隣とコブシ
「さあさあ、中へ入ってくれ。 実は君と話をしてみたかったんだ」
アルタス・アンブレラ。 この国でも数少ない金階級の魔術師で、その功績は迷宮の攻略から魔道具の研究まで幅広く、特にその腕っぷしでは魔術師の中でもトップクラスらしい。 白髪に黒いスーツを着た彼は父親とは思えない程に若く見え、まだお兄さんと呼ぶ方が相応しいのではないかと思う程。 物腰も柔らかく、優しい笑みでギルを迎え入れてくれる。
そんなアニカの父アルタスが、ギルを勢いのままに中へ中へと案内する。 こういった一面を見ると、雰囲気は対照的な2人であるが中身はちゃんと親子なのだという実感が湧く。
「アニカから話は聞いているよ。 何でも、ギル君はセンスがあって何より一緒にいてたの――」
「――ちょ、ちょっとお父様、私そんなにギルの事褒めてないわよ! ちょっとだけ他の人よりも魔術師に向いてるかも、って言っただけで」
彼女は父の話を慌てて遮り弁明するも、にこにこと笑みを崩さずに話を聞くアルタスに必死に食い下がる。
「同じような意味じゃないか。 それに、アニカが友達を家に連れてきたのは今日が初めてなんだ。 こんなに嬉しい日はないよ」
「何よ。 意外だって言いたいわけ?」
顔に出やすいギルは思考を読まれてしまったようで、そうだと認めた。
「アニカって、まあ近寄りがたい雰囲気はあるけどさ、燃えるようなオーラ出てるし。 でも友達は多いのかと思ってた」
明るくて見た目も良いしと続けると、アニカは生意気とだけ言い放ち自慢の赤い髪をいじりだす。
「うんうん。 私もね、魔術ばかりに打ち込む娘のことを心配していたんだが、どうやら杞憂だったようだ」
どこに向かっているのかわからなかったが、広い階段の上にはシャンデリアが、長い廊下には色々な人物の壁画が飾られており、ギルは顏を忙しなく動かしていた。
「今日は魔術の練習をすると聞いているが、普段使えないからとあまりはしゃぎすぎないようにね。 ギル君も、この娘を頼むよ。 魔術の事となると本当に歯止めが効かなくなるんだ」
「が、頑張ります」
「ギルもどちらかというと私と同類よ? お父様が顔を出すころには、訓練所が火で埋め尽くされているかもしれないわ」
物騒な事を言うなよと言いつつも、アルタスは楽しそうに声を弾ませる。
「さて、この扉の奥が訓練所となっている」
そう言って扉を開けると、その中は魔道場よりも一回り程大きく、武器も見たこともないようなものまでいくつも並べられている。 魔道場も学生全員が入るほど十分大きいのだが、ここは人の家だとは思えないほどに大きい。
「一応説明しておくと、危険が起こると自動で感知できるようになっていて、私に連絡が入るようになっている。 まぁ、そんなことアニカが全力で魔術を使ったときくらいだから、まずないと思うけどね」
その後アルタスは訓練所の中のことを簡単に説明すると、仕事があるからと扉の方へと歩いていく。
「じゃあ二人とも楽しんでね」
片手を挙げひらひらと手を振ると、静かに扉を閉めた。
「なんかすごい人だとは思えない程、話しやすいな」
「お父様は普段から優しい方よ。 まぁでも、まさか直接案内してくれるとは思わなかったけどね」
2人ともどちらからともなくストレッチを始め、準備万端といった様子で微笑んで顏を合わせる。
「さ、まずは準備運動がてらやりますか」
「んじゃ、いくぞッ!」
ギルは『飛燕』で踏み込み一気に詰め寄ると、右左と手で、足で素早く攻撃を繰り出す。 ギルの成長速度は凄まじく、スポンジのようにどんどんと吸収していくが体術はしっかりと学んではいないため、まだまだ雑なところも多くアニカの見よう見まねになっている。
アニカは全ての攻撃を難なく受けると、攻防がいつの間にか逆転し、ギルは攻撃を受ける側へと回っていた。
――くッ、やっぱ速いッ!
彼女の繰り出す一つ一つの技は攻撃を目的とする技というよりも、ギルの攻撃を正すように見せる技のように伺える。
だがもちろん、それらは生半可な攻撃ではないため、ギルもそこまで観察する余裕はなく、防戦一方の状況だ。
「威勢の割には大したこと無いわね!」
(俺には気を読むんなんてできないし、自由に体を操れないけど)
魔術:部分強化
(何も無駄にアニカの動きを見ていたわけじゃないぞ!)
