【ディークとアルド】
一般学の教室の中。
窓から外の景色を見ることができる一番端の後ろの机と椅子に、私とクロは座っていた。
質素で落ち着いた雰囲気があるこの教室には、三百人くらいは余裕で座れる椅子と机が綺麗に並んでいて、多くの生徒が同時に一般学を学ぶことができる。
普段だと余る椅子が少ないほど多くの生徒が集まり、先生が来るまでは賑やかに楽しんでいるはずの時間だけど……。
今は私たちの近くの椅子は余っていて、非常に離れた位置に座っている生徒たちは黙っているか、小さな声で話すだけのとても静かな空間となっていた。
大半の生徒は、恐怖と驚愕から騒いだ後の静かさである。
でもクロが凶暴さと恐ろしさをみせないことから、驚きはしてもすぐに落ち着いて静かだった生徒や、珍しい存在に興味をもつようにクロをずっと見ている生徒もいる。
誰一人として近くには来ないものの、大人の先生たちよりも子供の生徒たちのほうが適応力があるのだと少し感心した。
そしてこのような状況の中でも、私たちに近付いて来ている二人にも……。
「本当にエルさんが魔族といる……」
「お前、ウソだろ……。元々やばい奴が何してんだよ。あいつに挑むよりもやばいことしてんじゃねぇよ」
そう言いながらアルドとディークが近付いてきた。
クロに対して警戒している雰囲気ではあるけれど、いつもの調子で話す二人に私は笑って口を開く。
「クロ。騒がしいほうがディークで、淡々としているほうがアルくん。この二人は大丈夫だと思うから話しても大丈夫だよ」
「そうか」
「騒がしいほうって何だよ……って、は? 今、喋ったのか?」
「うん。クロは話せる魔族の魔兎だから」
「は? 何だそれ? そんなのいねぇよ」
「目の前にいるよ」
「凄い……。話もできる、赤目で角がない動物型……。聞いたことないけど存在するんだ。凄い」
興味心からかいつもは静かな瞳を珍しく輝かせているアルドと、いつも通り騒がしいディーク。
クロが話しても二人はとくにいつもと変わらないのでやっぱり大丈夫そうだ。
「魔族に興味があるのか」
「はい。でも死にたくないから魔族には関われないと思ってました……。誰かの話を聞くだけしか出来ないと思ってたのに、こんなに近くで話せて……感動しました」
「感動……? 何故そう思うのかわからないが……魔族にそんなことを思う人間もいるんだな」
「アルくんは特別かな。元々、魔物と魔族の生態に興味があると言っていたから……。純粋に初めて魔族と話せて嬉しいみたい」
言葉足らずなアルドの代弁をするように伝えると……クロは「そうか」と、とくに気にした様子もなく呟いた。
公言していた通り、本当に魔族の生態に興味があるのだろう。アルドは、クロの一挙一動を見逃さないように視線を逸らすことなく見続けている。
「エルさんはやっぱり凄い」
「え、私?」
「うん。普通の人にはできないことをできてる。そのおかげで魔族の……クロさんと関われた。エルさんは本当に凄い」
「ありがとう。よくわからないけど、アルくんが喜んでいるみたいで良かった」
クロへと向けた視線はそのままで、急に私を褒めるアルドに戸惑ったけれど……。
とにかく要するにクロお関われたことが嬉しいのだろうと思い、微笑ましく感じた。
「おい、何で普通に話してんだよ」
「ディークも話せばいい」
「魔族と話すことなんかねぇよ……」
「せっかく話せるのに勿体ない」
「お前なぁ……」
ディークはそう言って深い息を吐いた後、呆れた様子で「魔物と魔族のことだったら、ほんとに積極的だな」と呟く。
いつも淡々としているアルドが、瞳を輝かせるほど興味津々であることには私も気付いた。でもディークは、彼が控えめながら興奮気味であることにも気付いていたらしい。
言われてみると、確かにいつもより声が明るい気がする。
「訊きたいことがあるなら教えてくれるよ。ね、クロ」
「ああ、構わない」
「その代わり、ディークもクロの質問に答えてね」
「何で俺が……」
「ディークずるい」
アルドに「ごめんね。アルくんはディークの後でね」と伝えると……ずるいという言葉ほどには気にしていなかったようで、あっさりと頷いてくれる。
たぶんアルドの方が訊きたいことはたくさんあると思うのだけど……先程からディークがクロに何かを言いたそうにしていて、クロもどうしてなのかディークのことを見ていたので、二人が話せるようにしたかったのだ。
そうは言っても二人とも黙ったままなので……何が訊きたいのかと催促するようにディークへ視線を送ると、その視線の意図を察したディークが一度、息を吐いてから重たそうに口を開く。
