【奇妙で異質な、二人の異端】
お腹がすいてきたので、そろそろ昼時くらいの時間だろうか。
いつの間にか眩しかった陽射しは和らいでいて、鍛錬による汗はもう乾いている。
私と魔族である魔兎は、いまだに逃げることも戦うこともなく……。
私はいつも休憩する時と同じように切り株に座っていたし……私が手招きしたことで、彼もまた小さな体で切り株の上に乗って座っていた。
人間と魔族が仲良く一緒に座っている。
その光景を他の誰かが見ていたら……危ないと叫ぶか、奇妙な光景だと目を疑うことだろう。
でも今は誰もいない。だから、この時の私たちはお互いが気にしていなかったこともあり、とく何か思うこともなく隣り合わせで話していた。
「魔兎の魔族は何を食べるの?」
「好き嫌いはないが、よく食べるのは米や野菜だな。それと果物……まぁ何でも食べる」
「お米も食べられるんだ。人間と同じだね」
「魔族にもよるがな」
深紅の瞳とうさぎの姿であることを気にしなければ、人と話していると錯覚してしまうくらい人間のような魔兎に、段々と親近感すら湧いてくる。
そのせいなのか、思うところがあったからか……私はリュックの中から握り飯を取り出して、彼に一つ差し出した。
「それなら、お魚の入ったおにぎりは食べられる?」
「俺にくれるのか」
「うん。もうお昼だから一緒に食べよう。それとも、お腹はすいていないかな?」
「腹は……すいたな」
「やっぱり。痩せて見えたからもしかしてと思って。私は一つで大丈夫だからたくさん食べてね」
先程は受け取ってもらえなかった握り飯の包みを外してもう一度差し出すと、少し戸惑っているような仕草をした後に、小さな手を器用に使いながら握り飯を持った。
自分の頭より少し小さいくらいの握り飯を頑張って持っている姿は、とても可愛いく見える。
「自然の恵みと命に感謝を……。いただきます」
両手の手のひらを合わせてから食べ始めると、すぐに視線を感じた。
何か思うことでもあったのか、中々逸らすことなくまっすぐに見つめてくるので無視することはできなくて……食べることもなくどうしたのかと訊く代わりに私は首を傾げる。
「今のは何をしているんだ」
今のはというのは食事の前に手を合わせたことなのだろうと察して……「これのこと?」と訊きながら、握り飯を持ったまま両手の手のひらを合わせるような動作をしてみると、魔兎はそれのことだと言うように頷いた。
「これはいただきますの言葉と同じで、作ってくれた人や自然、食べ物になった生命に敬意と感謝を込めてするものだよ」
「……そうか。魔族にはない、いい文化だな」
感心されたことに驚く私を気にした様子はなく、彼は握り飯を包みの上に置いて……真似をするように小さな両手を合わせてから、おにぎりを食べ始めた。
小さな口を動かして「美味いな」と言いながらあっというまに完食したのでまた握り飯を渡すと、それも美味しそうに食べてくれた。
その一連の様子を見ていたらどうしてなのか胸がじんわりと暖かくなったような気がした。
そして、それと同時に怖い存在であるはずの魔族の魔兎に対してますます興味も湧いてくる。
「何だか不思議な気分……。悪くない魔族もいるんだね」
「肯定はできないな。魔族の多くは生き方と思考が狂ったクズばかりで、純粋ないい魔族はいないと思っていたほうがいい」
「クズ……」
彼は可愛い見た目に反して中々、口が悪いらしい。
自分も魔族なのに……人間が魔族は残忍だとか危険だとか敵だとか言うのと同じようなことを言う魔族もいるのかと少し驚いたけれど……人間が人間を貶すことがあるのだから、魔族が魔族を貶すこともあるのだろうと納得した。
でもやっぱり不思議と彼の言葉には嫌な感じがしない。貶すような言葉なのに、本当に貶す意味で言ってるわけではないように感じる。
ただ単純に本当のことを口にしているだけなのだろうと……どうしてなのか理解できて……。
不思議な魔族だと、私は改めて思った。
「ねぇ、黒うさぎさん。私はエルーナ。あなたは魔兎だけど名前はあるの? 何と呼んだらいいかな?」
自然と口から溢れたその言葉を聞いて魔兎は驚いたように……ぱちぱちと効果音が聞こえてきそうな瞬きを繰り返した。
