戦い終わって
柔らかい光に包まれ、ビル・エヴァンスの曲がゆったりと流れる落ち着いたバー。
いつもの如くそのバーに二人はいた。一人用のソファに深く沈みこむように座り、男はいつも通りに軽めのカクテルをあおっているが、女の方は天を仰いで顔を手で覆っている。
「やってくれたわ、あのクソ野郎」
おおよそ落ち着いたバーに似つかわしくない暴言であるが、いつもの事なので周りの人間は気にしない。
メイがヤニアを倒して鏡の中の世界から脱出し、一週間たった週末の金曜の夜、メイとスケロクは馴染みのバーで疲れを癒していた。
「大分お疲れみてえだな」
そう言うスケロクの表情にも少し疲れが見えるが、メイの疲労はその比ではなさそうだ。少なくとも公共の場では普段「デキる女」を演じている彼女の面影はない。
「アイツのおかげで無断遅刻にならなかったのはいいんだけど……そのせいで職場に魔法少女だってバレちゃったわよ」
その言葉を聞いてもスケロクは特に驚くこともなくグラスの酒で唇を湿らせるだけだった。
「なんかお咎めでもうけたのか?」
「そういうのはなかったけど……」
公立学校の教師であるメイは地方公務員である。一部の例外を除いて地方の教育委員会の許可を得れば、本来の業務に支障をきたさない範囲で副業が許可される。
しかしそもそも魔法少女は営利活動ではない。
だからと言って許されるかと言えばそういうわけにもいかない。今回に関して言えば不可抗力とはいえ思いっきり業務の遂行に支障をきたしているのだから。
とはいえ学校側がそこに厳正に対処できたかというとそうでもない。何故なら「前例がないから」である。
当たり前の事であるが「教師が裏で魔法少女をやっていた」時にどういった処分をすればいいのかが誰にも分からなかったのだ。
「まっ、結局は何の処分もなかったけどね。そりゃそうよ。『魔法少女やってるから減給します』なんて荒唐無稽なことやられたらたまらないわ」
学校側もアラサー女に魔法少女なんて荒唐無稽な事をやられたらたまらない。
「じゃ、何でそんな疲れてんだよ」
「……なんか、みんな、こう……腫れ物に触るように扱ってきて、気疲れしたというか」
「今まで通りじゃねえか」
スケロクの言うとおり今まで通りの腫れ物扱いであった。さらに言うならこれがそこまでの大問題にならなかったのは、学校の周辺でちょくちょく魔法熟女がこれまで目撃されていたことも大きい。
そのおかげで他の教諭や生徒への心理的ショックは少なく、内心「あ、やっぱそうやったんや」と思っていた人が存外に多く、大きな騒ぎにはならなかった。
むしろイベントもないのに理由なくコスプレしてうろついているのではなく、ちゃんと理由があったのかと、安心した人までいる。
なるほど、確かに同僚のアラサー女教師がイベントがあるわけでもないのに目的もなく魔法少女のコスプレをして徘徊していると考えると、それよりはまだ何か理由があったことが分かった方が遥かにマシである。もはや怪異の類である。
「これじゃコウジさんの耳に入るのも時間の問題よ」
やってられない、とばかりに酒をあおるメイ。コウジの方もこれでは殴られ損である。
「スケロクはなんで疲れてんのよ?」
メイの方も訊ねる。彼女ほどではないものの、しかしスケロクもメイと同様に疲れの見える表情をしている。
「俺か? 俺は……おっとしまった、これが目的で外に出てきたんだった」
ぼそぼそと独り言を言ってスケロクはポケットからスマホを取り出した。メイはてっきり民間人に銃を貸し出したことが問題になったのかと思っていたのだが、どうやら違うようだ。スケロクはどこかに電話をかけているようである。
「もしもし? ああ、どうもこんばんは。木村、木村スケロクです。実はですね……ええ、はい、ちょうどそのことで……ええ、うちに来てるんですよ。それでですね……」
随分と入り組んだ話をしているようであるが、内容がよく見えない。どうやら誰かがスケロクの家に来ているようではあるのだが。
「ハイ、じゃあしばらくは様子を見るって事で。はい……はい。じゃ、失礼しまーす。
ふぅ~……」
深いため息をついて通話を切るスケロク。メイは相変わらず話が見えない。
「誰に電話してたの? 誰かあんたの家に来てんの?」
スケロクはちらりとメイの方に視線をやってから通話を切ってスマホをポケットに戻した。
「アスカちゃんが家に泊まりに来てんだよ」
「なっ!?」
言葉を失うメイ。
「どういうことあんた!? 完全に未成年者略取じゃない!! いくら公安だからってやっていいことと悪いことがあるでしょうが!!」
そう。だから保護者に連絡を入れたのだ。それもアスカのいないところで連絡を入れたかったからここへ来たのである。
しかし理屈としてわかるものの、メイは納得できない。出来るわけがない。よりにもよってロリコンの中年男性が女子中学生と一つ屋根の下で暮らすなどと言う暴挙、通るはずがないのだ。なろう小説じゃないんだから。
「いろいろ言いたいことがあるのは分かるが勘弁してくれ。俺もこの件についてはいろんな方面から攻撃されてて参ってんだ。憧れてたエロ漫画みたいな生活には程遠いぜ……」
そう。彼の生活は今、赤塚マリエというストーカーに二十四時間監視下に置かれているのである。当然この件もマリエの耳に入っている。
「女子中学生二人があんたをめぐって争奪戦とか、完全にエロゲー展開じゃないの」
「いや、そもそも元はと言えばお前のせいだぞ」
スケロクの主張にも一理ある。
元々はメイがアスカの母親のヤニアを殺害したのが事の発端なのだ。
あの時、アスカはメイを睨みつけ、折れそうな心を彼女への憎しみでかろうじて補強して立っている状態であった。しかしそれだけではなかったのだ。
彼女の「怒り」は直接殺害したメイだけではなく、それを黙って傍観しているだけでしかなかった、彼女の父親にも向けられていたのである。
結果としてアスカは、自宅にも居場所を求められず、家出をして、スケロクのマンションに転がり込むという最悪の結果になったのだ。
「いやまて。ゆうほど最悪か?」
「最悪でしょうが」
ピンポーン
「くそっ」
「チッ」
二人が同時に、その通知音に毒づいた。
スケロクが再びスマホを取り出して内容を確認する。
『どうでもいいからアスカを追い出せよ』
マリエからである。