【魔法と魔族と、クロの存在と】
一般学の授業が終わった後。
その後も私とクロは歴史学と魔法学、それから剣術の実技が行われている鍛錬場へ行って……私は剣を振り、クロはそんな私の姿を飽きることなくずっと眺めていた。
ディークとアルドは、歴史学と魔法学の授業までは一緒にいて私たちのそばを離れなかったけれど……鍛錬場へ向かうことになった時に、剣術が苦手な二人は魔法の実技がある鍛錬場のほうへ行ったので別れた。
いつも鍛錬場では二人が私のそばにいないこともあってなのか、好戦的な生徒が多いことも相まって文句や貶すような言葉を言われたり……最終的に負けるのに、懲りることなく鍛錬だと称して私を痛めつけようとしたりと、少々度が過ぎることをされることが多いのだけど……。
今日は何も言われなくて……むしろ誰も近寄ってくることもなかったので有意義に過ごすことができた。
先生も近寄ってこなかったので、一人で鍛錬している時と変わらない時間だったけれど。
そうして過ごしていたうちに時間は経って……。
お昼の時間になったので、私とクロは現在、学校の中にある食堂で仲良くご飯を食べている。
「クロ、おにぎりだけでいいの? 私のご飯、少し食べる?」
「大丈夫だ」
私のとなりの椅子に座って、クロは数ある料理の中から選んだ握り飯を食べている。
昨日、会った時に食べた握り飯が気に入ってなのか、食べやすいからなのか……。でも黙々と食べ進めているので嫌いではないのだろう。具も入っていないお米だけの握り飯だけれど……。
綺麗に食べ終えたクロに、私は水を少しだけ入れた軽いコップを渡す。
それを小さな両手で受け取ってから器用に少しずつ飲む姿に癒されながら、私も自分のご飯を食べ進めた。
「あとはもう自由に過ごせるよ。何か気になることはある? このまま学校にいてもいいけど、クロが大丈夫そうなら街に出てもいいよ」
食べ終わった食器を返却した後、私たちはそのまま食堂から出た。
目的地もないまま廊下を歩いて……今からのことをクロに訊いてみると、クロは数秒ほど思案してから口を開く。
「学校はある程度、理解できた。街の様子は遠目から見たことはあるが……気にはなる。だがここよりも騒ぎになるはずだ」
「そうだね……。数日で噂が広まるとは思うから、広まったあとのほうがいいかもしれないね。街はまた今度にしようか」
大騒ぎどころではなくなって事故に繋がる可能性もあるので、噂が広まってからのほうが良さそうだと思い直して言うと、クロは「ああ」と同意して頷いた。
それなら学校の中をもう少し散策してから家に帰ろうと話して……私たちは、まだ行っていない魔法実技が行われている鍛錬場へと向かう。
数分ほどで辿り着いた鍛錬場は、剣術の鍛錬場よりも広さがあり……攻撃の的としてたくさん置かれている頑丈な人形へ向けて、みんな様々な魔法をぶつけている。
その中には、ディークとアルドの姿もあった。
ディークが火の魔法を扱って攻撃した人形は、その周辺を熱く感じさせそうなくらい激しく燃えていて……アルドが水の魔法を扱って攻撃した人形は、水の球体に閉じ込められている。
「あの火の魔法は……強い精霊だな」
「うん、ディークの火の魔法は上位クラスみたいだよ……凄いよね。クロはどうして見てすぐに分かったの?」
「時間が経っても燃えていて、威力も衰えていないのは魔法が強いからだ。それだけで精霊の強さと魔力の高さはわかる」
クロはそう言ってから、ディークへ向けていた視線をアルドのほうへと向ける。
「反対に、水の魔法はもう消えているだろう。水で形を作れるのは中々だが持続はできていない。精霊は弱くはないが、人間のもつ魔力の量が少ないからだろうな」
その言葉に私は感心しながら「そっか」と呟く。
魔法学の授業で魔法の強弱などの説明を聞いたことはある。でも強い精霊に恵まれている者は強い魔法を扱える……といったものだったので、魔法を見ても誰が強く弱いのかの判断が難しかった。
とりあえず威力が凄い魔法を扱う人が強いのだろう。そんな大ざっぱな判断基準しかできなかったけれど……クロの言葉を聴いたら、理解できそうな気がした。
「あの女の子の火の魔法は……威力は弱くてもずっと燃えているから……弱い精霊で、魔力は高いのかな?」
「弱い精霊ではあるが、魔力も高いとは言えない。威力の小さい魔法なら魔力の量はそれほど必要ではない。魔力が高いなら、強い魔法が使えるはずだ」
