肌は、本物の人間の肌を思わせる見事な質感であった。
この人形こそ、エマ=スタフティの「本体」である。
百年という膨大な年数によって、自我を宿した「呪いの人形」、それが彼女の本質である。その呪い、もとい霊力が悪の感情に由来する物ではないため、性質としては「付喪神」に近いかもしれない。
彼女のような非生物を由来とする異類は、ここでは《付喪衆》と纏められ、その多くは人間の被造物であることに強い拘りを持っている。エマもその一人である以上、良し悪しに関わらず大なり小なりの執着を持っているはずなのだが……彼女が本心を語ることは少ない。
(——しかし、この状態では口が動かないために言葉も喋れず、四肢も思うように動かせない……と。あの頃は不便でしたね、全く)
本物の人間の五分の一ほどのサイズになった彼女は、ピクリとも動けなくなった己の体に思いを巡らせる。ひとときの脱力のつもりで術を切った彼女だったが、逆に昔を思い出して疲れてしまったようだ。
(——ですがもう少しだけ、このままでいましょう。不便を楽しむというのも、ある種の人間らしい感性でしょうし)
彼女の体がコテン、とベッドに横になったところで。
——リンゴーン。
不意に呼び鈴が鳴った。
(——来客……ですか?)
《4》
「エマー! いるー!?」
ドアの向こうからは、少年のような声が響いてきた。リンゴンリンゴンと何度かドアベルが鳴らされ、さらにはドンドンと、直接ドアをノックしている音も聞こえてきた。
エマは人形の体でいるために、声の主を迎えにいくことも、ましてや彼に応じることもできない。しかしながら、仮に人に化けていたとしても、彼女が声の主を招き入れることはなかっただろう。
(——空箱叉流ですか……また暇を持て余して私のところに……?)
エマが声の主の名を思い浮かべた、その時。
「あれ? 鍵がかかってない……」
(——なんですって? ……しまった、疲れのせいで、家の施錠すらも怠ってしまうとは……!)
きぃぃ、とドアが開く音に続いて、声の主は彼女の部屋に入った。
声の主は、灰色のもふもふとした髪を持つ少年だった。白いYシャツに短い丈のパンツと、「少年らしさ」の記号をそのまま纏っているような装いで身を固めている。
露出している足などは、ところどころが薄汚れた包帯によって覆われている。彼の性格を考えれば、またどこかでやんちゃをしてきたか、任務でドジをしたかのどちらかだろう。
だがそれら構成要素以上に彼を見た人間の目を引くのは、彼の腰から伸びた尾と、グレーの癖っ毛に溶け込むようにして生える獣の耳だろう。どちらも、猫の特徴だった。
「エマー、この僕が遊びに来たよー♪」
少年の名は「空箱叉流」。《異類隔離区》の中では、一般世間に潜む異類や、それを利用した悪事を働こうとするならず者のデータをかき集める、諜報員の役割を担う一人だ。
彼の耳や尻尾は、彼がかつて一匹の猫であったことに由来する。捨て猫だった彼は生まれて間も無く亡くなり、その後魂を《異類隔離区》に拾われるのだが……この話は、また別の機会で話すとする。
今話題に取り上げるべきなのは、その化け猫少年が、エマの自室に侵入したという事実なのだから。
(——確かに私とあなたは親しい間柄に違いありませんが、こうも部屋に上がるというのは、一人の女性に対していささか無遠慮なのではありませんか!? ……などと、人間に対してはまだまだ勉強中の身である私から指摘したいところです……ああ、どうしてこういう時に限って気を緩めてしまったのでしょう!?)
「エマー? おっかしいなぁ、クミホ様は『ちょうどエマも仕事が終わったところだから、暇してるだろう』って言ってたんだけどなー」
(——クミホ様……なんと余計な真似を……!)
「……返事がない、もしかして本当にいないのかなぁ……だったら遠慮なく上がっちゃお……ってうわぁっ!? なんだこの散らかりっぷり!? 僕でもこうはしないよ!?」
(——空箱ッ! 遠慮が無さすぎますッ!)
許可もなく部屋に上がり、さらにワンルームのエマの部屋に散らばる積み木やらを見たシャルは、いそいそとそれを集めて片付け始める。どうやらエマの「本体」には気づいていないらしい。
一方ベッドの上から動けないエマは、外見には現れないながらも、少年の不本意な態度に強い憤りを覚えていた。そうしている間にも、着々と積み木は一箇所に積み上がっていく。
「案外楽しいなー、これ。エマも普段からこういうので遊んでるのかな? エマが帰ってきたら、聞いてみないとね♪」
(——余計な……!)
エマは静かに、本体の近くに落ちている積み木を数個、自らの術によって宙に浮かばせると、それをシャルの真上に持っていき。
(——お世話ですのでッ!)
バラバラバラ! と、容赦なく彼へと雨が如く降らせた。
「痛っ!? 何、なになになに!? 誰なの!? 痛い、ちょっとまって、本当に痛いってば! あッ、角は、角はやめて! 本当に!」
痛がる猫耳少年の悲鳴を聞きながらも、エマは次々積み木を補充して、シャルの頭上に降らせる。
(——乙女の部屋に無断で立ち入った罰です! 思い知りなさい!)