「あー……魔族、なんだよな?」
「ああ」
「何で、こいつといるんだ。魔族が人間と一緒にいようとするなんて話、聞いたこともねぇ。何が目的なんだよ」
ディークは眉間に皺を寄せて、敵意を含んだ……咎めるような厳しい目をクロへ向けながらそう言った。
彼とは学校に通い始めた十歳の頃からの付き合いだけど……そのような目で誰かを見ることは今まで一度もなかったと思う。
不機嫌そうに小言を言ってくる時も、嫌いだと言っていた相手と言い合っていた時も、誰かに激しく怒っていた時も……それほどの目はしていなかったのに……。
少し心配になって、私は大丈夫なのか確認するようにアルドを見た。
その視線に気付いた彼は、普段と変わらないように見える表情で首を横に振ったので……たぶん大丈夫ということなのだろう。
「目的が必要なのか」
「何だそれ、どういう意味だよ」
その言葉に、クロは思案するように黙った。
ディークがあからさまに敵意をぶつけているけれど……クロはそんな彼に対してもとくに気にした素振りはなく、驚くほどに落ち着いている。
「考えたが、わからない」
「は?」
「……軽率になる理由と同じだろうな」
クロの言葉を聞いたディークは、ますます意味がわからないと言いたそうに顔を顰めた。
それはそうだろう。私は理解できても、他の人には難解なはずだ。彼は教室へ来る途中で話していた話の続きを話す感覚で、言葉を口にしているのだから。
「興味をもったから、一緒にいることになった」
クロは言い直すようにそう言った。とても簡潔にまとめられた言葉だけれど、確かにそうである。
私がクロに興味がもったことから今、こうなっていて……クロも話を聴いたかぎりでは同じなのだろう。
「目的とは言えないだろうが理由は話した。次は訊いてもいいのか」
「……俺に訊きたいことなんかねぇだろ」
答えにとりあえず納得はできたのか……ディークは悪態をついているものの、先程よりは目が和らいでいるような気がした――とは言っても、眉間の皺は寄せられたままなのだけど。
「その金色の髪と、瑠璃色の瞳のことだ」
クロがそう言うと、ディークの瞳がわかりやすいほど揺らいだ。たぶん予想外の言葉に動揺したのだろう。
彼以外では見かけたことがない特徴的なその色については、一部の人しか知らない情報があるからだ。
「それは人間の王の直系にのみ受け継がれる色だろう」
一応、気遣ってなのか……クロは声の大きさを抑えながらも、疑問ではなく断言するように言った。
離れた位置にいる生徒たちには聞こえなかったはずだけど、聞こえている私とアルドがそのことを知らなかった場合は驚きの発言である。
「……何で魔族が知ってんだよ。知ってる奴は少ねぇはずだ」
否定をすることはなく怪訝そうに睨むディークに、クロは「やはりそうか」と呟く。
断言するような口調だったけれど、どうやら確信があったわけではなく何かを確かめる発言だったようで……。ディークもそれに気付いて、失態だったと苛立たしそうに舌打ちをこぼした。
「何故、人間の王が隠している色を、お前は隠していないのか考えていたが……お前の反応でわかった。人間の王も魔族と大差はないようだな」
「……は、国王が……魔族と一緒だって言ってんのか?」
「酷だな……。死にたくないのなら気をつけたほうがいい」
そう言ったクロの有無を言わせないような……力強さのある真剣な眼差しに、ディークは圧倒されたように息をのむ。
「俺以外の魔族もそのことを知っている。それをお前は知らなかったようだが……人間の王は知っていて、おのれの色だけでなく姿さえも隠している」
その言葉に、私も息をのんだ。
クロの言っていることを理解した頭が、嫌な推測を思い浮かばせる。それはとても残酷で……信じたくはない気持ちと、あの国王陛下ならありえるかもしれないという私情がせめぎあって、混乱してしまいそうになる。
その色を隠さないと魔族から狙われて殺されるかもしれないと、自分の子供に教えることも色を隠させることもなく……自分だけ姿も色も隠しているなんて……。
いつも国王陛下の補佐である宰相に全てを任せて人前に姿を表さない理由も、ディークが一度だけ自分は家族と色が違うのだと悩んでいたその原因も……確かにそうなら納得できる――とは言っても、公表されていないものの実子であるはずのディークが、そのような扱いをされることには納得できないけれど。
それに、名前だけ公表されている彼の実の兄である二人の王子は、自分とは違って国王陛下と同じ色の髪と瞳だとディークが言っていた。
