プロローグ② |ニ葉《つぐは》
我が生涯に一片の悔いなし!
なんて言ってこの世を去れたら、最高に幸せな人生だったって思えるんじゃない?
「ちょっと桜さん!昨日頼んでいたプレゼン資料まだできていないじゃない!」
ピンヒールをコツコツと鳴らし、休憩室に荒々しく入ってきたのは上司の南郷。合コンがあるのか、今日はバッチリ厚化粧で準備万端でいらっしゃる。肩出しの白いフリフリのワンピースに何時間かかってセットしたんだ?と言わんばかりのゴージャスな髪型で到底お仕事をしに来る格好とは言えない。
就職先間違えたんじゃありませんかねぇ?と、言いたいけれど言えない。
「南郷……先輩、昨日頼まれていた資料は部署の共有ファイルに保存しておきましたけど」
定時の間際に無理矢理押し付けられた先輩のお仕事ね、本来は。
「そっちじゃないわよ!日付が変わる前に社内グループで送ったA社のプレゼン資料の方よ!」
そう言いスマホの画面を見せられると、
南郷
[ごめ〜ん、明日のA社のプレゼンなんですけど、誰か代わりにやってくれませんかぁ?親が昨日急に倒れちゃって…今病院に面会にきてるんですぅ]
社長
[それは大変だね。安心なさい!そんな資料は新人にでも任せておけば大丈夫だから!]
相田
[南郷ちゃんそれ大変じゃ〜ん。うちらが新人に頼んどくからさ、安心してb]
南郷
[皆さんありがとうございますぅーーー。よろしくお願いしますーーー]
というクソ内容だった。
いや、新人に押し付ける気満々ですやん。そんなに心配なら自分らで手伝ったげて、社長ーーー。肝心なところは他人任せってめっちゃ最悪。
そもそも病院の面会ってせいぜい17時頃までじゃないの?
それにさっきたまたま同期と話していたのだが、先輩のSNSを偶然発見したらしく昨日は終電ギリギリまで飲み屋街を飲み歩いていたようだ。
駅裏の居酒屋の前でデロンデロンに酔っ払ったあとの自撮り写真も、一緒にアップされていた。私から言わせてみればみっともない大人の姿。
つまり……何が言いたいかというと、全て〝嘘〟という事だ。
「えぇっと、それでこの内容で何で私の仕事になるんですか?」
社内グループの内容では新人の誰かとあるし、それに私は一切頼まれていない。
「なに、私に楯突く気!?さっき相田ちゃんから聞いたんだから。あんたに電話で頼んだって!」
相田というのはこの南郷と同期のクソ上司のことだ。
私は密かに〝厚化粧キャバ嬢南郷〟〝金髪チャラチャラ女の相田〟と呼んでいる。相田も相田で上司に取り入るのがうまいぶりっ子タイプで南郷とは何かとウマがあうようだ。類は友を呼ぶとはまさにこの事だよな。
「私、昨日は帰ってすぐ寝たんでスマホはずっとカバンの中でした。充電もなくなっていました」
私のは南郷と違って本当のことだ。
「嘘おっしゃい!とにかくあと2時間後には会議が始まるんだから、それまでに仕上げといて!原稿もね!」
そう言い残すと嵐のように休憩室を去っていった。
静まり返る休憩室。
休憩室はこの時数人の新人がいたが、誰もが私を憐れむような目で見てくる。いや、マジで同情するなら手伝ってくれよ。じっと周りを見つめてみるが、遠巻きに見ているだけでこの時は結局誰も手伝ってくれなかった。まぁ、誰も進んで自分の仕事増やしたくないよね。
のちに、コンビニにお昼を買いに出掛けていた同期の奥山だけがほんの少し手伝ってくれた。自分の分の仕事もあるのに、ありがてぇ。好き。
会社ではこんなのが日常茶飯事だった。しかも会社の社長がその筆頭なのだから目も当てられない。社長も社長で裏社会と繋がりがあるだとか、遊び歩いて毎晩女の人を取っ替え引っ替えなんて聞いた事もある。仕事も部下に押し付けまくりで月給泥棒だとか色々な噂話を耳にする。人望もない。
つまるところ、夢と希望を持って入社した会社全体はいわゆる〝ブラック企業〟でした。
いつか潰れるな、この会社。
就職する会社を間違えたと、入社3ヶ月で早くも後悔しまくっている私。
求人情報に書かれていた〝充実した研修、働きやすい好環境、お休み充実、残業もありません〟は丸っきりの虚偽。
実際は〝研修期間なし、働きにくい劣悪環境、お休み返上、残業たっぷりで皆さん仲良く風呂敷残業〟だ。
世の中、働き方改革だとホワイトな会社が増えていく中でうちの会社は時代遅れもいいところ。今や絶滅危惧種といっても過言じゃない。月給も決して高いとは言えないし。労働した分に見合っていないとさえ感じる。もう、不満は言い出せばキリがない。
実際、一緒に入社したもう一人の同期は入社2日目で退職代行サービスを使って退職していった。あの時は社内、唖然とした空気だったなぁ。私もあの時やめときゃ良かったかなぁ。
ちなみに何とかプレゼン資料を時間内に作り終えた私だったが、言わずもがな良いところだけ全部持っていかれた。
あたかも自分が作ったかのような口ぶりで発表したらしい。周りで何人かの上司は察しつつも見てみぬふり。
結局このプレゼンは大成功だったらしいが、その場で私の名前が出ることは一切無かった。
やったことが評価されない会社か。
「……やってらんねぇわ。」
そう呟いた独り言は、夜のオフィス街へと虚しく消えていった。
家路につき、私は一番上の姉が好きだった三日月堂のチョコケーキを買った。
一番上の姉は一葉、しっかり者で自慢の姉だったが半年ほど前に天に召された。最期はとても穏やかな表情で、とても綺麗だった。
どうしようもない病だったが、いまだに私は実感が湧かないでいる。
玄関先で笑顔で
「おかえり。 ニ葉」
っていつも出迎えてくれるような、そんな気がずっとしているから。
大通りの歩道橋を渡り、最寄りの駅近くの公園付近に差し掛かったその時、公園から飛び出してきた黒い影に驚き、尻もちをついて転んだ。
「ちょっと、な、なに!?」
見上げるとそこには大柄な男性?が立っており、左手には刃渡り6センチはあろうナイフを持っていた。よく見ると黒いコートからはポタポタと液体が落ちていた。それはーーー
〝血〟
硬直していると、その左手の向きが真っ直ぐに私を捉えてーーー
私は、ナイフで刺されて呆気なくこの世を去った。
おそらく、即死。
我が生涯に一片の悔いなし!
なんて、思えるかっての!!悔いありまくりなんですけど!?
どうしてくれるの、私の人生!?