くるくるホウレンソウⅣ
疲れた。
休日前なので早く仕事が終わるかと期待したが、結局いつも通り約16時間ぶっ続けで飛び回らされた。
週明けからダメージを喰らった。
いや、思えば先週の金曜日からだった。
俺の名前はデヴィッド・タナカ。世界中を飛び回る国際スパイだ。スパイらしい仕事もするにはするが、基本的には運び屋をやらされている。しかも運ぶものは極秘に開発された最新兵器とかではなく、主に小麦粉とか、生八ツ橋の原料とか、そんなものだ。
小型の飛行機に乗って仕事をするのだが、このコックピットが結構高い。俺の背よりも少し高いぐらいの位置にある。そこからタラップを使って降りるのだが──
両手に物を持っていた。左手にスマホ、右手にゴミだ。今どきは雲の上に小さな空港があり、トイレも設置されている。トイレに行こうと、トイレの中でスマホで『小説家になりお』を読もうと、ついでにゴミも捨てようと、両手に物を持っていたから、いつもはハンドルにしっかり掴まって降りるのを、掴まり方が甘かった。
「ぎゃっ?」
足がタラップを踏み外し、ハンドルから手が離れ、俺は雲の上のアスファルトに右肩から落下した。
じつはその3ヶ月前にも右肩を痛めていた。
あれは豪雪地帯へ『富士山のおいしい水』を積み込みにいった時のことだ。取引先の人に待たされて、暇つぶしに俺は雪玉を作り、投げて遊んでいた。
誰かが見ていたらとても寂しそうに見えたことだろう。しかし俺は楽しかった。一人で雪玉を、雪の中から一本だけ立っている松の木に向かって、マウンドに立つピッチャーの気分になって楽しく投げていた。
ちょっとはしゃぎすぎてしまったようだ。ウォーミングアップもなしに全力投球したら、右肩から『ピキッ』という音がするのを俺は聞いた。
「うぎゃっ?」
たぶん右肩に『ねずみ』が出来たんだと思う。それから右肩にずっとピキピキいう違和感があり、寝る時も右肩を下にすると痛かった。トゥルースリーパーの枕を買ってみたらこれがなかなかよくて、アパートの部屋で寝る時には右肩の痛みを忘れることができたのだが、飛行機の中で使うにはそれはちょっと大きすぎる枕だった。そして俺が寝る場所は飛行機の中が週の大半だ。飛行機の中で寝るたびに右肩の痛みはだんだんと増していた。
その右肩に、ダメージを追加してしまった。
まぁ、それはいい。
それよりも、週明けいきなりのことだった。
シンガポールへ鮮魚を届ける仕事から始まった。
シンガポールで仕事を終えて、そのあとどう動いたらいいのかはまったくわからなかった。うちの組織はいつもそうだ。たとえ次の仕事が決まっていても前もって教えてはくれない。
まぁ、いつものパターンなら、シンガポールが終わったら日本に帰り、日本で小麦粉を積んでアメリカ行きか、あるいは意外に近いところで中国行きあたりだろう。そう思いながら、ボスに電話をした。
「こちら0011。シンガポールにて任務完了」
『ご苦労、デイヴィッド。では、そこからフィリピンに飛び、フィリピーナさんを3人ほど積んで、アメリカへ届けてあげてくれ』
いや……、待ってくれ。
てっきり日本に一度帰るものだと思っていたから、何の準備もしてないぞ。
日本の自分のアパートには、いつ何を言われてもいいように、冷凍庫にごはんが常備してある。それを取りに帰れるならいいが──
このままシンガポールからフィリピンへ行き、そこからアメリカに行くなんて、手ぶらじゃ無理だ! 現地で食べ物も着替えも調達していたのでは、カネを使うために仕事をするようなものだ!
「何の準備もしていませんが……」
俺がそう言うと、
『準備ぐらいしとけや。小学生かwww』
ボスにそう言って笑われた。
仕方なくそのままフィリピンへ飛び、3人のフィリピーナさんを乗せ、アメリカへ飛んだ。アパートの部屋ではマリモのマッくんが俺の帰りを待っているのだが、なんとか自動給餌器にギリギリぶんのごはんは入っていたはずだ。すまない、マッくん──心の中でそう謝りながら、アメリカでの仕事を終えた。
「お兄さん、ありがとねー!」
「今度、お店のほうにも遊びにきてねー!」
「ジャーニーの来日公演にも是非おいでねー!」
3人のフィリピーナさんたちは気さくに手を振ると、ニューヨークの雑踏の中へ消えていった。
さて、ここからの予定もいつも通り、何も聞いていない。
ボスに電話してみて、初めてわかるのだ。
諜報員にはいつも『何か予定がある時には最低一ヶ月前には報告しろ。ホウレンソウ(報告・連絡・相談)は社会人の基本だ』とか言うくせに……まぁ、いい。
「ボス、アメリカに無事、3人のフィリピーナさんを届けました」
『ご苦労。では、そこからサンフランシスコへ飛び、そこでブルース・リーの顔がデザインされた自転車を1000台積んで、イギリスへ運んでくれ』
俺は食事代に一食150円までしか使えない。
節約しないと、1か月もたないのだ。
一袋のポップコーンで一食を済ませる日々が続いた。