【魔法学校】
翌日。
クロと出会い、彼が家で暮らすことになった初めての朝のこと。
昨日が楽しい一日だったからなのか、夢も見ないほどに熟睡できたおかげなのか……。今日は起きた時からすっきりしていて、朝から清々しい気分だった。
上半身を起こして周りを見渡すと……クロが器用にも窓のふちの上に乗って、窓ガラス越しに外の風景を眺めている。
私よりも早く起きていたらしい。
声をかけて邪魔をしてしまうのは気が引けたけれど、黙って学校へ行く準備を始めるのもどうかと思ったので、結局「おはよう」と声をかけた。
でもクロは私が起きたことに気付いていたようで……。
突然の声に驚いた様子もなく、軽々とした身のこなしで窓のふちから飛び降りて……「ああ。おはよう」と、私と目を合わせながら少しだけ掠れた声で挨拶を返してくれる。
その声が掠れていることもだけど、昨日よりもゆったりとした話し方なので、もしかしたら彼もまだ起きてからそれほど時間が経っていないのかもしれない。
「今日は学校があるから、クロは自由に寛いでいてね。ご飯はお母さんかお父さんが持ってきてくれるから」
「学校……。ああ、確か人間はそこに行く必要があるんだったか」
「うん。決まりだからね」
学校は一般常識と文化や歴史、それから剣術や魔法の知識と実技などを一人一人が学ぶための場所で、学校に通うためのお金はかからないけれど……その代わり子供たちはみんな十歳になった時から十九歳になるまで、必ず通わなければならない決まりがある。
理由は優秀な人材の育成と、一人一人の能力を把握するためらしい。
そうは言っても休んだりすることは可能なので窮屈さはないものの……良い職を目指したいのなら通っていたほうが良いらしいので、多くの人が行かざるを得ない状態だったりはする。
私も学校がある日は毎日通っているけれど、その理由は強くなりたいからだ。
年月を重ねて剣術では学校一だと言われるようにはなっても、まだ多くの人に認めてもらえていないのが今の現状で……十九歳になるまではあと半年程度の時間しか残っていない。
そして、一年に一回行われる実力査定の日まではあと三ヶ月。
学校最後の査定日であるその日は、特例として実力者への挑戦が一人一度のみ許されている特別な日であり……国一番の剣の使い手であるソードマスターと呼ばれている王国騎士団長に挑戦することで、魔法を扱えなくても戦えることを証明できるかもしれない最後で唯一の機会である。
そのような機会はよっぽどの事がない限り二度とないので、その日のために今までずっと鍛錬をしてきたと言っても過言ではない。
「行って何をしているんだ」
「うーん。色々と学んだり、剣や魔法の鍛錬をしたりとかかな」
「そうか」
「気になるの?」
「ああ。今まで気にしたことはなかったが……」
今は気になるのだと言うクロの瞳の中に、いつもは深く隠された感情が浮かび上がるように……好奇心のようなものが僅かに垣間見えた気がした。
昨日の印象では、基本的には無関心なのかもしれないとなんとなく思っていたけれど……もしかしたらそうではないのかもしれない。
「俺が行くことはできるか」
「え、行きたいの? 隠れていなくていいの?」
「ああ。隠れるのはその場しのぎ程度であまり意味はないからな」
私はクロが隠れる理由を知らないから、本人がそう言うのなら良いのだろう。
念のために隠れようとは思っているけれど、あまり意味はないから動きたい時は自由に動くといった感じなのだろうか。よく分からないので、気にしない方が良い気がした。
「言ってみただけだ。お前が困るなら気にしなくていい」
少し思案していたせいか、クロは行かなくてもいいと言い直すようにそう言った。
でも、彼の瞳の奥にある有無を言わせないような力強い光を見てしまうと……どうしてなのか駄目だとは言えなかった――そもそも、私はクロが学校に来ることを反感するつもりは全くないけれど。
「ううん、私は大丈夫だよ。学校的にも、使い魔を連れてきている子もいるからできなくはないと思う。クロが行きたいのなら、先生に訊いてみるね」
その言葉に頷くクロを見て、私の口は自然と開いていて……。
「とりあえず一緒に行く? 許可してもらえるまでは、リュックの中に入っていてもらうことになるけど」
そんな提案を軽々しく言ってしまう。
言った後で、それはさすがに良くないのではないかと……誰かに気付かれた時は大騒ぎになるどころか問題になりそうだと思ったものの、言い直す前にクロが頷いたので改めて家にいてほしいとは言い辛くて言えなかった。
きっと大丈夫だろう。
気付かれる前に相談して許可をもらえば良いのだ。仕方がないけれどその時は使い魔という言葉を利用して言いくるめるしかない。