偶然か狙ってか、アニカの攻撃を上手く捌いたかと思うと『部分強化』で強化した拳を顏目掛けて振るう。
「――ッ!」
反射か条件反射か、彼女はギルが振るった右腕の下へと顔を潜らせてそれを避けると、イコルとの戦いで見せた上半身を床に付けるように沈み込んで繰り出す蹴りを、顏目掛けて放った。
それをギリギリのところで左腕でガードするも、蹴りの威力は凄まじく尻餅をついてしまった。
「よく反応できたわね。 正直、やっちゃったと思ったわ」
「はぁ、冗談でもやめてくれ。 顏が吹き飛ぶところだったぞ」
アニカが手を差し伸べ、ギルはその手を取り体を持ち上げる。
2人の顏は対照的だが、共に楽しいと思っていることに違いない。
「いつになったら俺はアニカに勝てるんだ」
「いつになっても無理よ。 ギルが頑張った分、私も頑張るから」
勝ち誇ったように言う彼女の顔はとても晴れやかで魅力的だ。
ギルは、じゃあ追いつけるように努力すると言い、武器を眺め始めた。
「お、刀がある」
「刀なんて使ったことないでしょ?」
「うちの父さんが刀を使ってるみたいで、今度教えてもらうんだ」
そういうこと、とアニカは納得し、今度武器を使って組手をしようと言う話になった。
彼女の槍を使っているところを何度か見ているギルは、少し嫌そうな顔をする。
楽しそうに話す2人だったが揃ってすっかり忘れていたようで、しばらくすると目的を思い出してアニカの魔術についての話題となった。
「さて、私の魔術だけど、これは見せた方が早いわ」
アニカは掌に赤く輝く円形の魔術式を展開させると、こぶし大の炎が現れた。
綺麗にゆらめくそれは、焚き火のゆらめく火となんら変わりはなく、何もない掌の上に現れたそれはまさに理外の理だ。
「自然系魔術って初めて見た……。 それって普通に熱いし燃えるんだよな?」
「ええ、その通りよ。 ただし、燃え広がるってことは意図しない限りは無いわ」
相変わらず九歳とは思えない言葉を並べて話すアニカに、ギルの頭は付いていけていない。
例のごとくギルは顔に出ているため、彼女は少し考えて簡単に説明する。
「この炎が燃え続けるためには、私の魔力が必要なのよ。 つまりね、私が魔力を流し続けでもしない限りは、この炎が燃え広がって火事になる、なんてことは無いの。 だからって安全って事ではないけど、普通の火と魔術の火は違うって訳ね」
「なるほどな。 それってもしかして他の自然系もそうなのか?」
「その通りよ。 もちろん例外はあるけど、他の水、風、土も基本的には魔力を流し続けないと維持できないわ。 その中でも火と水は魔力をかなり使う魔術が多いから、相当訓練しないと実践では使えないとも言われてる」
ただし、使えるようになれば火と水は圧倒的な攻撃力を誇るとのこと。
本人曰く、彼女自身もまだまだ使い熟せているとはいえないらしく、毎日練習していても中々変化が無いためあまり楽しく無いようだ。
「ちなみにどんな技があるんだ?」
「ふふん。 そう言うと思ったわ!」
彼女はその言葉を待っていたと言わんばかりに、張り切って両手を前に出す。
「行けッ、炎魂」
魔術:炎魂
小さな丸い炎が真っ直ぐ進み、段々と大きくなって爆発する魔術
小さくゆらめくそれは、進むにつれて段々と大きくなり、人の顔の大きさくらいまで成ると小さく爆発した。
「他にも色々あるんだけど、火の魔術って派手で威力も高めだから使い勝手が悪いのよねー。 あとは――」
『炎魂』を応用させた火の玉を自在に操る技や、自らの身を守るために円形に火柱を立たせる技を見て、ギルはカッコいいと呟いていた。
「凄いな、こんなの魔獣だって簡単に倒せるぞ」
「それはそうかもだけど、言ったでしょ、魔力をかなり使うって。 そんなずっと連発出来るような魔術じゃないのよ。 その分ギルの飛燕は使い勝手が良くて羨ましいわ」
ギルは彼女の魔術を羨ましいと思うのと同時に、体が震えるほどの高揚感が沸々と湧き上がってくる。
「俺、アニカと魔術で戦ってみたい。 もちろんすぐには無理だけど。 何年かして中等部に上がれば、闘技大会だってあるし」
珍しく力強い眼差しでアニカを射るように見つめる彼の瞳を、彼女は受け止めてただ何も言わずに話を聞いている。
「……、正直、アニカが羨ましかった。 カッコいいし強くて、それなのに俺と一緒に魔術の練習に付き合ってくれるし。 最近いつの間にか、共に魔術師を目指す友達としてじゃなくて、全く敵わない師匠として見てた」
彼女と一緒にいるうちに、戦いでの強さだけでなく内に秘めた強さを知り、当然のように勝てない相手として見ている自分に気が付いた。
「でも、違うよな。 俺、アニカに負けたくない。 これからもっといっぱい練習して、それでいつか――」
――今日、ここに来れて良かった
「アニカの隣に立つよ」
そう言われ、アニカは嬉しそうに満面の笑みで答える。
「相変わらず生意気ね。 まぁでも、少しだけ期待しておくわ」
ギルはアニカに向けて拳を突き出す。
「これからもよろしく、アニカ」
「私の隣に立つって言ったこと覚悟しなさいよ、ギル」
アニカも同じく拳を突き出し、2人はコツンとそれを合わせた。