サザンクロス
「ホスト通い……だとぉ……」
握りしめられる拳。
眉間に寄る、亀裂のような皺。
メイがその内心に怒りの炎を育てていることは誰の目にも明らかであった。
「そ、そうよ。いけない? あんたには分からないかもしれないけどね、別に浮気してるわけじゃないのよ。外部からの刺激を受けることによって、若さと美しさを保ってね? まわりまわってこれは夫のためにも……」
慌てて取り繕うようなことを言いながら両手を前に出してメイの怒りを抑えようとするキリエ。付き合いの長い彼女だから分かる事もある。メイは今、本気で怒っているのだ。
「ホスト……って……ぅ」
しかし予想外。
なんとメイはそのまま俯いて泣き出してしまった。ぽたぽたとちゃぶ台の上に小さな水たまりが出来上がっていく。
何が悲しいのか。悔しいのか。情けないのか。
メイ自身、それをはっきりと自分の言葉で説明することもできない。だからこそ泣いてしまったのかもしれない。
ただ一つ言えることは、メイにとって『結婚』は『ゴール』だったのだ。
はるか昔にその『ゴール』に到達したはずの者が見せたこの体たらく。
二人の子宝にも恵まれて、幸せな生活を送っている筈の旧友は身勝手な行動がたたって家を追い出されたのか、それとも逃げだしたのか。自分が目指していたものはそんなものだったのか。そんな『聖域』を汚された悔しさなのか。
実際には『結婚』は新たなスタート地点に過ぎず。自分はその『スタート地点』にすら立てていないのだという現実。それを突き付けられた事への情けなさなのか。ただただ、涙が溢れ出た。
「お、落ち着いて、メイ。急にどうしちゃったげええぇぇぇっぷ」
「ふんッッ!?」
キリエがメイを気遣って傍に寄った瞬間、前かがみになった弾みに生臭い呼気が吐き出され、それを避けるようにメイはブリッジするようにのけ反った。
ゆっくりと体を起こしたメイは、顔は伏せたまま、キリエには近づかずに恨み言を吐き出す。
「私はね……昔っからあんたのことが嫌いだったのよ……」
ずっとずっと幼い頃、メイにとって彼女は憧れの対象であった。自由闊達で堂々としており、誰からも好かれる、メイとは対照的な性格。そんな彼女と自分の間に誰にも明かせない二人だけの秘密があることを密かに喜んでいた。
しかし魔法少女として活動しているうちに、キリエにとって自分は「その他大勢の友達」の一人に過ぎず、むしろ魔法少女としては利用されているに過ぎないのではないかと疑い始めた。
加えて彼女の自由過ぎる性格。
年頃になってキリエの恋多き生活の噂が入ってくるようになると、両親はメイと彼女の付き合いにいい顔をしないようになってきた。むしろ煙たがっていたと言ってもいい。
多少暴力的ではあるものの、真面目で大人しい性格のメイに比べて、放蕩で男の噂の絶えないキリエ。挙句の果てには学生結婚、そして出産である。
両親がメイに対して「あんなあばずれに影響されて欲しくない」と思ったのは想像に難くないし、実際そんなことを匂わせる発言も何度もメイの前でしていた。
キリエが一人だけ魔法少女を足抜けして自分だけが残された時でも、メイは自分の「正しさ」を信じて疑わなかった。
ところが。
三十代も見えてきた年の頃になって、状況が変わってきたのだ。
いつまでも男の影が見えず、結婚する気配のない娘を、両親は露骨にバカにするような発言を浴びせるようになってきた。
学生の内は貞淑な少女であることを求められていたというのに、成人するといつの間にかその逆を求められるようになっていたのだ。それにメイが気付いたのは世間的にアラサーと呼ばれるようになってからの話。完全に遅きに失した。
年賀状に込められる悪意なき弾丸。いつの間にか二人目まで生まれている。親から浴びせかけられる「それに比べてうちの娘は……」という諦めにも似た声。
たまらずメイは家を飛び出したのだった。
そして見つけた安住の地にて、まさかその旧友本人の襲撃を受けるとは。
「挙句の果てにはその『幸せな家庭』すらあっさり捨てて家出してくるとは~ッ!!」
「そ、そんな怖い顔しないでよ」
相変わらずキリエの顔にはいまいち真剣みが感じられない。それが一層メイの怒りの感情を刺激する。
「ほとぼりが冷めたら帰るからさ。きっと今頃旦那達、家事する人がいなくて困ってるはずなのよね。そのうち向こうの方から『帰ってきてくれ~』って泣きついてくるはずよ」
さらに火に油を注ぐキリエ。この女は夫と子供がいる身分でありながらホストに通い、こちらから謝る事すら拒否して向こうが音を上げるのを待つというのだ。
「それまでここに居つくつもり……? ナメてんのあんた?」
「いや……だってさ? 旦那が新車買うために貯金してたお金使い込んじゃってさ? 謝ろうにもちょ~っと厳しいかな~? ってさ? だったらもう向こうを困らせるだけ困らせて『ホストに救いを求めるほど寂しい気持ちをさせちゃった俺にも原因があるのかな』って思わせて向こうから謝らせた方が丸く収まるかなあって思ったんだけどサ?」
言いたいことは分かるものの、全く同意は出来ない。
そもそも同意を得ようという気持ちすら見えない。メイを煽っているようにしか見えないのだ。
「あんた、一体ホストにいくらつぎ込んだのよ」
腕組みをして少し唸る様に考え込んだ後、キリエは答える。
「二百万くらいかな?」
メイは気が遠くなりそうになる。
二百万という金額を貯めるのにどれだけの労力が必要か。それが分からないキリエではあるまいに。
「立って」
メイはそう言って座っているキリエの腕を引く。
「え? なになに? まさか追い出すつもり? 私達大の親友だったじゃない! 一緒に魔法少女として活躍してた中なのにさ!!」
みっともなく縋りつくキリエであるが、しかしメイもこの心臓に剛毛の生えた女がそう簡単に追い出すことができるとは思っていないし、仮に追い出したとしても102号室のおっさんや105号室の大学生の部屋に住み着いてそのまま同棲しだしたりしたら寝覚めが悪い。
あまり他人の気持ちに頓着しない彼女でもそれは流石に有村ユキに申し訳が立たないと思うのだ。
「これからそのホストクラブに乗り込んで、少しでも金を返してもらうわよ。どうせぼったくりの値段なんでしょう!」
「え!? 無理よ!! 一度払ったお金を返してもらえるわけないじゃない。非常識でしょう!」
夫の新車貯金を勝手に使い込んで、立場が悪くなると見るや家出して息子の担任の家に居候しようとする非常識な奴が何か言っている。
「うるさい! とにかくいっぺん行ってみるわよ! どうせホストクラブなんて犯罪者の集団でしょう! 無理やりにでも金を引っ張ってくるわ! ホストクラブの店名は?」
「サザンクロス」
だめそう。