【先生と、使い魔という名の未知なもの】
その後は何事もなく先生たちの部屋に辿り着いた。
部屋の扉を開くとすぐに、たくさんの先生たちがいる中でも話したかった先生と目が合って……。
手招きをすると先生はとても嫌そうな表情を浮かべながら、重い体を動かすようにゆっくりとした動作でこちらに近付いてくる。
「朝から来た理由は何ですか。また問題でも起こしたんですか」
「ちょっと相談がありまして、今大丈夫ですか?」
「ろくなことではないと分かっていて、大丈夫ですとは言いたくないんですが。私でないと駄目なんですか?」
あからさまに嫌そうで億劫そうに言葉を吐いている彼は一応、私の担当の先生で……。
学校では授業や鍛錬の先生とは別に、生徒を補助するための先生がいるのだけど……その先生である彼は三十人程の生徒を担当していて、私はその中の一人である生徒だ。
人に厳しく自分の生徒には優しい先生なのだけど、私に対しては出会った時から今でもずっと自分の生徒以外の生徒よりも億劫な態度をとる。
そして、緑がかってくすんだ茶色の瞳はいつも酷く冷たい。
もう長い付き合いであるのに出会った時から今でもずっと変わらない彼の態度が、精霊に対しての敬意と深い信仰心からなのだと知ってからは怒る気にもなれなくて感心している。
ちなみに学校で一番、私を分かりやすく目の敵にしているが彼だ。無能と言って軽蔑してくるほど嫌われてもいる。
だから出来る限り関わりたくはないけれど、彼が担当の先生なので仕方なく関わるしかない。困った話である。
ただ、先生としての仕事は優秀な上にしっかりこなしてくれるので文句はない。
嫌いだろうと分別は弁えられる大人なところは先生として尊敬はしている――とは言っても、緩く結んで垂らされている……彼の瞳と同じ色の長い髪を、いつか強く引っ張ってやりたいと思っているほどには嫌いだけど。
「使い魔の同行許可は担当の先生にもらうと聞いたので。マリアス先生じゃないとダメですよね?」
「はぁ……無茶な要求の次は使い魔ですか」
呆れからのため息を吐いた後に、真意を探るような鋭い眼差しを向けられて少しだけ逃げたくなったけれど、私は負けじとマリアス先生を見つめ返す。
無茶な要求というのは、三ヶ月後の実力査定の相手に騎士団長を指名したことだろう。
反対されても、挑戦相手は自由に選べる権利があることを利用して意地でも曲げなかったので、最終的には学校から認められたもののマリアス先生からの反感を買ってしまっていた。
そのことがあったばかりだから、警戒と反抗的な振る舞いをされるのは仕方がないとは思う。
実際、今回の相談はそれ以上に反感を買いそうなことなので、マリアス先生の反応に文句は言えない。
「ああ、自分では勝てないと気付いて使い魔を?」
その嫌味が籠った言い方に、私は笑う。
嫌味はともかく、そう思われるのは許可をもらうために都合が良かったからだ。
「そうですね。許可をもらえますか?」
「仕方がないですね。これでも少し同情はしていたんです。今後のためにも許可しますよ。使い魔がいると貴女でも少しは役に立つでしょうから」
本当に嫌な男である。
話す度に嫌味を言えるのはある意味凄い。口達者で頭の回転が速い才能を、嫌味を言うために使うのだからとんでもない無駄使いだと思う。
そのおかげで私の思い通りに簡単に許可してくれて……なおさら、彼にとっても無駄使いになっていることが面白い。
部屋の扉の前から、足早に自分の机がある方へ向かうマリアス先生を追いかけて移動する。
彼がいつもより迅速な動きをしているのは、早く終わらせてしまいたいとでも思っているのだろう。
着いてすぐに椅子に座ったマリアス先生が、机の鍵を開いてから丁寧にファイルに入れて整理された書類の中から一枚、取り出した。
それを覗いてみると、無駄にたくさん文章が印字されたその書類は私が求めている使い魔の同行許可書だった。
これがあると国からも同行許可証をもらうことができる。
それはどちらも、私と一緒であれば学校はもちろんどこへ行くのも許されているということを証明できるものだ。
そして存在を公認するものでもあるので、人間と同じく保護対象となり……誰かから攻撃されたり捕獲されたりすることへの抑制にも繋がる。
クロが私と一緒にいることや使い魔という言葉を容認したり、学校に来たいと言わなかったら……これを手に入れることはできなかった。手に入れようとも思わなかったと思う。
国から直接もらうには、使い魔を見て判断されてからになるので不可能だっただろうから。
学校で許可書をもらうのも本当だったらそうするはずだけど、悪用などされた実例はないので、学校側は許可書を渡すことへの抵抗感があまりないのだろう。
普通だと使い魔を連れて来て先生に頼んで許可書をもらうという流れらしいけれど、頼んだのが私だったこととマリアス先生の私への対処の仕方のおかげで、それもしなくて済みそうで有難い。
