謎は解けた
何の変哲もないアパートの一室。
和室ではないものの、昭和の木造アパートの雰囲気を残した、よく言えば風情ある、悪く言えば古臭い1Kアパートのキッチン兼ダイニングルーム。
そのダイニングに、女の死体。
コウジが屈んで、仰向けに倒れ、目と耳から出血している女性の脈を確認してから、目を伏せて首を横に振った。
「お……お母さ……」
アスカが両手を口に当てて、そこから先の言葉を飲み込んだ。彼女の父も今現実に起きたことが受け入れられず、ただ、立ち尽くしている。
「おかしいわね……元の世界に帰れない」
一人。メイだけが冷静な表情で落ち着いた態度を見せている。
アスカと父親の出現に際して気の緩んでいたヤニアがその姿を現した。そこまではよかったのだが、メイはそれを確認するなり何の問答もすることなく、後ろから側頭部を殴りつけたのだ。
ヤニアはメイに比べて二十センチほども身長が低く、小柄な体格であった。アスカの面影はあまり感じられず、年相応な外見ではあるものの、少しきつめな印象を受ける険しい表情の中年女性。
その小柄な女性をメイが一撃で葬り去ったのだ。
「こ……殺し……本当に」
特に突然非日常に連れてこられたアスカの父は取り乱しているようだった。しかしメイがそこに気を払う様子はない。逆にメイに対して少し理解を示しているのはコウジである。この三日間メイと共に鏡の中の世界で過ごすことで何度か戦闘を経験し、そしてヤニアの犠牲になった人の遺体も彼は確認しているのだ。
「まずいわね。もしかしたら術者が死んでも解除されないタイプの能力だったのかしら」
「メイ先生!!」
彼女に最初に噛みついたのはアスカだった。
「この人……ヤニアは、私の母だったんですよ!」
「知ってるわ」
あまりにもあっさりとした答えにつっかかったアスカが言葉を失う。
「なにが言いたいの、あなたは。『私の母親だから特別扱いしろ』とでもいいたいの?」
それは、メイが二十年間魔法少女を続けてきた中で、ただ一つの破ってはならないルールだ。
「あなたが魔法少女をやってるのはなんのため? 力無い人を助けるため? 悪い奴らを倒すため? 自分の都合で助けたり助けなかったりするんなら魔法少女なんて今すぐやめなさい。さもなくば」
おおよそ感情というものが感じられない冷たい視線を投げかけながら、メイは左手の人差し指の先をアスカの額に当てた。
「私がお前を殺すぞ」
その覚悟が無いならばさがれ、と、言っているのだ。アスカは、恐怖とショックで二の句を告げることができなくなっていた。ただ呆然と立ち尽くしている彼女にコウジが出来る限り優しく語り掛ける。
「その……アスカちゃん、だっけ? この数日ここを探索していたけど、何人かの犠牲者の遺体も見つけた。事態は多分、君が思っているよりも深刻な状態になっているんだ」
「だって……私の」
ぐらりと体が揺れ、後ろに倒れ込みそうになるアスカを、彼女の父が支えた。彼女の中でそれほど母の存在が大きかったわけではない。そもそも数日前まで存在すら知らなかった女なのだ。しかも自分を捨てた。
だが、人は閉塞的な状況が長く続くと、それを壊してくれる存在ならばそれがどんな害悪だろうと受け入れてしまうことがある。
テーブルに乗っている料理に不満があれば、自分で料理を作るのではなく、テーブルをひっくり返すことでもっと良い料理が出てくるのではないかと、根拠もなく思ってしまう。そんな心理状態に陥ることがあるのだ。
蒸発した母親と仕事人間の父親。
そんな家族の愛に飢えた状態のアスカにとって、ヤニアこそがまさにそうだったのだ。全ての元凶。彼女の家庭を壊した張本人。彼女の蒸発が無ければ少なくとも片親の環境で育つことはなかった。