「うーん。それなら魔力も弱いの?」
「違う属性の魔法を使えないのなら、そうだろうな」
なんとなくは理解できたけれど、やっぱり魔法は難しい。
私が扱えないからなのかもしれないけれど、たぶん魔法と精霊への知識が十分ではないからだと思う。
分からなくて考え込んでいると思ったのか、クロは魔法に関して教えてくれるように、魔法を扱う生徒たちを例えにしながら語ってくれた。
魔法の威力の強さは、精霊の強さと魔力の高さによるもの。魔法の巧みさは精霊の強さによるもの。威力が衰ろえないことや持続の長さは、人がもつ魔力量の多さによるもの。
扱っている属性の魔法が弱くても……もしも魔力が高い(魔力の量が多い)のなら、違う属性の魔法が強いことがある。
魔力の高い(魔力の量の多い)人ほど、強い精霊が付いていて強い魔法が扱えたり……他の属性の精霊も付いて、違う属性の魔法も扱える。
稀に、魔力の高い(魔力の量が多い)人でも弱い精霊だけが多く付いている場合もあり……逆に魔力の弱い(魔力の量が少ない)人でも強い精霊が付いている場合もある。
たくさんの情報に少し混乱したものの……クロの簡潔で理解しやすい話し方のおかげで、頭の中で整理しながら理解することはできた。
それでもまだまだ知らないことが多いのだろう。
そもそも精霊への敬意と信仰心の強いこの国でも……精霊の存在や、精霊との等価交換による魔法の原理などの精霊と魔法に関する情報は……何百年という長い時を経て知ったことから推測されている情報が多いらしい。
魔法の知識に長けている魔法学の先生でさえも、曖昧な説明が多いくらいなのだから……全て理解しようとするのは、音もなく目にも見えない精霊と会って訊く、ということができないのなら難しいことである。
「クロは物知りだね」
「……魔族は多くの魔法を使う。無駄に使われるそれを見る経験が多かっただけのことだ」
「そっか。魔族はよく魔法を扱うんだね」
「ああ。魔族のアホ共とクズは、基本的に戦闘狂が多い」
クロはそう言って、昔を思い出すように遠くを見つめていた。
彼の……魔族に対しての評価がとても低い。でもだからといって、嫌悪感をもっているようには見えない。
聴く度に思うけれど、なんだろう……身内に対して悪く言いながらも可愛がっているという感じだろうか――いや、それは違う気もする。そういうことではないけれど、でも似たようなことではあるだろう。
「クロは……」
名前の後に自分が何を言おうとしていたのか今はもう思い出せないけれど……無意識のうちに言おうとしていたその言葉は突然の出来事によって、口から溢れることなく途切れた。
「避けろエル!」
遠くからディークの声が聞こえて……。
その声と同時に反射的に抜いて盾にした剣が、右から迫ってきていたものの衝撃を受けて、大きく鈍い音を鳴らした。
その衝撃からの痛みと痺れるような感覚に、私は表情を歪ませながらその原因となったものを見る。
剣を貫くことなく地面に落ちている鋭い矢が、雷の魔法を纏い、いまだに攻撃しようとしているようにバチバチと嫌な音を鳴らしていた。
もしもこれが体に当たっていたら危なかったかもしれない。そう思うと悪寒のようなものを感じて……剣を持つ腕を思わずさする。
私はいつもより速い胸の鼓動を落ち着かせようと深く息を吐きながら……矢が放たれただろう方向を確認すると、弓を持つ生徒の中の一人がこちらに弓を構えたまま、驚愕の表情を浮かべて立ち尽くしていた。
その表情は予想外だと言っているようで……。わざと私を狙って攻撃したわけではないのだろうと思った。
「エル、お前……っ、何で避けねぇんだよ」
焦った声とともに、恐ろしいものを見たような表情を浮かべているディークが私の元へと駆け寄ってくる。
そしてその数秒後にはアルドも駆け寄ってきて……「大丈夫?」と、どことなく心配そうに声をかけてくれたので、私は「大丈夫だよ」と頷いた。
「剣は万能じゃねぇのにっ。ほんと、何してんだよ……」
「そうだね……。避けるよりも、咄嗟に剣を握るなんて……癖になっているみたい」
そう言って笑う私に、ディークは苛立ちながらも安堵するように息を吐いた。
話すことで落ち着いたのか……胸の鼓動もいつもの速さに戻ってきて、それとともに少しだけ狭くなっていた視界もひらけてくる。
突然の出来事に、みんなが今もまだ驚いていた。
