私のことを恨んでいるうちは
パァンッ……
朝日の射す明るい部屋の中、爽やかな午前中の陽光に似つかわしくない銃声が響いた。
『グッ……なぜ?』
ヤニアの苦悶の声が聞こえる。
『なぜ! 何故気付いたああぁぁぁ!!』
メイの構えた銃口は彼女自身の眉間を狙っていたようだが、しかし、違った。
わずかにその狙いは逸れ、銃口は彼女の背後に。
メイの狙っていたのは自分の頭部ではなかった。後頭部のその後ろ、何もないと思われていた虚空に狙って発砲されていたのだ。
「何故気付いたって?」
それまで誰も気づいていなかったが、しかし彼女の頭の後ろには空中に浮かぶ金色の球体が浮かんでいた。弾丸はその球体に命中したのだ。
「薄っぺらいのよあんたは」
笑みを見せるメイ。
「薄っぺらいあんたが簡単に自分の名前を捨てて欧米風の名前を付けるのはまあいいわ。でも、それを自分の能力に関係するものにしたのは迂闊すぎるわね。薄っぺらいあんたにはお似合いの最期よ」
― ヤヌス [Janus] ―
― ローマ神話に存在する、出入口、扉を守護する神。
― 前後に反対向きの顔を持つ双面の姿で描かれ、物事の内と外を同時に見ることができる。年の初め、一月を現すJanuaryの語源でもある。
「ヤヌスを女性形にしただけの名前、異世界を作り出すってところですぐピンときたわよ。ただ、どこにいるかだけは分からなかった。最初は鏡が怪しいと思ってたけどそこに手掛かりは見つけられなかった。コウジさんは言ってたわね。『ヤニアはこの世界にはいない』って。薄っぺらいあんたが何度も『この世界にいる私』なんて言えば、普通にこの世界に存在しないのまでは分かってたわ。
そして、スケロクのヒント、一人一人に見える世界が違い、認識できていない物を作れないなら、もしかしたら一人一人に憑いてるんじゃないか、ってね」
『だ……だからって、核のある位置が、なぜ……?』
球体の銃創から、ぴしりと亀裂が走る。
「ここしかないのよ。何があっても自分からは絶対に見えない位置はね。それに、唯一見えるとすれば、鏡……だけど、この世界の鏡は自分が映ることはなく、現実世界の像が映されていた。
ここが『鏡の中の世界』だって、印象付けていれば自然なことに感じられたかもしれないけど、『異世界』なら妖しさ満点ね」
『アアアァァァアァァァァアァァァ!!』
球体はボロボロと崩れ、粉々になっていく。
「地獄に落ちろ。目の前で実の娘が悲しんでいても何も思わないような外道め」
ヤニアの叫び声がフェードアウトし、周りの風景が揺らぎ、崩れ始める。いよいよ術者を失ってこの異世界が消滅し始めたのだ。
「白石さんなら大丈夫。私の事を恨んでいるうちは、強く生きられるわ」
――――――――――――――――
「おおおお!!」
「やれやれ、やっと戻ってきたか」
光の粒子が集まり、やがて凝り固まってリビングでそれはメイの姿を形作った。スケロクが静かなまなざしを向けてメイに訊ねる。
「ヤニアは?」
「きっちり処理してきたわ」
メイはそう答えて銃をスケロクに返した。しかしそれで事態が全て丸く収まるわけではない。スケロクとメイの間にアスカが割って入った。もちろんその怒りを宿した目はメイに向けられている。
「何か文句でも? 子供は学校へ行く時間よ」
大人も職場へ行く時間である。さらに言うならいい年して魔法少女の格好してる女に言われたくない。
しかしアスカはメイの言葉に何も答えることなく背中を向けると、メイのアパートから出て行ってしまった。
「ま、待て、アスカ」
それを追うように白石浩二も娘を追いかけようとし、そしてハッと気づいてメイに一礼してから外に出て行った。
「メイさん……」
部屋に残された男女三人。コウジはなんともいたたまれない表情でメイに話しかける。
