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花屋の朝。

 初夏。太陽が昇る時間が最も早いこの季節。



 花屋の仕事は、夜が明けて間もない頃から始まる。



 朝靄の漂う、まだひんやりと冷たい空気の中、僕は既にじっとりと背中に汗を掻きながら、ギシギシと軋む荷台を引いて郊外の坂道を登る。先祖伝来の花畑へ、きょう売る分の花を摘みに行くためだ。



 貧乏人に暇なしで、この作業は真冬の時期以外、ほとんど一日も休みなく行わなければならない。



 でも今は割合、楽な季節だ。作業とは言っても、ただ花を摘んで店へ運ぶだけでいいのだから。



 辛いのは、むしろ下準備ばかりが必要な季節。とりわけ『すき込み』の作業――中々に広い畑全体の土壌に、腐葉土と肥料を満遍なく混ぜ込む作業――が続く日々は、本当に泣きたくなるほど辛い。



 辺りに何もないからビュウビュウと吹き荒ぶ風は肌を刺すように冷たいし、掌はマメが破れて血だらけになるし、この時ばかりは自分が花屋であることが恨めしくなる。けれど、



「よしよし……みんな、今日もよく咲いてるな」



 植物たちの生命力が一番輝き始めるこの季節、冬とは打って変わって色鮮やかな畑を見渡すと、全ての苦労が報われたような気分になる。



 それに、僕はいま一家の大黒柱だ。挫けることなんて、許されない。



 母さんが最初に倒れたのは、およそ二年前。



 お医者さんによると、長年の苦労が原因で心臓が弱っているらしい。父さんはそんな母さんをゆっくり休ませるために、去年の秋、母さんと共に、母さんの実家がある田舎へと居を移した。



『お前は来年でもう十五歳、立派な大人だ。この店を頼んだぞ』



 別れの前日の夜、父さんは僕の両肩に手を置いてそう言った。



 その言葉は、そしてその大きな両の手は、まるで鉄の塊のようにズシンと重くて、僕はほとんど押し潰されそうになった。



 だが同時に、今まで僕たちを支え続けてきてくれたのも、その言葉と手の温かさに違いないのだと、僕は理解していた。



 僕を信じてくれた父さんのために、そして病気の自分よりも僕を心配し続けてくれた母さんのために、僕は頑張らなければならない。



 鮮やかな黄色のコレオプシス。



 紫色をした三枚の花びらが可愛らしいトラデスカンティア。



 六枚の桃色の花びらを開いたゼフィランテス。



 細い茎に小さな白い花を咲かすニエレンベルギア。



 球状に紫の花房を作るペンタス……。



 黄金色を帯び始めた朝日を受けていっそう色鮮やかに輝く花たち。その一つ一つの状態をちゃんと確認しながら、丁寧に摘んでは荷台に載せていく。



「よし、こんなもんか……」



作業を終えると、僕は額の汗を乾かす間もなく店へと帰る――というわけではない。



 その前に、周囲の様子をよく伺ってから、畑の脇の石垣へとコソコソ走る。



 僕には、誰にも教えられない秘密がある。



さっきは両親への思いが僕を支えてくれていると言っていたが、実を言うとそれだけじゃない。その思いと同じ位、この『楽しみ』が僕を支え、救ってくれているのだった。


 僕はまた用心深く周囲に人がいないことを確認してから、石垣の隅っこ、畑から出てきた石を適当に摘んであるその中から、一つの麻袋を取り出す。そしてその中から、小さいレンガのような形をした物を取り出す。



 大きさはちょうど掌の大きさくらいで、重さはこの大きさの本があったら同じくらいという感じ。全体は高級そうな茶色いなめし革で覆われている。



 だが片方の大きな面には丸い穴が空いていて、そこには綺麗なガラスがピッタリと精密に填め込まれており、逆側の面にも、こちらは長方形の形をした大きめのガラスが填め込まれている。右上(これが右上で正しいのかは解らないが)には、ちょうど持った時に人差し指で押すためにあるような突起がちょこんとついている。



 これが何なのか、正確には解らない。解らないが――まず間違いなく『魔道具』なんだろうと思う。



 別に、どこかから盗んできた、なんていうわけじゃない。ある日、畑作業をしていたら、不意に土の中から出てきたのだ。そして――触ったら動いた。



 右上の出っ張りを何の気なしに押したら、『パシャッ』と音がして、僕が目の前に見ていた光景とそっくりそのままの絵が、長方形の形をしたほうのガラスに表れたのだ。



 僕のような平民にとっては、魔道具なんてお伽話や、嘘くさい噂話の中だけの存在だった。僕みたいな平民が持っていい物じゃない。



 『武器として認められる物』でなければ持っていても罪に問われることはないが、そうでなくても、お城の偉い人や貴族にしか持つことが許されていないと言っても過言ではないようなシロモノだ。何せ、『魔道具一つで街一つが買える』とさえ言われているくらいなのだから。



 そんな物を、僕は誰にも秘密にして隠し持っている。父や母、妹のリナでさえ、このことは知らない。



 面倒ごとに巻き込まれる前に、さっさと衛兵にでも渡してしまうのがいいのだろう。



 だが、でも、しかし……これで色々な物を記録するのが、僕にはとにかく楽しくてしょうがないのだ。



 朝露に濡れる花、雲間から刺す光の柱、花に止まるチョウチョウ、石垣の上で眠る猫、アマガエル、渡り鳥、畑から見下ろせる、まだ目覚めていない朝の街……。



 それらを記録したり、そしてこの小さい箱の中にしっかり保管されている絵を見返したりするのが、楽しくてしょうがないのだ。



 ――これくらいの楽しみがあったって……神様は怒ったりしないよね?



 だから僕は今日もこのことを秘密にしたまま、パシャリと一回、朝の街の姿を記録する。



 特になんということもない見慣れた物でさえ、この魔道具を通すと、どういうわけか何もかもが輝いて新鮮に見えるから不思議だ。毎日、新しい世界が目の前に広がって、毎日、自分自身が生まれ変わる。そんな気分になる。



 よし、と僕は今日の絵の出来にも満足して、しかし油断はせずしっかりと元の位置に魔道具を隠してから、少し重くなった荷台を引いて街へと帰るのだった。


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