ゲイバーのママ
「と、いうわけで」
夕暮れの教室に響く、よく通る男性の声。今年新一年生になったばかりの生徒達の前に教壇に立っているのは山田アキラである。メイの姿はない。
「あの……」
「はい、絹村君、なんでしょう」
アキラに名前を呼ばれて絹村という男子生徒が立ち上がって彼に質問する。
「葛葉先生は……? なんで山田先生がホームルームを?」
「一応私はこのクラスの副担任ですからね」
「え……?」
「そうなの?」
「知らなかった」
暴れ馬の葛葉メイの手綱を握れるのは山田アキラしかいないという教頭の判断である。しかしどうやら生徒たちは知らなかったようだ。口々に困惑の声を上げる。
「葛葉先生は教頭先生と少し話があるので今日は私に任せてもらっています。話を進めますがよろしいですか?」
副担任であればとりあえずは不審な点はない。生徒達はとりあえずは静かに山田アキラの話を聞くことに切り替えた。
「え~、今日お話ししたいのは有村君の家庭の事情についてですが」
有村ユキがびくりと身震いする。
入学式の日から相変わらずセーラー服のままである。ようやくその異様な光景も日常風景として周りに受け入れられ始めたのだが、「家庭の事情」という言葉に周りの生徒は疑問符を浮かべる。
だが、ユキ本人だけは額に脂汗を浮かべた。
当然だ。本人は知っているのだから。
彼女(?)の母親であるキリエがホストに貢いでいたことがバレて大問題となり、家族会議に突入、その結果としてキリエが家出してしまっており、現在行方不明なのだ。
ぱっちりと開いたつぶらな瞳に少しの険を乗せて、ユキは山田アキラを睨む。「余計な事を言うなよ」という意思表示だ。
「有村君のお母さんがホストに入れ込んで家出してしまってるのはみんな知ってると思いますが」
ストレートに全てバラした。当然誰も知らない情報である。
「今葛葉先生が有村君のお母さんを引き留めて説得しているところなので、皆さんは気にせず、今まで通り暖かい目で有村君を見守ってあげてください。決していじめたりしないように」
余計なお世話である。そもそもお前が言わなければ誰も知らずに済んだ情報なのだ。
アキラは生徒たちの机の間をゆっくりと歩きながらユキの隣まで来て、彼女の肩にポンと手を置いた。
「有村君は男子生徒でありながら女子の制服を着ていたりと、色々と目立つ子ではありますが」
確かに目立つ人物ではある。入学式の時以来カッ飛ばした存在であり、このクラスを象徴する人物であると言っても差し支えない存在だ。
「『他の子と違う』ということは、『他の子よりも進んだ存在である』から目立つという事なんです。有村君は決して悪くない!」
誰もそんなことは一言も言っていない。ここにいる生徒、誰一人として彼が何を言いたいのかを推し量ることができないでいた。
「だから有村君も、何かあったらすぐに先生に言うんだよ! ねっ!? ホラ、ねっ! 有村君ッ!!」
アキラがばしばしとユキの肩を叩く。ユキは何も言葉を返さず、誰とも目を合わせず、ただ死んだ魚のような目で虚空を見つめるだけである。
「先生も、いじめられていた時代があったからね。君の気持ちはよく分かるんだ!!」
若干暑苦しい口調で大声で喋りながら、何を思ったのか山田アキラは自分の財布から千円札を何枚か取り出し始めた。
「そういうわけで、みんなは有村君の事をいじめたりしているかもしれないけど、たとえそれでも! 先生は有村君の事をえこひいきしているので、彼にお小遣いをあげようと思います」
「!!!???」
超展開に誰もが驚きの表情を見せるが、しかしついていくことができず声を上げることができない。
ユキは相変わらず微動だにせず、虚空を見つめている。
そのユキの机の上に置かれた手の中に、アキラは千円札を無理やりぐいぐいと押し込んだ。
ユキは何度か無表情のまま手の中に入れられた紙幣を投げ捨てたが、それでも諦めずに無理やり紙幣を押し込まれると、諦めたのか無表情のまま静止した。
「というわけだから、みんなも有村君を見習うように!!」
― なにを ―
しかし誰も言葉を発することができない。
「それと、来週の金曜、授業が終わった後に講師の方を招いて『LGBT教育の場としてのハッテン場』という内容で講演をしていただくので授業の後帰らないようにしてくださいね」
「は?」
唐突な話題の転換。当然ながら週末の授業の後にそんな訳の分からない講演など聞きたくない。先ほど山田アキラに指名された絹村が立ち上がって彼に質問を投げかけた。
「なんでいきなりそんな講演なんか聞かなきゃいけないんですか。講師って有名人か誰かなんですか?」
「ゲイバーのママだ」
誰もが言葉を失う。
これはクラスター法(※)と呼ばれる議論法である。
被捕食生物が何故群れをつくるか。
もちろん数を揃えることで戦力の増強を図り、捕食者と戦うためでもあるが、ボラのように、群れになったところで全く脅威とならないにもかかわらず被捕食生物は群れをつくる。
それは偏に「的を絞らせないため」である。
まさに今、山田アキラは数多のツッコミどころを用意することで相手に話の本質に踏み込ませないというこの闘争法を取ったのである。
「じゃ、そういうことで」
こうして極めて一方的に謎ホームルームは終了した。
いつもの事務的な連絡だけする、機械的なメイのホームルームとは全く違う。違うのだが、しかし誰もがその意図を測りかねている。
絹村少年はちらりと有村ユキの方に視線をやった。彼は相変わらず死んだ魚のような目で千円札を握り締めている。
絹村少年も六年間小学校に通っていたので特定の生徒が「贔屓されている」という状態に出くわしたことはある。しかしこんな露骨なえこひいきは生まれて初めて目にする。というか先生本人が「えこひいきしてる」と言っていたのだ。正直言って全く羨ましくない。
生徒たちは無言で、しかし近くの席の子供達と目を見合わせる。
「今のはいったい何だったのか」と。
ダチョウ倶楽部的伝統芸能で言えば「いじめるな」というのは「いじめろ」というのと同義ではあるが、しかしこのコンプライアンスの厳しい世の中、そんな分かりやすいネタ振りをされて違法行為を働くほど中一のクソガキは阿呆ではない。
結局のところクラスの生徒はみな同じ考えを頭の中に浮かべたのだ。
― とりあえず、有村ユキには関わらないようにしよう ―
※存在しません。