一瞬の静寂の後、彼は気を取り直したように口を開く。
「好きに呼んでいい」
「うーん。それなら"クロ"って呼んでも大丈夫?」
漆黒の綺麗な毛色を見ながらそう言うと、彼はまた驚いた様子だったけれど、今度はすぐに「ああ」と了承の言葉とともに頷いた。
どうかしたのだろうか。自己紹介をすることに対してなのか、名前を訊いたことに対してなのか……力強い深紅の瞳が何かを探るようにこちらを見つめている。
真意はわからないけれど、何だか見透かされそうなその瞳から私は逃げるように……誤魔化すように微笑んだ。
「お前はよく笑うんだな」
「そうだね。クロと話すのが楽しいからかな」
「魔族といて楽しいと思うのはさすがに危機感がなさすぎるんじゃないか」
「それをあなたが言うんだね」
「……どういう意味だ」
「だって楽しいのはクロが私を襲わずに話してくれて、一緒にご飯も食べてくれたからだから……。危機感をもてないのもクロのおかげかなと思って」
注意するような言葉に笑いながらそう言い返すと、クロは絶句した様子で口を閉じた。
「そういえば、クロはどうしてここにいたの? この森はあまり魔族や魔物は寄り付かない場所なのに」
なんとなく話を変えるために、私は彼がここにいる理由を訊ねる。
そもそも気にはなっていた。
この森は、人が少ないとは言っても数十分歩くと賑やかな街に繋がっていて……魔法に長けた人たちが私のように鍛錬をする物騒な場所でもあるので、人間を嫌う魔族と弱い魔族や魔物は人間から攻撃されないためなのか滅多に現れることがない。
それに魔族や魔物も人を襲うためならもっと襲いやすい場所に行くだろうから、わざわざ近寄らないだろうと言われている場所なのだ。
彼の深紅色の瞳が……その色の魔族は強いという言葉が正しいのなら、人間から攻撃されたとしても大丈夫だからここにいるのかもしれない。
でも、こうして私と会話をしていることから人間を襲おうと思っているわけではないようなので……わざわざここに来る理由はないように思える。
「彷徨っていたらここに着いた」
「家族とはぐれたの? 魔兎はたしか群れで行動するって習った気がするけど、あなたはひとりだよね?」
「……ああ」
「そっか。あ、だからご飯も食べられなくてお腹がすいていたんだね」
そう言うと、クロは一瞬の間を置いてから頷いた。
たぶん反応的に違うのだろう。そう思ったけれど本人は肯定しているから、話したくないのかあまり深い経緯はないのかのどちらかだろうと思ったので、それ以上は訊かなかった。
「これからどうするの?」
「とくに考えていなかったが……しばらくはこの辺りで身を隠して過ごすだろうな」
「隠れたいの?」
その問いかけに少し思案するように黙った後、クロは「ああ」と答えた。
確かにこの辺りはあまり人が来ない。だから私もここで鍛錬をしているのだけど……。過ごすとなると別の話だ。
さすがにこの森で過ごすのは、果実などの食料も飲み物もないようなところなので微妙である。そのせいで動物も住み着いていないような場所なのだ。
そんなところでどうやって過ごすのだろうかと、会ったばかりの……それも魔族に対して心配になってしまったのは、彼が言った通り危機感がないせいなのだろうか。
「それなら私の家で暮らす?」
そして、そんな言葉が口から溢れたことも……やっぱり危機感がないせいなのかもしれない。
どうしてなのか自分でもわからない。でもどうしてそんなこと言ったのかを考えるよりも、私の言った言葉のせいでまた絶句している彼の様子が面白いだなんて場違いなことを思っていた。
「……本気か」
「クロがそのほうが良さそうなら、私はいいよ」
「それは正直、助かるが……どうしたらその考えになるんだ? 人間だからか。いや、これほど危機感どころか警戒心まで壊れている者は中々いない気がするが……」
そんな言葉とともに得体の知れないものを見るような目で見られてしまった。
何だか複雑な気持ちになったけれど、仕方がない。けして一般的とは言い難い……ありえないようなことを言っているのだから。自分でもその自覚はある。
