ヨーロッパ軒
あけましておめでとうございます。
今日から連載再開します。
「マジでなんなんこれ」
白石浩二の口から言葉が溢れ出た。その言葉は全く意図したものではなかったし、食卓を挟んで目の前にいる女性に対して殊更に聞かせようと思って吐き出されたものではなかった。
ただただ、素直な現在の自分の気持ちとして溢れ出たものだったのだ。
「なにが、ですか……?」
筑前煮を箸で口に運ぶのをやめ、テーブルの向かいに座っている銀髪の美しい少女が上目遣いで問いかけてくる。
「なにが」と言われても、正直言って答えられない。
「全てが」である。
家出していたはずの一人娘が突然帰ってきた。
それはいいのだが彼女は一人の少女を連れてきていた。おとぎ話から出てきたニンフかのように美しくも儚げな、銀髪の美少女。
「何も言わずに、この子を預かってほしいの」
無理。
何も言わずに人間一人を預かるなど法治国家の現代日本では不可能である。ましてやそれが未成年ともなれば絶対に不可能だ。
何度も言うが現代日本では十八歳未満に人格は存在しないものと見做している。依って迂闊に未成年を保護などしてしまえば、後から「誘拐された」「未成年者略取だ」などと言いがかりをつけられて、令状なしで逮捕、即日判決から夕刻には死刑が執行されるのが常である。
だからこそスケロクもアスカを保護した時にすぐに白石浩二に連絡を寄越してきたのだ。
しかしそのことを伝えるとアスカはそれとはまったく事情が違うと言う。
この女性はそもそも人間ではなく『怪異』の類なのだと。
「だ、ダッチワイフ!?」
「そういうことだから」
そのままアスカは「ユリア」と名乗る美少女にしか見えない「もの」を置いてドアから出て行ってしまった。
「えっ、ちょっ、待って?」
焦る浩二。まさか流石にこの状況でユリアを置いてアスカだけまた家を出て行くとは思いもよらなかった。
というか彼がコミュ障であることはアスカも知っているはずなのに、こんな年頃の女の子と一つ屋根の下で同棲など、人によっては天国かもしれないが、彼にとっては地獄でしかない。
結局浩二は娘に一言も聞き入れてもらうことができず、よく分からないダッチワイフの化身を押し付けられて今に至るのだ。
夕食を食べ終わり箸を置くと、ユリアの方も食事が終わったようで、手を合わせて小さい声で「ごちそうさま」と呟いた。
動作も声も、一つ一つが愛らしく、庇護欲をそそる存在。アスカは「ダッチワイフ」だと言っていたが、とても信じることができない。何よりダッチワイフが人間と同じように食事をとることができるのか。
「それでは、失礼します」
ユリアはそう言うと、椅子を下りてテーブルの下にもぐり出した。
「ちょっ、ちょっと!!」
下半身の違和感を感じて慌てて浩二が椅子から立ち上がる。
「いきなり何すんの!?」
彼の脚の間にはしゃがんだユリアの姿。なんと、テーブルの下をくぐって、浩二のズボンのベルトを外そうとし始めたのだ。
「え? 食欲を満たしたら、次は性欲かと……」
やはりダッチワイフである。
「お世話になるばかりで……何か恩返しができないかと……」
ダッチワイフの恩返し。
「いいから! そういうのは考えなくてもいいから!」
衣服の乱れを直し、浩二はユリアを彼女の元の席に追いやった。いくらダッチワイフといえども、流石に娘が連れてきたものと一発やってしまったのでは格好がつかない。
(というか、何を思ってアスカは家にダッチワイフを連れてきたんだ……)
そう思うのが正常な人間というものである。
「その……俺も嫁だけじゃなく娘にまで出て行かれて、寂しかったところだし、いてくれるだけでちょっ」
喋っているうちに再びベルトを外そうとカチャカチャし始めていた。
「寂しいから……慰めてくれという事かと……」
「違うから! そういうんじゃないから!! 判断が早い!!」
所詮はダッチワイフである。とりあえずユリアの肩を押して互いのコーナーに戻る。油断も隙もならない女(?)だ。
「だからね、俺は嫁にも娘にも逃げられて自信を失って……違うからね!? 自信を取り戻すためにあっちの方を、とかそういうネタ振りじゃないからね!? 最後まで話を聞いて」
前傾になって両足タックルの構えに入ろうとするユリアを浩二が制止する。ユリアは彼の言葉を聞いて無言でこくこくと頷いた。
「その……なんだろうな? 単に『寂しい』とも違う気がするな。俺みたいなのが誰か……特に若い女の子と一緒の場所にいるってのは、それだけで『許された』んだ、って気になるんだ」
「浩二さんは自分を卑下しすぎですよ。私みたいな肉便器にそんな気を使わなくても……」
この会話誰かに聞かれたら終わりだな、と想いながら浩二は彼女の話に耳を傾ける。
「私は、人に愛されるために作られました。こんなにも人に愛されているんだから、きっと自分も人間なんだと思ってました。……でも、人の生活を見たり、知識を得ていくうちに、自分は人間とは違うんだという事を理解したんです」
そう話すユリアは、寂しそうな表情をしていた。
「人間の少女のように見えても、私は所詮ダッチワイフです。人間の真似をしてこんな風に食事をしても、味の良し悪しなんて分かりません。トンカツを卵とじじゃなくてソースに漬け込む福井県民とそう違いはないんです」
「君の方こそ……自分と福井県民をそんなに卑下するもんじゃないよ」
白石浩二は苦笑しながらそう呟いた。
ふと気づくと、ユリアは彼の方に視線を向け、目を細めて笑っていた。
「私達……似ているところがあるのかもしれませんね」
こんな美少女に「似ている」と言われて白石浩二は困惑してしまう。気恥ずかしいような、嬉しいような。
「私は、ダッチワイフです。人間の欲望を満たすために作られた、ダッチワイフの中で特別人間に近いだけの存在。浩二さんは、妻と娘に逃げられたかもしれませんが、でも人間として生きています」
何を言いたいのかが見えてこないが、それでも浩二はじっと彼女の言葉に耳を傾ける。
「人間みたいなダッチワイフの私と、ATMみたいな人間の浩二さん、似ていると思いませんか?」
(なんでこの子ちょくちょく煽ってくるんだ……)