手渡された許可書とペンを受け取り、クロの名前などを手早く記入してからまたマリアス先生へ渡した。
それから数十秒ほど、マリアス先生は静かに記入された文字を見た後、許可書から私へと視線を移して口を開く。
「動物型の魔兎……? 魔物の中でも一番弱い魔物を使い魔に? 何故、わざわざ弱い魔物にしたんですか。まさか普通の魔物の使役すらできないんですか?」
「うーん。仲良くなったので」
怪訝そうな眼差しを向けられたので、私が誤魔化すように笑うとマリアス先生は、呆れた表情を浮かべながら許可書に自分の名前をあっさりと記入した。
「はぁ、本当に貴女は理解できませんね。そんな魔物で貴女の無能を補える気がしませんが……言っても無駄でしょうから弱いもの同士、頑張って下さい」
そして嫌味を言ってから立ち上がり、許可書を持ってどこかへ行ってしまったので、しばらく待っていると……数分後には戻ってきた。
マリアス先生は無言のまま椅子に座って、許可書を机の上に置く。
手渡さずにわざわざ机の上に置かれたことにため息が出そうになるのを我慢して……許可書を手に取って見てみると、そこには紋章である"妖精の絵"の印が押されていた。
悪巧みが成功した時のように、我慢できなくて表情が緩む。
これでこの許可書は正当に認められた……学校と国が認めた証拠となったのだから、そうなるのも仕方がない。
私はその許可書を丁寧に折りたたみ、ジャケットの内ポケットの中へと大事に直した。
「クロ、お待たせ。もう出てきて大丈夫だよ」
そして、リュックを床に置きファスナーを開いてからそう言うと、少しの間を置いてからクロが出てくる。
その姿をマリアス先生は興味がなさそうに見ていた。最初はとくに反応していなかったので、魔族だとは思ってもいなくて気にならなかったのだろう。
でも意外と長い一分程度の静かな時間が経ってから……マリアス先生は驚愕によっていつもの皮肉な色が消えた目を見開き、激しい音を立てながら立ち上がった。
その音に驚いた先生たちの視線が集まり一瞬の静寂が辺りを包んだ後、それを打ち破る誰かの悲鳴が部屋の中に響き渡る。
そして、その声に反応して次々と叫び声が広がっていき……我に返ったマリアス先生が、私を責めるような怒りを滲ませた顔で口を開いた。
「貴女は何をしているんですか。何故、魔族を連れてきたんですか」
「マリアス先生が許可してくれた魔兎のクロです」
「……私が許可したのは魔物の魔兎です。魔物の角もない、その赤い瞳はどう見ても魔族でしょう。許可していません」
「魔物か魔族か書く欄はなかったので。私はちゃんと動物型の魔兎と書きましたし、マリアス先生もそれを見て許可書をくれましたよね?」
「そもそも魔族は人型か異形型で、そんな動物型の……魔兎の姿をした魔族はいません」
マリアス先生は納得がいかないと複雑そうな表情を浮かべながらそう言った――そんなことを言っても実際にいるのだから仕方がないのに。
人間の魔族に対しての知識不足か、私と同じようにクロだけ特別で特例なのかはわからないけれど。
「やっぱりクロの見た目は珍しいんだね」
クロに話しかけると、視線だけこちらに向けながら黙っていて、肯定も否定もしなかった。
「どこで何をするとそれほど異質な存在を見つけられるんですか。類は友を呼ぶと言いますが、さすがに異常過ぎます。魔族を使い魔にすることも、一緒にいることも普通はありえません」
「近くの森で会って仲良くなったから一緒にいるだけですよ」
「近くの森にそんなものがいたなら大問題です。もしいたとしても仲良くなるのも、今ここにいることも大問題です」
マリアス先生がこれほど混乱して冷静さを失っている姿を見るのは初めてだ。
意趣返しができたと笑いたいところだけど、思っていたよりも大騒ぎになっているのはどうしたものかと考える。
大人の……それも各分野で優秀な先生たちだから、少しは落ち着いて話ができるかもしれないと期待していた。でも思い違いだったらしい――とは言っても、八割くらいこうなるだろうと思っていたけれど。
これでは生徒たちに見つかってしまうのと同じだった気がする。
「見ての通りクロは人を襲いませんし、大人しい魔兎です。だから大丈夫です」
「そういう問題ではありません」
「うーん。でも許可書があるので抗議は受け付けません。今後一緒に行動するのでマリアス先生も他の先生たちも慣れて下さい」
そう言うと、マリアス先生から信じられないものを見るような目で見られた。
簡単には納得しないだろう。でも許可書があるので先生たちはどうにもできないのだから、最終的には納得するしかないはずだ。
それにクロが誰も襲わない状況が続くと、魔族でもクロなら大丈夫だと慣れてくるだろうから、今は何を言われても我慢しようと思う。