その中で一人だけ驚いた様子もなく、静かに私を見ているクロへ視線を向けると……とくに何とも思っていないような、いつもと変わらない瞳と目が合った。
「もし避けていれば、雷の魔法に触れて火傷を負っていたはずだ。剣で防いだのは、それを直感で気付いたからだろう」
その褒めるような言葉は嬉しいけれど、ようするに私を観察していたのだろう。
たぶんクロは誰よりも早く気付いて……私がどうするのかを見ていたのだ。それはきっと悪意からではない。それで私が死ぬとも思っていなかったと思う。ただ、単純に観察しただけ……。
彼の性格がなんとなく分かってきた気がする。
「エルさん」
唐突にアルドが私を呼んで、何かへ向けて指をさした。
その方向へ視線を向けると……生徒の指導していた魔法実技の女性の先生が、矢を放っただろう生徒の腕をひいてこちらに近付いて来ている。
「大丈夫ですか? 怪我は?」
「大丈夫ですよ。どこにも当たっていません」
「良かった……っ」
近くまで来た先生は私を案じて……私の全身を眺めてから傷がないことを確認した後、安堵した様子で息を吐いた。
「悪かった………。あんたを狙ったわけじゃなかった」
矢を放った生徒があまりに青ざめた顔でそう言うので、大丈夫だからいいよと返答しようと口を開きかけた時、彼の言葉の違和感に気付く。
私を、狙ったわけではない。それは私ではない誰かを狙っていたということで……。
誰を……と考える前に、すぐに察した。彼は、私の隣にいたクロを狙ったのだと。
「クロを狙ったの?」
そう訊ねると、そうだと答える代わりに歯を食いしばって黙っていた。
表情からは悔やむような気持ちが見て取れるけれど、それが矢を放ったことに後悔しているのか、失敗したことが悔しいのか……どの意味でのものであるのか分からない。
「余程俺を殺したかったんだろうが、攻撃の前に殺意を抱きすぎだ。あれでは気付かないほうが難しい」
クロがそう言うと、先生と生徒は驚いた様子で目を丸くする。言葉を話せるとは思っていなかったのだろう。
「狙った理由は、俺が魔族だからか」
その疑問ではなく断言するような言葉と力強い深紅の瞳に圧倒された生徒は、瞳に怯えの色を浮かべながら力なく頷いた。
「そうか。察しはつくが、魔族が何かしたのか」
「……俺の親は……っ魔族に襲われて死んだ。だから……」
「俺を見て、仇討ちでもしようとしたか」
その言葉に、生徒また力なく頷く。
自分を殺そうと考えていた彼に、クロは怒りなども感じられない態度で接している。いつも通りとくに何とも思っていないのだろう。
もしも矢が私ではなくクロへ向かって正確に飛んでいて、自分が危険なめにあったとしても……クロは何とも思わなかったのではないかとも思う。
「残念だが、その魔族をどうにかしないかぎり、俺を殺せたところで仇討ちにはならない」
「それは……っ」
クロの諭すような言葉は、自分でも理解はしていたのだろう。やりきれない気持ちが伝わってくる。
彼の事情から、私に矢が飛んできたことはもう何とも思わない。でもクロへの殺意は理不尽だと思ってしまった。同じ人間である彼の気持ちのほうに味方できないのは、薄情なことかもしれない。
そう思うと、何も声をかけることができなかった。
「だが運は良かったな。本当に仇討ちをしようとしていたら、返り討ちにあっていたはずだ。お前ではどうにもできない。死にたくはないのなら、大人しく生きていろ」
言葉だけ聴くと冷たいと思われる言葉なのだけど……死なないように諌めることは、とても優しいことだと思った。
「そんなこと分かってる。分かってるけど……簡単に諦めきれないから、今まで魔法も弓も頑張ってきたんだ」
「諦めろとは言っていない」
「……。お前にはできないって……」
「大人しく生きていろと言ったんだ。お前が無駄死にしなくとも、いずれそんな魔族は一人残らず消える」
クロのその言葉を聴いた人は、私を含めてみんなが驚いていた。
当然の事実を話すように……いつか人間を殺す魔族たちは消えるのだと断言したのだから、驚かないほうが無理だろう。
私たちからすると、それは信じられないようなことだった。
人間は、自分たちを殺す魔族に怯えながらも共存している――いや、どうすることもできなくて共存するしかない状態である。
強い魔族を倒せる人も存在しているけれど、けして多くはないため……もしも魔族が一斉に人間を襲い始めると人間は滅ぶと言われている。