それはつまり、二人の王子は国王陛下と同じく色を隠しているということで……。二人にも理由は教えられていないのかもしれない。それでも、ディークだけがその色を隠すことなく目立たせている。
その意味など、考えたくはなかった。
今は私があれこれ考えて暗くなっている場合ではない。一番、混乱しているのはディークだろう。
そう思ってディークへと視線を向けると……彼は、予想に反して混乱などしていないようで、狼狽えてもいなかった。
理解できなくてではない。理解できた上で、落ち着いている。いつもの彼なら、理解できなかったら苛立った様子で訊き返していたはずだから。
「この色は王家の象徴だって説明されて、何で俺だけなんだって……気にしねぇようにしてたのに、そういうことかよ。最悪な理由だな」
でもそう言ったディークの反応は、理解できたことに関して気にしていない……むしろ納得しているのだと察して、いたたまれない気持ちが込み上げてくる。
私と一緒に黙って聴いているアルドも同じような気持ちなのか……ディークを見つめる彼の瞳は、ほのかに悲しい色が揺らめいている気がした。
「あの臆病な男なら……確かにこんなことするかもな」
「そうか。あとは自分で考えろ」
「魔族に気付かされるなんてな……」
「人間の王の性質を分かっていたのなら、いずれ気付いたはずだ」
「何で、魔族が……俺を助けるようなことを教えるんだよ。俺が知らねぇほうが簡単に見つけられて……殺すには都合がいいはずだろ」
ディークの言葉に、確かにどうしてなのだろうと考える。
クロと出会って二日目の今日も、彼のことを寛容で誰も襲わない、私と似たところがあるいい魔族だと思っているけれど……興味はあってもわざわざ助けるほどに人間が好きかどうかまでは分かっていなかったから。
「助けたつもりはないが……今までその色で過ごしていたお前が、今さら隠したところでどうにかなるとは思っていない。時間は稼げる程度だろうな」
「なら何で教えたんだよ」
「教えずに放っておけば早く死ぬだろう……。そうか。それは助けたことになるのか」
「何だそれ。結局、どっちだよ」
「教えたのは、俺のためになると思ったからだ」
思案した後に改めてそう言い直したクロだけど、ディークも私とアルドもその言葉の意味はわからなくて……彼の次の言葉を静かに待った。
「魔族と人間の争いほど無駄なことはない。そうは思っても行動するほど興味はなかったが……今は興味がある。魔族が人間を殺すのはもったいない」
クロはそう言って……一瞬だけ私を見た後、またディークへと視線を戻して口を開く。
「今はまだどうにもできない。どうにかするまでは、殺されないように生きろ」
「……。お前は魔族みてぇな怖さはねぇけど、めちゃくちゃでやばそうな奴だってことはよく分かった」
そう言ったディークはクロに対して、呆れながら私を見る時と同じ表情を浮かべている。
可愛い見た目であっても、クロは誰にも劣らない威厳のようなものを感じるくらいに存在感が強い。
ディークへの接し方はとくにそれを感じた。実は、彼は強い魔族にも頭を下げられるような存在なのではないかと思えるほどに。
「おもしろくて、いい魔族だよね」
私がそう言って笑うと……アルドは頷き、ディークはなんとも言えない表情を浮かべた。
でもしばらく会話をしたことで……アルドはほとんど最初からだけど、ディークもいつのまにかクロに対しての警戒心が薄れていたので良いことだと思う。
「次は俺がクロさんに訊きたい」
また瞳を輝かせて言ったアルドの言葉で、次はアルドとクロが会話することになった。
ずっと立ったまま話していた二人も、私とクロの前の机と椅子へと座り……。先生が来るまでの残りの時間ずっと、アルドは魔族に関してのことを訊き続けていた。
そうして時間は経ち……。
先生が来てやっと質問責めから解放されたクロは少しだけ疲れたのか、眠そうに瞼を閉じて開いてを繰り返していたけれど……。
一般学の授業が始まると、生徒たちよりも真剣に先生の話を聴いていて……その様子に、緩む表情を頬杖をついた手で隠しながら、私も先生の話へと意識を集中させるのだった。
以下、上記文章内より参照。
登場人物追加情報。
〇クロ
・人間と魔族が争うことは無駄だと思っている。
・見た目からは想像できない威厳と存在感が強い。
〇ディーク
・国王の実子。
・髪と瞳の色が王家の象徴である色ということと……
・彼が王子であることは王族と一部の人しか知らない。
・二人の兄がいる。
・国王や兄と髪と瞳の色が違うことに悩んでいた。
・父親である国王のことを臆病だと思っている。
〇アルド
・魔族と魔物に対して興味と好奇心が強い。
・クロと話せたことに感動するほど。