町に潜む魔
「アスカちゃん、大丈夫?」
「ん……?」
学校帰りの夕暮れ時、最近とみに元気のない親友の顔を覗き込むように青木チカは声をかけた。その隣で赤塚マリエはにやにやと笑みを浮かべている。
「なんでもな」
「何でもなくはないでしょう? 親友が心配してるのにそんな言い方は酷くない?」
言い終わる前に反対側にいたマリエが言葉を挟んでくる。内容を全く把握していないチカに対してマリエの方はどういう事態であったかはおおよそ把握しているのだ。
一方のチカは『暫くの間鏡に近づくな』という警告を受けただけである。二人の間に何らかの対立があるのだという事は察したが、それが何なのか分からないのでおろおろと二人の顔を交互に見るくらいしかできない。
「とりあえずさ、家出なんかやめてお家でお父さんとゆっくり話しなよ」
そう言ってマリエはポン、と、アスカの肩に手を置く。
「それがあんたにはお似合いよ」
話の見えないチカは「家出!?」と言葉をオウム返しにして驚いている。そのことも彼女は知らなかったのだ。しかしマリエがなぜここまで攻撃的になるのかは分からなかった。
チカに開示されていない情報……ここ数日メイの闘っていた相手、ヤニアがアスカの母であったこと、そのヤニアが殺されたことをきっかけにアスカが家出をしてること。
そして、マリエが必要以上に攻撃的な理由、アスカの逃げ込んだ先が彼女の狙っている男、木村スケロクの家だからである。
アスカがスケロクの家に逃げ込んだのには他意はない。
母親を見殺しにした父と一緒の家に居たくなかった。(元々あまり家での接点もなかったが)
友達の家に逃げ込めば親を通じて連絡を取られてしまう。他に知ってる大人と言えばメイとスケロクであるが、当然母を殺した張本人であるメイの家には行けない。
スケロクであれば事情も知っているし、一人暮らし。一度訪れて住所も知っているし、彼が少女に甘い事も都合がよい。結局父親には連絡されてしまっているが。
「ねえ、一体何があったの? マリエちゃんもそんなにトゲトゲしないで……」
「別に。あんたには関係ないわよ」
マリエはチカには取りあう気はないようで全く彼女の方を見ずに指のささくれを弄っている。アスカの方は暫くマリエの方を睨んでいたが帰路につく。
「子供はお家に帰る時間よ、どこに行くつもりなのよ」
マリエはしつこく絡んでくるが、アスカは取りあう気はないようである。
チカは、この三人組が好きであった。
悪魔と戦う時、いつも自分が足を引っ張ってしまい、その度にアスカに助けられたり、マリエに嫌味を言われたりはしていたものの、それでも自分を対等に見てくれて、一緒に同じ目的に向かって進むこの三人組が好きだったのだ。
だが、メイの出現以来、それが少しずつ壊れてしまってきているように感じられた。
もちろん彼女が直接の原因というわけではない。何か因果があるわけではない。むしろこれは長く魔法少女を続けていれば避けられない変化だったのかもしれない。そう思いながらも、チカは変わらずに三人で魔法少女を続けられる未来を望んでいた。
生まれて初めて自己を表現できて、「替えのきかない自分」が必要とされるこの場をいつまでも守りたかったのだが、それが無くなりつつあるのだ。
だがそれは、特別な事ではない。魔法少女にだけ起こる事ではないのだ。
幼い頃に持っていた「特別」は時と共に失われる。周りの人間にとっても。自分にとっても。いずれ人は自分が凡百の存在であり、「特別」が幻想であったと気づく。だから人は思春期のアイデンティティ確立の過程で自分を、「特別」を自分の力で獲得していかなければならない。
チカはそれを「魔法少女」を通じて少しの猶予を得ていたのだが、それももう終わりなのだろう。
「ん!?」
一抹の寂しさを感じて、空を見上げようとしたチカが何かに気付いた。
「今の……悪魔? 何かがいる」
眼鏡のヒンジに指を当てて遠くを見るチカにアスカとマリエも注目する。
彼女の眼鏡には魔力の流れ……悪魔の気配が映る様に以前マスコットだったルビィに改造され、そのままになっている。
その彼女の眼鏡が何かを捉えたのだ。
「ねえ、悪魔なんてメイ先生にでも任せときゃよくない?」
「ダメよ」
マリエの肩をアスカがぐい、と掴んだ。
「『あの女』に任せたら、何でも殺そうとする」
その発言で、アスカとメイの間に何かがあったのだという事はチカも察した。
「別にいいじゃない。悪魔なんて人類の敵なんだから。死んでも残念でもないし当然でしょ」
「みんながみんな死に値するかどうかなんてわからないでしょ! もしかしたら悪魔じゃないかもしれないし……」
アスカのいう事も尤もではあるが、しかしマリエの言い分も分かる。屈筋団は壊滅したとも聞いたが、ここ最近の戦いは激しさを増しており、一歩間違えば命を失っていたような場面もあった。
「私は……」
チカが口を開く。
「行って、様子だけでも見るべきじゃないかなぁ、って……思います」
もう少しだけ、もう少しだけでいいからこのモラトリアムの時代を味わっていたい。そう考えた彼女の発言であった。
「珍しいわね。チカがそんなこと言うなんて。めんどくさい」
不満を漏らすマリエであったが、しかし三人のうち二人が「行く」と言えば一応は従うようである。自分だけ帰るなどという事はせず、先行するチカ、なるべく遅く帰りたいアスカの後について追っていく。
「ねえ、ホントにこんなところにいんの? その眼鏡の索敵って信頼性あんの?」
チカはゆっくりとした足取りながらも小高い丘へと進んでいく。百メートルほどしかない町の中にあるほんの小さな山。斜面に入るとうっそうと木々が生い茂り、ハイキングとまではいかないものの、近所の老人の散歩コースくらいにはなる場所。確か山頂には小さな神社もあったはずである。
ぶつぶつと文句を言っていたマリエも次第に口数が少なくなっていく。
普段悪魔が現れる場所は圧倒的に繁華街、住宅街が多い。人の多くいる場所なら異物が紛れ込むのも容易であるし、誤射を恐れて警察に発砲されることもない。人目をはばかりたい魔法少女にとっても戦いづらい理想の場所だからである。
「大分近いです……一応、気を付けてください」
チカの足取りが一層ゆっくりになった頃、彼女はそう言った。三人は制服の下に隠してあるウィッチクリスタルを確認するように衣服の上から手で触れる。
まだ変身はしない。対象が敵対的でなかった場合はこちらもそれなりの態度を見せないと話がややこしくなる可能性もある。
神社の参道から少し外れ、林の中に立ち入っていく。何の変哲もない腐葉土と枯葉の森。異常は無いように見えるが、チカはそこで立ち止まった。
「な、何よ……何もないじゃない」
「そんなはずは……」
「!!」
ただ一人、気づいたのはアスカだった。驚きに口を押さえ、地面を指差す。その指差す方向に二人も視線を向けると、アスカと同じように言葉を失った。このような場面でも悲鳴を上げたりしないのは流石は魔法少女と言えよう。
三人の視線の向こうにあるもの、それは地面から突き出す子供の腕だったのだ。