行く地の果てには
「アウトだろ」
「お、落ち着いて、マリエちゃん」
夜の住宅街の中、神社のあるほんの百メートルほどの小さな山の中の雑木林、少女の言い争う声が聞こえる。
「いやもうこれアウトだろ。解散、かいさーん。帰ろ帰ろ」
「乗り掛かった舟よ、マリエ。この状況で逃げるつもり?」
アスカに問いかけられてマリエは土中から発掘した少女、ユリアを見る。
本当に美しい少女だ。
木の葉の間から差す月明かりは彼女の肌を青白く輝かせ、プラチナブロンドのボリュームのある髪は毛布のように柔らかく体を包み込んでいる。ふくらみの薄い胸はこれから力強く咲きほころうという花のつぼみを連想させる。まさに青い果実という表現がしっくりくる。
「聞いてた? オリ〇ント工業とか言い出したわよこの女」
美しいのも当たり前、元々そういう目的で作られたものなのだ。マリエは心底嫌そうな表情で言葉を吐き出した。実際年頃の少女にとってユリアは『汚い物』なのだろう。
「そ、その……プフッ、生まれはそうかもしれないけど、こうやって、魂をもって、生きてるんだし……ここに置き去りにするのは……ふふっ」
何とか笑いをかみ殺しながらアスカはユリアを擁護する。マリエは相変わらず「汚物を見る目」である。
「あの……」
二人が言い争っていると、まだしくしくと泣いているユリアの肩を抱きながら、チカが訊ねた。
「オリ〇ント工業って、なんですか?」
― オリ〇ント工業 ―
― 元々はアダルトショップを経営していた社長が起業したラブドール製造会社。
― 体を重ねる相手もおらず、風俗嬢にも相手にされない障碍者を不憫に思い、「なんとかできないか」という思いからリアルな外見を持つラブドールの製造に乗り出した。そのため当初は購入に際し障碍者手帳の提示が必要だった。
「ラブドール?」
要は、ダッチワイフである。
「え!? ダッチ……ええ!? ええええええ?」
耳まで顔を真っ赤にしてチカはまじまじとユリアの顔を見つめる。
濡れてもいないのに潤んだように見える瞳、水羊羹のようにしっとりとした透明感のある唇、首から鎖骨に続く、芸術としか言いようのないライン。全てが常識はずれに美しい。
これがまさか男の汚い欲望を満たすための物だったとは。
「で、でもこのユリアさんって、子供にしか見え……」
そこまで言ってチカの脳裏には一人の人物の顔が浮かんだ。
「世の中にはいるでしょ? 子供相手にしかそういう感情を持てない人間が。まあ、リアルの人間に手を出さないだけマシじゃない?」
呆れた顔でそう言い放つマリエだが、彼女の脳裏にもある人物の顔が浮かんだ。ついでにアスカの脳裏にも。
「ありがとうございます……こんな私を、助けていただけるなんて……」
確かにさっきはそう言ったが。
正直言って事情が変わった。
学校の帰りに神社で喋るラブドールを手に入れてしまったのだ。
正直言って中学生の手には余る。
「こ……ここはどうでしょう? いっそスケロクさんの家に連れて行けば、需要と供給のバランスが保てるのでは?」
チカの提案は道理が通っているように見えたが、マリエとアスカは即座に否定した。
アスカからすれば自分が居候しているので、これ以上の迷惑はかけたくないし、マリエからすればそこで需要と供給が完結してしまっては困るのだ。
「い、一応聞くけどユリアさんの希望としてはどうしたいんでしょうか?」
「私……? 私は……」
長いまつ毛が伏せられる。まるで湖の上で羽を休める白鳥のような可憐さである。
「もう一度、愛する人に……スケロク様に会いたい」
「「「やっぱりな」」」
三人の声がハモった。
「ごめん、ちょっと待っててね」
とりあえずユリアをおいておいて、三人で作戦会議である。
「どうする? ホントに」
「スケロクさんに会わせれば全部解決するんでは? その……成仏してくれるんじゃ」
チカは元鞘に、スケロクの元に戻すことを主張するが残りの二人はいい顔をしない。ほとんどは心情的な理由であるが。マリエがひょいとユリアの方に顔を向けて彼女に訊ねる。
「スケロクさんと会って、どうしたいの」
「会えれば、それで……多くは望みません」
横座りの姿勢で目を伏せてそう言う彼女に邪な意図は感じられない。ひょっとすれば会わせればそれですべて解決する問題なのかもしれない。アスカとマリエは会わせることで余計に拗れることを恐れているのだが。ユリアが言葉の続きを口にする。
「一目見て、昔のように一発濃厚Fxxkできれば、それだけで満足なんです」
「無茶苦茶言いだしたわね」
やはり倫理観が人間のそれからは大きく乖離があるようである。元々がダッチワイフなので仕方がないと言えば仕方がない。
仕方がないが、しかし事情が変わったのだ。
スケロクが少女の人形相手にハッスルしようが個人の勝手であるが、しかしその少女の人形に人格があり、人間と同じように自由意志があるというのならば話は大きく変わってくる。
現在の日本の法律では十八歳未満の少年少女に人格というものを認めていない。たとえ両者の間に合意があろうとも性行為をすれば強姦が成立してしまうのだ。
ユリアは当然「物」であり、人間の少女ではない。よってスケロクが法で裁かれることはないだろう。しかしおそらく世間はそうは見ない。外見上可憐な少女なのだ。これが汚いおっさんの外見なら世間は無視するだろうが、可憐な少女の場合そうはいかない。社会的死刑されることは火を見るよりも明らかである。
「スケロクさんに預けるのは……絶対にナシですね」
三人の意見は一致した。しかしではどうすればいいというのか。差し当たって彼女をとりあえず「保護」する場所が必要である。
「メイ先生の家、とか……」
チカの意見は即座に却下された。人間でないものの保護をメイがするかどうかわからないし、ヘタすると問答無用で滅される可能性がある、と、アスカが強く主張したからだ。
「じゃあどうすんのよアスカ。スケロクさんもダメ、メイ先生もダメ、って他にあてがあんの?」
「う……」
言葉に詰まってしまうアスカ。チカはおろおろするだけで有効な打開策を打ち出せない。マリエもチカも自分の家に匿うなどと言う選択肢はない。娘が「ダッチワイフ拾ってきたの」などと親に報告しても「元の場所に返してきなさい」となるのがオチである。
「そうだ! おあつらえ向きの場所があったわ!」
三人が悩んでいると、ポン、と手を叩いてマリエが明るい声を出した。
「部屋に余裕があって、こういう『怪異』にもある程度触れてて耐性がある。しかもつい最近一人娘が家出して寂しい生活を送ってる人に心当たりがあるわ」
「は!?」
彼女が何を言っているか、すぐにアスカには見当がついた。
「だっ、ダメよ!! いいわけないでしょう!! うちのお父さんとダッチワイフを二人暮らしさせるつもり!?」
「だって仕方ないじゃん。他に行くところなんてないんだし。それともあんた、こんな可哀そうな子を外に放り出すつもり? イヤならあんたが家に帰ればいいでしょう」
「ぐっ……」
「大丈夫大丈夫。あんたの父親がダッチワイフと同棲してることを他の人に言いふらしたりはしないから! まあこのダッチワイフ倫理観ぶっ飛んでるから二人の間に何か起きないとも限らないけど、もしそうなったら家族が増えてハッピーじゃない! あんたの欲しがってたママができるのよ。今のうちにママって呼ぶ練習しとく?」
アスカの父と、ユリアの同棲が決まった。
ネタ切れでしばらく更新お休みします