だが、アスカは彼女の中に破壊神としての神性を見出していたのだ。そしてそれはこの期に及んでも同じであるどころか、未だ口をつぐんでいる父親への反発という形で補強されていた。
「メイ先生!! いや、メイ!! 絶対にあなたを許さない……」
メイへの憎悪という最悪の形で現れた。
メイはその怒気の孕んだ視線を、正面から受け止める。守るべき生徒、子供に憎しみの目を向けられることによる驚きや戸惑いはない。まるでそれが当然と言わんばかりである。
「それよりも、今問題なのはヤニアが死んだのにこの世界から出られない事よ」
すでに物言わぬ躯と化した女の体を一瞥してメイがそう言う。
「なにか、スケロクから受け取ってない?」
あくまでも自分のペースで物事を進めるメイ。アスカはメイを睨みつけたままであったが、彼女を両腕で守るように、また押さえつけるように抱きしめていた父はその言葉に反応した。
「その……実は、これを……」
アスカを片手で押さえたまま、ごそごそと彼女の父は何かを取り出す。
それは、鉄製の黒い塊と、一切れの折りたたまれたメモ用紙だった。
「銃と……手紙?」
鉄の塊は普段スケロクが使用している6発装填のリボルバー式の銃。確か銃弾は悪魔に対して特効を持つ物だと聞いている。本来は銃は所有者以外には持たせることも犯罪であるが、スケロクは自分の判断でそこはフレキシブルに扱えるように権限を与えられている。
メイはスカートのベルトに銃を差し込み、四つ折りに畳まれていた手紙を開いて内容を確認した。
「この手紙……あなた達は中身を確認したの?」
「いえ……何か書き込んでるのは見ましたが、中身は見るなって、言われて」
アスカの父は否定したが、アスカはやはりメイを鋭く睨みつけたままである。メイは「そう……」と小さく呟いてから手紙をくしゃくしゃと小さく丸めてその辺に投げ捨てた。手紙の内容は彼女以外誰も見ていない。
「今までさんざん自分の男運の悪さを嘆いてきたけど……ようやく向いてきたみたいね」
言葉の意味は、誰にも分からない。
「コウジさんの言葉で気付かされて、スケロクが手助けしてくれて、それを持ってきてくれたのが……ええっと、白石さんのお父さん、名前はなんでしたっけ?」
「白石浩二です」
コウジ。
「ん……」
メイが眉間をつまんで目を瞑る。
萎える。
微妙に萎える展開。
自分がお付き合いしている男性と、目の前の冴えないおっさん、生徒の父親が同じ名前だった。
確かによくある名前だが。
今後堀田コウジの名前を呼ぶたびに彼の顔が視界にちらついてしまう。
それはそれとしてだ。
ヤニアが死んでも元の世界に戻ることは出来なかった。状況は絶望的である。メイとアスカ、そして白石浩二は元の世界に戻ることができる。「往復チケット」の「戻り」を使って。
だが、堀田コウジだけはヤニアが「能力」で呼び寄せたため戻れないのだ。この状況は「詰み」にも等しく見える。
「落ち着いて、白石さん、きっと君のお母さんは、まだ……」
コウジがアスカに宥める様に話しかけようとしたが、メイがそれを手で制してから、そして紙片を彼の前に差し出した。
「あなた達は『チケット』で元の世界に帰って。問題は全て解決したわ」
コウジは狐につままれたような表情をしたが、しかし渡された「チケット」に「往復」と書かれていることで全てを理解した。
自分達がこの「チケット」で戻り、そしてメイが一人ここに残るのだという事を。
「え……でも僕はチケットを持ってないから、一枚足りないんじゃ……」
「あなた、理解してるんでしょう。お願い。ここは何も言わずに……それよりも聞きたいことがあるわ」
メイはチケットを押し付けると改めて全員に訊ねる。
「あなた達にはこの女、ヤニアはどう見えてる?」