神と和解せよ
「ジャキ、いつまで寝ておる」
どさりと投げ捨てるようにジャキの体がソファの上に放られた。ジャキは小さくうめくような声をあげてからようやく目を開けて上半身を起こした。
「あ……あれほどの力を持っているとは」
夜王達はコウジに対して医師としての役割をDT騎士団の中で期待していたようだが、彼の持つ力は想定していたよりもはるかに高かった。
結局この日はほとんど顔見せだけで退散する結果となってしまったのだが、それにもかかわらず夜王の口の端には笑みをたたえていた。
「あれなら戦力として考えてもいい」
サザンクロスの上階、通常はホストやスタッフの控室として使われている部屋である。まだホストクラブの営業時間内のため、おそらく下の階では網場が中心となって店を切り盛りしている事だろう。
「こっぴどくやられたみたいですね」
誰もいないと思われていた控室の奥から少女の声がした。
人形のように小柄な体。ほんの少しつり上がったアーモンド形の瞳。とてもホストクラブに来るような少女には見えず、中学生の制服を着用している……が、しかしよくよく見れば少女ではない。少年だ。
「強かったですか? スケロクさんは」
声の主は有森ユキ。元魔法少女キリエの息子であり、つい先日フェリアの導きにより彼自身も魔法少女になった男の娘である。
「ユキか……ホストクラブの方にはあまり出入りするなと言ったはずだ」
夜王は一人用のソファにどかりと座って水差しから直接水を飲みながらそう言った。
「そうですよ。一応サザンクロスは風営法に則って営業してる『風俗店』なんですから」
ようやくケガのダメージから立ち直ってきたジャキも夜王と同じくユキを諫める。
「分かってるよ。でも『性風俗店』じゃないでしょ? ジャズバーとかと同じだよ。固い事言うなあ」
中学生がジャズバーに通っていてもそれはそれで問題だとは思うが。しかしいずれにしろユキはこの遅い時間になったというのに家にも帰らずにこの「サザンクロス」に通っているのだ。
当然このことながら、既に家出してしまっているキリエは把握していない。
母親がホストクラブが原因で家出をし、その息子が不登校でNPOの世話になり、そのNPO法人の入っているビルの一階に全ての原因となったホストクラブが入っている、というあまりにも皮肉めいた構図。ジャキは気づかれないように笑いをこらえているようだった。
しかしユキはその笑いに気付いているようで唇を膨らませて不機嫌そうな表情をしてポスンとソファに座った。
「だったらなんでボクを中途半端に特別扱いするのさ。ボクが『魔法少女』だから?」
特別扱いされて悪い気はしない。事実彼は他の不登校の児童とは一線を画した存在であり、経営陣の夜王達と親しいように見える。
しかしその上で少し突っ込んだところに入り込もうとすると途端に拒絶される。それが生殺しのようで不満なのだろう。都合よく利用されてる上で、子ども扱いされている気分になるのだ。(事実都合よく利用されて、子ども扱いされているのだが)
「子供が知る必要はない」
もう一度夜王はぐい、と水差しを煽りながらそう言った。ユキの気持ちも分かった上で、その気持ちを汲むつもりなどさらさらない。
「夜王達は何を考えてるの? 金儲けするだけにしては妙に遠回りな感じがするけど」
夜王の運営する非営利団体が詐欺にも近いシステムを構築しようとしている事にはユキも気づいている。しかしそれにしてはリスクがリターンを大きく上回っているようにも感じられたのだし、実際そうなのだ。
「調子に乗るな。うぬを取り立てているのはあのお方の助言あっての事。自らの運命も力も知らぬ小僧が容易く他人から答えを得ようとするな」
「しかし夜王様。今後のことも考えたら我らの理念くらいは教えてもよろしいのでは?」
「理念?」
こくりとジャキはユキの方を見て頷く。ジャキ達はいずれはユキを「道具」ではなく「仲間」として取り込むことを考えている。その時あまりにも「理解」が無いままでは困るのだ。
夜王は圧倒的力とカリスマ性を備え持ってはいるが、「下を育てる」という気概は無い。下の者から見て、その考えも汲み取りづらい。その状態になれてしまうと、下の者はいずれ「自分で考える」という事を放棄してしまうようになる。夜王の下で長年仕えてきたジャキだからこそ分かることだ。
「私達がキリスト教団体をバックボーンにしてることは知ってますね?」
こくりとユキは頷く。夜王が牧師でもあることは有名な話である。
「では、そのクリスチャンが今の時代、非常に苦境に立たされてることについては?」
ユキの表情が少し歪み、疑問符を浮かべる。
そのような話は全く知らなかった。彼の感覚から言えば日本以外のG7は全てキリスト教国であり、第二次大戦以降キリスト教は相変わらずこの地球上を支配しているものという感覚であったのだが。
だが実際二千年代に入ってから向こう、保守的なキリスト教徒にとっては非常にその意見を主張しづらい状況が続いているのは事実である。
避妊や中絶を忌諱するローマ法王が攻撃され、男女の役割を定めることは悪であると定義され、LGBTであるというだけで無条件に「正義」というバッジをつけることが許される。いずれも保守的なキリスト教的世界観からはかけ離れていると言ってもよい。
「おかしいとは思いませんか? しかもこの考え方はルーツは何れにあるか置いておくとしても、主導しているのは欧米のキリスト教国が中心となっている。キリスト教徒がキリスト教的世界観を破壊してることになるんですよ」
「ん~……」
ユキは唸って考え込む。
そういう考え方が最近はやっていることは彼もよく知っている。
むしろ、だからこそ彼も女の子の服を着て「男の娘」などと自称しているのだ。正直言って自分の特性を利用して時流に乗っただけなのだ。
しかし世界情勢の中でそれがどういう意味を持つかなど考えたこともなかった。
二人のやり取りを見ていた夜王が低い声で一言だけ呟いた。
「神と和解せよ」