どこからか「確かに大人しい」「襲ってこないな。使い魔だからか?」などと聞こえてくるので、案外早く慣れてくれる人もいるかもしれない。
「その許可書は無効です。返しなさい」
「前例がないだけで、使い魔は魔物だけって決まりはないはずですよね? 正当な許可書を無効にすることも、処罰の対象でもないのに取り上げることもできないはずですよ。もしできたとしてもその権限は、マリアス先生にはないってことも知っていますよね?」
言いくるめるように言ったその言葉が正しいからこそマリアス先生は反論ができずに、苛立った様子で拳を握りしめながら口を閉じている。
「私たちはそろそろ行きますね。もうすぐ一般学の授業があるので」
そう言いながら部屋を出て行く私たちのことを、止める先生は一人もいなくて……。もうすぐと言った授業の時間まではまだあと一時間くらいあるけれど、そんなことを気にとめる人もいなかった。
許可書の効力は絶大である。
一度認められた許可書を無効にすることと取り上げることは、私か使い魔が処罰の対象となる問題を起こさない限り不可能なことなので、手に入れてしまえばこっちのものだと思っていた。
処罰の対象というのも、人を殺めたり悪意を持って人を傷付けたり……国や学校などに多大な被害を与えるなどの大罪を犯さなければ処罰の対象にならないので問題ない。
そうでもないのに国や学校が許可書を無効にしたり取り上げたりすることは、自分たちがつくった法や許可書というものを否定することになるし、間違えていたと言うようなことでもある。
わざわざ問題も起こしていないようなことを対処するためだけに、そんな国の秩序と尊厳(権威)を壊すようなことはしないだろう。
「クロ、大丈夫? 嫌な視線向けられたよね……」
部屋から出た後、一般学の授業がある部屋へと向かう途中で立ち止まりクロに話しかけた。
魔族であるクロが、あれほどたくさんの人を前にすることも、たくさんの嫌な視線を浴びることも、今までなかったかもしれないので心配になったから。
「俺は問題ない。大事になるとは理解していたが……お前の立場を悪くしたのはすまない」
「大丈夫だよ、元々良くもなかったから。結果的に許可書も手に入って、願ったり叶ったり最高の気分だよ」
私はとくに気にしていないようなクロの反応に安堵しながらそう言った。
それから少しの間を置いた後、クロはずっと気になっていたのか……「それで揉めていたみたいだが、それは何だ」と、同行許可書のことを訊いてきた。
確かに、魔族には無縁だった使い魔というものの書類のことなど機会もないだろうから知らないだろう。
簡潔に説明をすると……クロはすぐに理解したようで「便利だな」と納得した様子で呟いた。
「これを見せるとクロと一緒に歩けて、人から攻撃される心配もなくなるから……むしろ環境が良くなったと思う」
そう言って笑うと、クロの表情が少し柔らかく緩んだ気がした。
「そうだな……。人間に興味が湧いて連れてきてもらったが、途中で話を聞くだけでも良かったはずだと考えていた。わざわざ外に出て直接、見る必要はあったのか」
語るように話す彼の言葉を静かに聴く。
考え事をしていたからリュックの中で返事もなく黙っていたのかと、先生たち部屋に来る前のことを思い出しながら納得した。
「軽率になる理由を今気付いた。お前が一緒なら、人間に近付いても大丈夫だと思っていたからだ。結果的に悪くなっていない……むしろ自由な行動と、人間との争いを避ける有効な手段ができた」
「クロにとっても良いことにも繋がったってことだね。良かった」
「……不思議なものだな」
そう言って私を見つめるクロの眼差しは、優しく穏やかものである気がして……。
どうしてなのか、私は胸が擽られるような感覚に恥ずかしくなってきて、紛らわせるように笑みを浮かべた。
「まだ早いけど、一般学の教室に行ってみる?」
誤魔化すようにそう言うと、クロが「ああ」と頷く。
本当にまだ早いけれど……きっと大騒ぎになるだろうから、早く行って先生が来る前に騒ぎを終わらせたほうが良いだろう。
そう思って足早に教室へ向かっていると、すれ違う生徒たちがクロを見て……深紅の瞳であることに気付いた者の悲鳴が伝染するように、恐怖や驚愕の叫びが廊下の至るところで響き続けた。
そんな中、立ち止まることも顔色を変えることもなく歩き続けたけれど……。
この現状が教室の中でも続くだろうと考えて……私は、先生が来る前に騒ぎを終わらせようとするのは無理かもしれないと思い直すのだった。
以下、上記文章内より参照。
登場人物の追加情報。
〇マリアス
・主人公の担当の先生。
・緑がかった茶色の髪と瞳。
・長い髪を緩く結んで垂らしている。
・億劫な態度と嫌味が多い。
・学校で一番、主人公を目の敵にしている。
・精霊への敬意と深い信仰心をもっている。