「もう少し、こう……やり方というのが、あったような……」
「コウジさん」
しかしメイは怯むことなくコウジの方に向き直って彼の名を呼ぶ。コウジは俯いていた顔をメイの方に向ける。すると……
コッ
一瞬の出来事であった。メイの右拳が神速の動きを見せ、コウジの顎先をかすめた。
― マジカルリセット [物理] [状態異常付与] ―
― 顎先をかすめるように拳をヒットさせることにより頸椎を支点にてこの原理で頭蓋に振動を与える魔法。
― デリケートな器官である脳が何度も頭蓋内に叩きつけられ、一瞬で記憶と意識を失う物理属性の精神異常魔法である。
「お前その技に頼り過ぎだぞ!」
スケロクの言葉に取り合いもせず、立ったまま昏倒したコウジの体を支えるメイ。
「さあ、これで目が覚めた時には記憶を失っているはず!」
「そんな上手くいくはずねーだろ!!」
「うるさいわね! いいから早くコウジさんを自宅か職場に送り届けて何事もなかったかのように振舞うのよ、あんたコウジさんの自宅知ってるんでしょ? 後の事はイイカンジに頼むわ!!」
いつもながら行き当たりばったりの女である。
「メイ、お前は行かねーのかよ」
「私が居たら不自然でしょうが。それに、私は私でちょっとやることがあるのよ。あと溝渕さんにも上手く言っといて。あんた公安だからこういうの得意でしょ?」
釈然としないながらもスケロクはコウジの体を引きずってアパートの外に出て行った。今日は彼は車で来ていたのが幸いした。ここから歩いていくなりタクシーを呼ぶなりすると随分と手間だ。
「ふぅ……さてと」
メイはすぐにスマホを充電ケーブルに繋いでから着替えた。時計を確認すれば、もう昼前である。遅刻などというレベルではない。
「ああ、クソ! 無断欠勤……いや、まだ遅刻よ! 午後の授業からでもなんとか出ないと、説明……どうしよう。熱が出てて……スマホも壊れてたことにするか……?」
いろいろと考えるが思考がまとまらない。何をどう言い訳しようとも無断で遅刻したことに違いはないのだ。
「く……コウジさんにリセットかけたのは早計だったか? いっその事もう退職して、コウジさんに責任取って養ってもらうとか……」
今回の一連の事件のどこにコウジの責任があるというのか。
しかしこんなことになるなら、いっその事鏡の中で一発ヤッて既成事実を作っておけばよかった。そんなとりとめもないことを考えているとコンコンとドアをノックする音が聞こえた。
スケロクが戻ってきたのだろうか、とも考えたが、彼ならおそらくノックなどせずに入ってくるだろう。そう考えているとドアが開けられ、思いもよらぬ人物が入室してきた。
「どうやらもう『事件』は解決したみたいだね。さすが、鮮やかな手腕だ」
「アキラ!!」
なんと、入室してきたのはメイの天敵、ベルガイストこと山田アキラであった。ちなみにアキラの天敵はキリエである。
「あんた! 学校は!?」
「そりゃこっちのセリフだ」
それもそうだ。
「もう昼休みだ。同僚の体調を心配して様子を見に来たってのに酷い言い様だね」
アキラには言いたいことが山ほどある。最悪のケースとしてはメイとヤニアをぶつけて始末しようとしてたか、共倒れを狙っていた可能性もある。しかし何から問いただそうかと思案しているとアキラの方が先に口を開いた。
「安心しろ。学校にはすべて事情を話してやむにやまれぬ事情ってことで通常の欠勤扱いにしてもらってる」
「え……?」
にわかにメイの表情が明るくなる。
まさかアキラが学校との間に仲立ちしてくれているとは夢にも思わなかった。まさかとは思うが、本当に屈筋団を見限って恭順の意を示すつもりだったのか、しかしすぐにメイの表情に疑惑の火が灯る。
「すべて……って?」
「ああ、全部話したよ。葛葉先生は魔法少女で、悪の組織と戦うために学校に来られない状況だ、ってね」