うぬ
「これが……ホストクラブ」
葛葉メイはガラにもなく緊張していた。
「そぉんなに緊張しなくって大丈夫だって! ほら、肩の力抜いて楽しみましょ!!」
一方のキリエの方はというと水を得た魚の如くのびのびとしている。まだ酒も入っていないはずなのにとてもシラフには見えない。
ホストクラブ『サザンクロス』を前にして二人の態度は対照的であった。
「一応断っておくけど遊びに来たんじゃないからね。金を取り戻しに来たの分かってる?」
「まあまあ硬いこと言いっこなしよ! あなたも一度は行ってみればどういうところか分かるから! これも社会経験、女磨きよ!!」
キリエの方は身から出た錆、己の不徳の致すところとして斯かる仕儀に陥ったというのに全く反省の色は見えない。
「いらっしゃいませ、サザンクロスへようこそ!!」
さすがにホストが並んで迎えるようなことはなかったものの、スタッフが声を揃えてメイ達二人を歓迎する。正直言ってホストクラブなど「夜王」の知識くらいしかなかったメイは面食らった。アングラで、何か異様な雰囲気を持っているのだろうという先入観を持っていたのだが、店内もそこにいる人達も明るい雰囲気だ。
時刻は二十三時過ぎ。もしこの店が風営法を律儀に順守しているのならそろそろ閉店時間といったところだが、店内は盛況である。
「いらっしゃいませ、有村様。指名はいつもの……?」
「ええ、邪鬼でお願い。こっちはフリーで」
席に通されるとすぐにキリエの方にはおそらく懇意にしているのだろう、指名のホストが横に座る。前髪で片目の隠れた中性的な外見の男性だ。
「どうも、網場です」
しかしメイの席についているのは異様に目つきの悪い不気味な笑みを湛えた男だった。そこまで少し……ほんの少し期待に胸を膨らませていたメイは露骨に不機嫌になる。
隣の席ではキリエが何やら大声で楽し気に話をし、酒を飲み、ボトルを入れるたびに大声でコールをしているのだが、メイにはそれの何が楽しいのか全く分からない。
スケロクのような気の置けない友人と少人数で静かに酒を飲むのは好きだが、はっきり言ってコミュ障のメイにとって初対面の人間と対面で座って酒を飲むなど苦痛でしかない。結果、メイのとった行動……
無言。
ただただ無言で、義務のように目の前のビールを喉に流し込む。だんだんと場に馴染もうとしないメイではなく、その相手をしなければならないホストの方がいたたまれなく、可哀そうに見えてくる。
(こんな難敵は初めてだ……状況から察するに、常連の友人に誘われて乗り気じゃないのに来た、ってところか?)
網場の額に汗の雫が浮き上がる。
(だが俺は天才。どんな女でも誰よりも早く攻略できる天才だ!!)
「今日はお友達の付き添いで来られたんですか?」
メイは返答をするどころか一瞬視線を彼の方にやっただけで、すぐにまたビールに口を付けた。
「すいません、少し喉が渇いたんでシャンパン入れても」
「水道水飲め」
こういう所のホストの飲食代は客持ちだという事はメイはもちろん知っている。
「いや~、ハハハ、お姉さん冗談きついなあ。あ、そうだ。お姉さんの職業当ててみようか?」
笛吹けど踊らず。内向的な人間が来るのも珍しくはないが、ここまでの難敵は彼も初めてである。
メイは、孤独が苦にならないタイプの人間だ。部屋の中で一人きりで何日も過ごすのも平気だし、大勢の集団の中で自分だけが誰とも話さなくとも全く居心地の悪さを感じない。職場の同僚と仕事以外の話は一切しないし、友人と呼べるものも存在しない。つい最近たまたま再会した幼馴染のスケロクだけが「友人」と呼べる存在である。
婚活を始めたのも「孤独に耐え切れなくなった」からではない。このまま一人で生きていくこともできるが、その場合近い将来、確実にただ、生きて死んでいくだけの自分に対しアイデンティティクライシスを引き起こすという予測を下したからに他ならない。
そんな彼女にとってホストクラブという場所は如何なるものか。
はっきりと言って、よく知りもしない、話も面白くない男と一緒に酒を飲むなど、苦痛でしかない。
おまけに金まで取られるのだ。
「なんかこう、背筋がピシっとしててスタイルもいいし、もしかしてスポーツとかしてる?」
尋常な女性ならば素直に喜ぶ誉め言葉も、青春時代をぼっちで過ごしてきた彼女には「どうせなんか裏があるんだろう」としか受け止められない。まあ実際金を貰ってるから褒めてるのだが。
「あっ、わかっちゃったかも。お姉さんの職業!」
ピクリとメイの眉が動く。その小さな変化に網場は気づいていた。
(もう一度言う。俺は天才だ!!)