だから世界とこの国は対抗策として、魔法学校での人々の魔法と心身の育成に力を入れているものの……いまだに魔族と人間の均衡は崩れたままだ。
そのような中で、魔族が人間を襲うことはあっても、全ての人間を滅ぼそうとまではしていない理由は……人間の文化による利益からだと言われている。
ようするに、人間を利用できると思っている魔族が、魔族を統べる魔族の王(魔王)であるおかげで生かされているのだ。
そのため、もう何百年もの間……魔王と各国の人間の王たちは何らかの条件と引き替えに、国の安全を約束することを繰り返しているらしい。
そうは言っても基本的に魔族は人間を嫌っているため、人間が減ることは問題ないと容赦なく人間を襲っていて……それに関しては魔王も国の王も黙認しているのが現状である。
そういった魔族の討伐も黙認されているけれど、対処が追いついていないので被害は増え続けている。
それは何百年も変わることがなく……。
変えることも、いかに被害を減らすのかさえも難しい今の現状で……"人間を殺す魔族たちは消える"なんて夢物語のようなことを信じることができない……期待することが難しいのは仕方がなかった。
「何だそれ……。根拠があってそんなこと言ってんのか?」
言葉の衝撃と重大さに……呆気にとられて誰も何も言えない状態の中で、一番早く口を開いたのはディークだった。
「お前って実は……その姿で、なんか凄い偉いとか……魔族を従わせるくらい強いとか……。なんか凄い奴なのか?」
ディークは至って真剣なのだけど……急に語彙力がなくなった彼の言葉に、つい笑ってしまいそうになる。
たぶん見た目に反したクロの態度や存在感に、混乱しているからだろう。感情的で子供っぽいところはあるものの、普段はもう少し普通の話し方だと思う。
「自分で考えろ」
「は? どういう意味だよ」
「お前にも義務がある」
クロはまたあの力強い瞳でそう言ってから……疲れたように口を閉じる。
その後はディークが何を言っても、もう話す気はないと目も合わせることなく黙っていた。
それを区切りとして……このままだとみんな動かないまま時間が経ちそうだと、ようやく我に返った私は先生に声をかける。
同じく気を取り直した先生は……監督不足だったと私が危ないめにあったことを改めて謝罪した後、他の生徒たちに先生が戻るまでは強い魔法を扱わないようにと指示をしてから、矢を放った生徒を連れて鍛錬場から出て行った。
一応は同行許可書がある使い魔のクロを、攻撃しようとして私を危険なめにあわせたので……何らかの罰則があるだろう。
「このままいると邪魔になりそうだから、私たちはもう行くね」
ディークとアルドにそう声をかけると、ディークは何だか納得いかないといった様子だったけれど……アルドが頷いてくれたので、私とクロも逃げるように鍛錬場から立ち去った。
私たちがいなくなったので、きっと他の生徒たちも気を取り直して魔法の鍛錬を再開するだろう。
「今日は……色々とありすぎて疲れたね。家に帰ろうか」
そう言って声をかけると、クロは頷いた。
早々に帰る準備をして……来た時と同じように、申し訳ないけれどクロにリュックの中へ入ってもらって、家までの道のりを歩いて帰る。
帰り着いてすぐに父と母の何か言いたそうな瞳と目が合ったので、愛想笑いを浮かべて手を振りながら、部屋へ逃げ込んだ。
たぶんクロを連れて行ったことは気付かれていて、そのことに関してのことだろう。
そう思ったのはやっぱり当たっていて……夜ご飯を取りに行く時に父から小言を言われてしまったけれど、笑顔で謝ると許してくれた。
問題は母だったのだけど……同行許可書が手に入ったことを話すと、それなら良いのだと笑って許してくれたので怒られなくてすんだ。
部屋へと戻ってからは、本当は訊たいことがたくさんあったけれど、今はまだ訊かないほうが良い気がして……。今日もたわいのない話をしながら、クロと一緒にご飯を食べた。
興味心からだけで知るのは、少しだけ怖かったのかもしれない。
自分に似ていると思い感じた親近感と、これから一緒に過ごそうとしている私たちの距離感が……遠く離れてしまうのではないかと思ったから。
この目で見て、この耳で聴いて……この謎に包まれた不思議な存在を、ゆっくり知っていこう。
私は今日一日を振り返りながら、そう思った。