許可をもらえてリュックから出たクロが何か言われるようなことがあったら、周りにもそう言って黙らせよう。
そう考えてから、私は気を改めて学校へ行く準備をした。
リュックの中にタオルや飲み物と筆記用具を入れて……鍛錬する時と同じ上下黒色の服とベルトを腰に付けて帯剣した後、髪をいつものように結んでから、学校指定の服である白色のジャケットを着る。
私はこれを着るといつも、左の胸ポケットの……"精霊の絵"をつい無意識のうちに撫でてしまう。
中性的で神秘的な精霊の姿を、黄金の糸で綺麗に器用に表現された美しい絵。
この"精霊の絵"は、精霊を敬い讃えているこの国の紋章だ。
精霊は常に命あるものと共にあり……精霊が存在しているから魔法を扱えているのだと言う人間の、精霊に対してへの敬意と信仰心は絶大である。
だからこそ魔法を扱えないことも精霊によるものであり、私は精霊から唯一嫌われた存在だと言っている人達の意見を否定することは難しい。
確かにそうなのかもしれないと自分でも思うことがあるから……。
でもそうだとしても、精霊を恨んだり怒りが湧いたり……何かを思うことは一度もなかった。たぶん精霊のせいにしたくないからだと思う。
ただそれに伴って、敬意や信仰心もあまりないのだけど……。そのことすら異端だと言われたことがある。
私の立場になって考えてほしいと言いたくなるような理不尽な話だけど、私しかいない立場など考えられるほうが難しいことなのだろう。
学校がある日……紋章を見る度に色々と考えてしまうのは、学校も紋章も苦手だからだと思う。困ったものだ。
深く息を吐いた後、クロから見られていることに気付いて……私は誤魔化すように笑った。
考えれば考えるほど暗く沈んでしまう気がする上に、
彼の深紅の瞳に何もかも見透かされてしまいそうな気がするから……考えるのは止めにしよう。
「リュックの中、昨日よりも狭いけど大丈夫?」
「ああ。問題ない」
そう言って広げたリュックの中に入っていくクロの姿が可愛くて癒された後、ファスナーを少し開いた状態まで閉じてからゆっくりと背負った。
部屋から出て階段を下りて……店のキッチンで料理の仕込みをしている父と母に、私は「行ってきます」と声をかけてから外に出る。
出た後で、そういえばクロを連れて行くことを伝えていなかったと思い出したけれど、伝えると父が反対するだろうと思ったのでそのまま学校へと向かって歩いた。
学校に近付くにつれて突き刺すような……無遠慮な視線が増えていく。
もう慣れているのでとくに気にはならない。
魔法を扱えないということだけで会って話して自己紹介しなくてもすぐに顔を憶えてもらえるので、私のことを知らない人はほとんどいないこの学校の中では仕方がないことだったから。
そうして学校へ着いてから……魔法や剣術の鍛錬場と、魔法学と一般学、それから歴史学などの教室を通り過ぎて、先生たちがいる部屋へと進む。
このまま行けたら順調だったのだけど……途中で見知った顔に進路を遮られてしまったので、私は心の中で息を吐いた。
「おはよう、エルさん」
「うっわ、今日も来たのかよ。魔法が使えねぇくせに、わざわざ来るなんてほんとにバカだなお前」
「おはよーアルくん。今日もディークは絶好調だね」
「うん。ディークが馬鹿でごめん」
「アルド、お前……またこいつのこと庇うのか?」
そう不機嫌そうに話す……明るく透き通った金色の髪と、紫がかった青い瑠璃色の瞳をもつこの男の名前はディーク。
魔法を扱えない私のことを、この学校で二番目に分かりやすいくらい目の敵にしていて……会うたびに小言を言ってくる直情的で感情的な態度と、人の目を引く整った容姿が騒がしく目立つ男である。
そんな彼をフォローしながら、私に対して普通に接してくれている青年は【アリビオ】の従業員でもあるアルくんことアルドで……。
彼の柔和な顔立ちと、柔らかく薄い橙色の髪と瞳はディークを見た後だと際立って目に優しく感じる。
「庇うも何もディークが悪い。いい加減、普通に話せばいいのに……エルさんと話す時だけ馬鹿になるの、失礼だからなおせってこの前も言った」
「はぁ? お前、どっちの味方なんだよ」
「エルさん」
「ふざけんな、俺の味方しろよ!」
「嫌な言い方をするような奴の味方はしない」
そんなアルドの淡々(たんたん)とした態度と言葉に、ディークは悔しそうに歯を食いしばりながら眉間に皺を寄せた。
相変わらずこの二人の言い合いは面白い。
ディークが私に何かを言ってアルドが私を庇う、というこの流れはもう毎度のことで……そうなるとさらにディークが不機嫌になることもいつも通りだ。
こういったことも、私を気に入らない原因の一つなのだろうと思う。