確実に自分の言葉はこの女に届いていると確信した。
言うまでもなく、ホストの仕事は教師以上に対人商売の側面が強い。そのことはメイも認めている。今日この場に来て一言も言葉を発さないメイの職業をずばり言い当てられたなら、その恐るべき片鱗を見せつけることになるのだ。彼の発する巧言令色には全く興味のないメイであったが、その一点については興味があった。
「マルボウ(※)でしょ!!」
※警察の組織犯罪対策部の事。主に暴力団の対応を行う。ヤクザよりヤクザっぽいと言われる。
「おい……」
(フフフフ、図星を突かれて狼狽えているな。媚びろ~、媚びろ~! 俺は天才だ! ファハハハ!!)
「お前なにシャンパン飲んでんだ」
がしりと網場の手首をメイが掴んだ。
「えひゃいっ……」
「水道水飲めつったよな?」
ぎりぎりと手首を締め上げ、骨の軋む音がする。しかしあくまで網場は平静を装い、とぼけた表情をした。
「ん? 間違ったかな……」
「『間違ったかな』じゃねえわッ!!」
瞬間、手首を掴んでいたメイの左手が離れたかと思うと目にもとまらぬ速さで網場の顎を打ち抜いた。
「うわらば!!」
奇妙な悲鳴を上げながら崩れ落ちる網場。周りの客もその異常事態に気付いて悲鳴を上げる中、メイはゆっくりと立ち上がった。
「別に私は今日、酒飲んでいい気持ちになりたくてこんなところくんだりまで来たんじゃないのよ」
「ちょ、ちょっとメイ!! あなた自分が何やってるか分かってるの!?」
「あんたこそ何しに来たか分かってんの? っていうかちゃんとお金持ってるんでしょうね」
見たところキリエは大分出来上がっているようで、頬が赤く染まっている。もちろん彼女についていたホストの手にもグラスがある。
「は? 今日はあんたの社会勉強のために来てあげたんだから当然費用はあんた持ちよ。家出してきたのにお金なんか持ってるわけないでしょう! どうせあんたあんな生活してんだから小金貯め込んでんでしょ!」
「だと思ったわよクソ女」
周りの動きは意外にも速やかであった。この混乱に戸惑う事もなく、営業時間も終わりに近づいていることからスタッフが速やかに他の客を退避させている。
地響きか、その時サザンクロスの上階から異様な音の足音が聞こえてくる。
「オーナー……」
キリエの隣についていた男……確か邪鬼とか言ったか、その男が声をあげる。どうやらこのホストクラブのオーナーのお出ましのようである。これはメイとしても話が早い。
だが姿を現したその男にメイは思わず息をのむ。
身の丈は2メートルを軽く超える身長。おそらくはテーラーメイドであろうが、それでもボタンがはちきれそうに迄パンプアップした筋肉。目算では軽く二百キロを越えそうな目方。短く刈り整えられた金髪はどう見てもカタギの男ではない。
「うぬが葛葉メイか」
そして二人称が『うぬ』