《5》
……と、しばらくシャルをいじめた後で、エマは術を発動し直して人間の体を組み直し、シャルに事情を説明した。
「ごめんってエマぁ……僕は暇だったから遊びに来ただけでぇ……」
「目的も特になく私の部屋に訪れたと? それを私は、時間の無駄と呼びます。そしてそれは私が最も嫌うものです」
「いーじゃん! それにエマだって術切ってたじゃん! あれってたまには術の維持に気を遣わないで過ごしたいからでしょ!? だったら僕と大差ないじゃん! リラックスしたいだけなのに!」
「私のは『省エネ』です、あなたと一緒にしないでください!」
人形の時の姿を、そのまま人間大に当てはめたような姿に化けるエマは、ベッドに腰掛けて足を組み、目の前で床に頭をつけるシャルに持論を語る。
「ですが……まあ、あなたと居ることは嫌いではありません。今日はたまたまタイミングが悪かったですが……まあ、甘んじて受け入れましょう」
「これだけやっておいて、受け入れてはくれるんだ……」
「憂さ晴らしはできましたからね」
エマはポンポンとベッドを叩き、シャルに自分の隣に座るよう促す。シャルもそれに従って、彼女の隣に腰掛けた。
「……しかし、困りましたね。あいにく私は、話題になりそうな経験を近頃していません。頻繁に《基礎世界》に赴いてこそいますが、彼らの文化に触れるような機会は設けておらず……」
「あー、僕もそんな感じかな……敵地に侵入することばっかり考えちゃって、お店とか見れてないかもー」
「空箱、貴方であれば、多少は話題になりそうな話の一つや二つ、持っているのではありませんか? 貴方は普段から、他の方々と話す機会も多いでしょうし」
「えー? うーん……でも、この頃みんな忙しくしてるから、ちゃんと話す機会がないんだよねー。結構話してたクロノちゃんとも、最近疎遠気味だし」
「十時黒乃……目覚まし時計の十時黒乃ですか。私も、最近交流がまちまちになっていますね……彼女のことは好いています。持ち主への好意だけで人間に並び立つだけの力を得た彼女のことは、とても興味深いのですよ」
「でもエマだって、愛の力で付喪神になれたんでしょ?」
「私と彼女とでは、愛のベクトルが異なります。十時さんは一人の人間を愛した結果、そして私は、不特定多数の人々に、百年もの間愛を注がれ続けた結果……私と彼女とは、まさに正反対なのです」
「エマと正反対ねぇ〜……うーん……納得かも」
この場にいないクロノという付喪神のことを補足すると、彼女は目覚まし時計——人の生活規律を正す道具であったにも関わらず、いつも眠たげで無気力で自堕落な少女だ。
かつて一人の少年にプレゼントされ、それから長い間愛され続けた彼女は、注がれた分の愛情を返すべく自我を獲得した。良くも悪くも主人のことしか考えていないため、彼女を働かせる時は、その主人の存在をチラつかせるしか、やる気を出す方法がない。
命令を受けさせすれば、どれだけ過酷だろうと不本意だろうと、文句を垂れながらもなんやかんやで完遂するエマとは、性格的にも真逆なところがあるだろう。
「……そういえば」
シャルは座る姿勢を直し、エマの方を向いた。
「僕ってエマの昔のこと、なにも知らないかも」
「おや、そうなのですか? これだけの付き合いなのですから、てっきり話したつもりでいたのですが……」
「うん。僕も今気づいて、びっくりしちゃった。ことあるごとに『私の方が貴方よりはるかに年上で〜』とか、『百年分の経験を舐めない方がいい〜』とか偉そうに言ってる割に、具体的なことは何にも」
「『偉そう』は蛇足ですよ。……まあお互いに暇を持て余す身ながら話題に困っていたところですし、ちょうどいいでしょうか」
そういうと、エマはベッドから腰を上げて、窓際まで歩いた。窓の外に広がる街は、未だ提灯の灯りで照らされている。少し見上げれば、星も月もない紫と橙の空が、地平線の向こうまで続いていた。
「最初から話すとかなり長くなると思います……何せ、私の歴史は百年分ありますからね。最後までお付き合いしていただけますか?」
「うん! どうせ僕らみたいな妖怪物怪魑魅魍魎、人間と違って時間はいくらでもあるんだし、最後までよ〜く聞いてあげるよ♪」
「ふふっ……それもそうですね」
エマ=スタフティは、人間と遜色ない笑顔を見せた。
「……ですが、この狭い部屋で全てを語るというのも味気ないでしょう。どうです、街中を歩きながら話すというのは?」
「いいね! 最近街も巡れてないし、変わったところとか見てみたいとも思ってたんだー!」
「そうと決まれば、早速出かけましょうか」
エマとシャルは、《異類隔離区》の街へと繰り出していった。