この夫婦喧嘩のようで兄弟喧嘩のようなものに巻き込まれて、最終的に私は蚊帳の外であることも毎度のことである。
「先生に用があるからもう行くね」
「おい、勝手に行くな!」
言い合う二人を置いてさりげなく逃げようとしたのだけど……ディークから腕を掴まれたせいで動けなくなった。
言葉と態度の他に力まで加減できない彼に掴まれた腕は、圧迫されて痕が残りそうだと思うほど痛い。
出そうになるため息を我慢しながらディークの手を掴み離して……そのまま両手で彼の手を握り締めて「どうしたの?」と見つめながら訊くと、いつもは自信に満ちた綺麗な目が驚いたように丸くなった。
そして彼の白い頬が、急激に赤く染っていく。
私から触ると、こんな反応をした後に大人しくなることは知っていたので実行したのだけど……いまだに効果抜群のようだ。
乱暴で面倒になりそうな時に彼を落ち着かせるための技であり、わざとである。
「お前……あの騎士団長に挑戦するって話、本気なのか?」
「本気だよ」
そう答えると、ディークは眉間に皺を寄せた。
四日前に先生たちと話したばかりの情報がもう知られていることには驚いたけれど……相手が彼であれば仕方がないかと納得した。きっと先生の誰かが、彼に訊かれて話すしかなかったのだろう。
何の為にわざわざ訊いたのかは疑問だけど。
「魔法が使えねぇくせに何でそんな無謀なこと……」
「そうだね。でも私には剣術があること、ディークも知っているよね?」
「あいつは剣術だけでどうにかなる相手じゃねぇから言ってんだよ」
「皆そう思っているからこそ挑むの。そのために頑張っているから大丈夫だよ。もし負けても今まで通り無能と言われるだけだから」
そう言って笑えば……ディークは苦虫を噛み潰したような何とも言えない表情を浮かべた。
貶したり怒ったり照れたり心配するような素振りをしたり、本当に騒がしくて面白い性格だと改めて思う。
「だからって……わざわざ一番強い奴を選ぶ必要はねぇだろ」
「心配してくれてありがとう」
「はぁ? 心配なんかしてねぇよ!」
「大丈夫だよ。まだあと三ヶ月あるから」
「あと三ヶ月でどうにかなることじゃねぇだろ、ふざけんな。何でわざわざそんなこと……」
「無能って言われたくないから」
その言葉にディークの表情が歪む。
私がそれを気にしていることは知っているから、何も言えなくなったのだろう。会う度に憎まれ口をたたいてくるけれど、ディークはそれだけは一度も言わないでくれている。
それは無意識なのか意識してなのか……。
本当に嫌なことは言わない彼だから、乱暴で騒がしくて色々と言ってくることを面倒だと思うことはあっても、嫌いにはなれない。
「言わねぇよ、誰ももうそんなこと……。まさか、まだ言う奴がいるのか?」
彼の言葉に首を横に振ったけれど、今まで黙っていたアルドが否定するように口を開いた。
「残念だけど影で言ってる奴は多いし、ディークのいない時はエルさんにぐちぐち言ってる奴もいる」
「は? 聞いてねぇ……何だそれ。何で今まで黙ってたんだよ」
「エルさんが自分で言い負かしてたから、わざわざディークに言う必要はないと思ってた。それにディークが関わると大騒ぎになってもっと悪化する」
「お前……」
宥めるように言ったアルドの言葉に、ディークが絶句している。
言い方はともかく大騒ぎになって悪化するのはその通りなので、ディークに言わないでいてくれたのは有難い――とは言っても今言ってしまったけれど……アルドがどうにかしてくれるだろう。たぶん。
ディークが黙った今のうちにとでも言うように、アルドは私を見ながら口を開く。
「ディークのことは気にしなくていいから。用があると言ってたのに手間かけさせてごめん」
「大丈夫だよ、ありがとう。ディークのことお願いね」
「うん。言いくるめておく」
まだ何か言いたそうなディークのことはアルドに任せることにして、私はその場から離れることにした。
ようやく、先生のところに向かうことができる。
ずっとリュックの中にいるクロに「ごめんね」と呟いた。でも少し経っても返事がないので、聞こえていなかったのか眠っているのだろう。
早く終わらせないと……。
私はクロに申し訳なく思いながら、向かう足を早めた。
以下、上記文章内より参照。
登場人物追加情報
〇ディーク
・明るい金色の髪と自信に満ちた瑠璃色の瞳。
・横暴で感情的。
・目を引く整った容姿。
・主人公曰く、騒がしく目立つ男。
・性格が正反対なアルドと仲が良い。
〇アルド
・【アリビオ】の従業員。
・柔らかく薄い橙色の髪と瞳。
・柔和な顔立ち。
・淡々とした口調と性格。
・主人公曰く、目に優しい少年。
・ディークと仲が良い。でも彼への対応は雑。