とは言っても、そもそも魔族から襲われていないことも……会話していることも普通ではありえないことなのだろうから、今更ではあるとも思う。
それもこれも全てたぶんきっと普通ではありえないことがおこっている、ということ自体に親近感が湧いているせいなのかもしれない。
周りから異端だと言われている私にとって、普通ではない出来事と同じく普通ではない魔族のことを自分と似ていると……そう思っているのだ。
だから無意識の内にもっと関わりたいと思って行動と言葉に出てしまっているのだろう――そう気付いたら、なるほどだからなのかと納得できてしまった。
「人間に対して何かを思うことはなかったが、お前のことはさすがに心配になったのと同じようなものか?」
「うん? そうだね……。私もあなたがこんなところで過ごそうとしていることと、何も食べられずに倒れてしまうんじゃないかと心配で……」
「そうか。魔族に対してそんなことを思う人間もいるんだな」
クロは丸め込まれたのだと気付くことなく感慨深そうにそう言った。
言葉を素直に受け取っていることに、彼も私への警戒心がない気がして少し心配になる。
そうか、彼もこんな気持ちなのか……。
何だかますます親近感が湧いてくる。会ったばかりどころか、今まででもこれほど感情が揺さぶられたのは初めてのことだった。
本当に可笑しな話である。
「俺は人間のことをあまり知らないが……今日会ったのがお前だったのは運が良かったんだろうな」
「あ、それは私もそう思う。他の魔族だったらこんなことになっていなかったと思うから、会ったのがクロで良かった」
お互い言っている意味は少し違っているのだと思うけれど、やっぱり私たちは似ていると思った。
「とりあえず、今後のことは帰ってからまた話そう。歩いて一緒に……は止めておいたほうがいいかな?」
「本当にいいのか」
私の言葉への返答ではなくて……クロは動揺からなのか少し瞳を揺らしながらそう言ったので、笑って「いいよ」と頷いた。
家に連れて帰ること自体は良いとして、問題はクロをどうやって連れて帰るかである。
家までの距離は遠くはないものの、抱っこをして連れて帰るのは顔を隠しながらでも目立つ可能性がある。
「うーん、隠れられるのがリュックしかない。大きさ的には大丈夫そうだけど……中に入られる?」
「ああ」
選択の余地もなく申し訳ないけれど、了承を得たので彼にはリュックの中に入っていてもらうことにした。
私はさっそく開いたままだったリュックを手に取る。
なるべく負担がかからないように、飲み物を一番下にしてその上にタオルをひいた後、入って良いよという代わりに手招きをすると、クロはとくに何か言うことはなく器用に体を動かしながらリュックの中へと入ってくれた。
その動作と姿が何とも可愛らしくて……とても和んだ。
「ごめんね。少しのあいだ我慢してね」
彼が頷いたのを確認してからリュックのファスナーをしっかり閉める――とは言っても、息苦しくないように少しだけ開いた状態である。
そして切り株に立て掛けていた剣を、ベルトに挟んだままの鞘に差し込んでから……ゆっくり優しくリュックを背負った。
そうして、私は可愛い見た目の魔族をリュックの中に隠した状態で、家に連れて帰ることになったのだけど……。
父と母が納得してくれなかったらどうしようかと思い、言い訳や説得の言葉を考えながら家に帰りつくまでの道のりは……いつもよりも距離が短く感じた。
二話目をお読み下さり、ありがとうございます。
すでにお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、お前呼びが多発しています。そして設定上、今後もしばらく続きます。不快な思いをさせてしまいましたら申し訳なく……この場でお詫び申し上げます。
以下、上記文章内から参照
登場人物の追加情報
○エルーナ
・魔族の魔兎を安直にクロと呼ぶ。
・クロに対して興味と親近感を抱く。
・よく笑う。
○クロ
・口が悪い。
・魔族を貶し、人間の文化を褒める普通ではない魔族。
・貶すような言葉を口にしても嫌な感じに聞こえない。