仕事人のテーマで
「朝だな……」
現実世界、メイの部屋。三人で雑魚寝しているスケロク達であったが、陽の光を浴びて目を覚ましたスケロクが腕時計を見てそう言った。
アスカとその父親も眠そうに眼をこすりながらスケロクの方を見る。
「月曜の朝だ」
そう。タイムリミットである。
「俺はこれが仕事だからいいが、あんたらは日常生活に戻りな」
アスカには学校が、その父には仕事がある。それぞれの日常があるのだ。
「私、メイ先生が戻るまでは……」
元々寡黙で責任感の強そうに見えるアスカがそう応えることは半ば分かってはいた。
「親父さん、あんたは」
「アスカが残るのなら、俺も残る」
さすがにこれにはスケロクも困った表情を見せる。何しろアスカと違って完全に一般人の彼にはここに居てもできることなどない。足を引っ張るだけなのが見えてるのだ。
しかしここで帰れというのも酷である。
なにしろ娘がこの事件の関係者として残ると言っている上に、事件の首謀者は彼の元妻なのだ。
「まあ、俺の方は何とでもなります。有給もフルに残ってるし」
そう言ってアスカの父はスマホを取り出す。
「え、お父さん仕事休めるの?」
「フン、まあ見てろ。ガツンと言ってやるさ。家族の一大事なんだ」
ゴホン、と咳払いをしてから彼はスマホを操作して電話帳アプリを立ち上げて電話をかけ始める。
「ごほん、うんッ!!」
気合を入れる様に咳払いをする。部屋にはただ電話のコール音だけが聞こえている。
常に仕事人間だった父。アスカの記憶では自分が熱などで寝込んだ時以外に彼が会社を休んでいる記憶がなかった。
「ゴホンッ、ゴホッ」
なかなかコールが終わらない。アスカの父は厳しい顔で咳ばらいを再びした。
「ゴホッ、げほ、ゲホォッ、ごほ、ごほッ」
何やら様子がおかしい。もしかして唾が気管に入ったのか。
「ごほっ、ゴホン、げぇっほ、あ、もしもゴッホ……ごほ、も、もしもし?」
どうやら電話に出たようだが、何か様子がおかしい。
「もしもし? 室ちょ……ごほっごほっ、げぇっほ、げほ、げほ、あの、あのですね、げほっ、う゛え゛ぇぇぇ……ごほごほッ、あの、どうも、昨夜からげぇっほ、せ、げほ、咳が止まらなくってげほおッ、ゴッホ……すいません、ハイ、げほ、今日は、有給で……ゲホッ、ゲホッ……お願いしまゴホォッ」
ピッ
「ま、ざっとこんなもんだ」
「何が」
仮病である。
期せずして目撃することになった父親の情けない姿。父は上司の前だとこんな感じなのか、と微妙な表情になってしまうアスカ。
「よう、終わったか?」
「んあ、スケロクさん」
いつの間にか部屋から出ていたスケロクに声を掛けられて思わず阿呆みたいな声を出してしまう。
「今洗面所でメイと少し話したがな、どうやら向こうも手詰まりらしい。こっちの助力がいる」
とはいうものの、手掛かりは何もないのだが。しかしアスカが少し考えてから発言した。
「あの、そういえば忘れてたんですが、メイ先生が初日に山田先生がどうのこうのって言ってて……」
部屋の鍵云々の話が出てしまってすっかり忘れていたがそう言えばそんな事をジェスチャーで伝えていた。月曜日の始業前の時間。この時間なら山田アキラは学校にいるはずである。
アスカ達三人はとりあえずは唯一の手掛かりである山田アキラのもとに向かうため、学校に行くことにした。
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「おやおや、皆さん揃って何の用です? 部外者もいるみたいですが?」
早朝の学校は意外にもにぎやかである。
先生達は週の初めの準備を職員室でしているし、部活をしている生徒たちは朝練で汗を流している。
しかし教室となれば話は別である。まだ誰も生徒のいない中、教室の自分のデスクで何やら作業をしていた山田アキラ。そこに詰め寄るように集まる三人の人影、スケロクとアスカ親子である。
しばし沈黙の時が流れたのは「どう聞こうか」と思ったからではなく「何から聞こうか」と考えたからであるが、スケロクは意を決する。
「協力しろ。メイがヤニアの『鏡の世界』から出られなくなってる。お前が一枚噛んでるんだろう」
しかし山田アキラは鼻を鳴らしてバカにしたように答える。
「フッ、君達に協力して俺に何の得があると?」
この交渉に於いて圧倒的有利にある立場なのだ。それはスケロクも理解している。アキラはシャツのボタンを外して胸をはだけて見せた。
「スケロク、君には銃弾を撃ち込まれた恨みもあったな。見ろ、まだ傷口が残ってるんだ。ホラ」
表面には生々しい傷などはついていないものの、そこだけ皮膚の色が薄くなっていて、まだ新しい傷であることが見て取れる。彼がアスカ達に襲撃をかけた時にスケロクが撃退したものだ。
「協力してほしいなら頭を下げて俺のこの傷口を舐めて癒してくれないか?」
そんなことができるわけがないと分かっていてふざけているのだ。アスカの父が一歩前に出て抗議する。
「あんた一応教師だろう。生徒の前でそんな事……」
「おや、教師としての俺に用があって来たんですか? 葛葉先生の同僚として相談に乗ればいいんですかね?」
なんともいやらしい物言いに三人は嫌悪感を隠すこともできずにいる。
「だったらなんでメイには協力したんだ? 屈筋団はもう終わりだと思ったから見限ったって事じゃねえのか?」
「それもありますがね。私はメイが欲しいんですよ。今にして思えばあんないい女はいない。別れるべきじゃなかった」
「だったら!」
あまりにも生々しい話であるが、臆することなくアスカが前に出る。
「そのメイ先生がピンチなんですよ! それを助けてくれって言ってるんです!!」
「ヤニアにやられる程度の女ならいらない。しかし違うでしょう? 今この時間にメイがここにいない事で分かる。鏡の中に閉じ込められて職場に来られないから困ってるんだろう?」
現在、メイはヤニアの社会的死刑を喰らっている最中で、失職の危機にある。アキラは全てお見通しであった。
「彼女が失職すれば俺にはチャンスだ。弱みに付け込んで助けることができる。恩が売れる」
性欲由来のやさしさである。
「最低のクソ男……ッ!!」
アスカは露骨に嫌悪感を示したが、しかし一方のスケロクは冷静な表情をしていた。
彼はこうなることが半ばわかってはいたのだ。メイにチケットを渡して鏡の中の世界に招きこんだのが彼であることも、屈筋団を既に見限っていることも。その上で彼が善意を持った人間などではなく、スケロク達に手助けするような人間ではない事も。
彼はそれを分かった上で、特に何の策も講じずに相手の善意に期待して希望的観測のみで行動を起こすような間抜けでは、ない。
スケロクは無言で教室のドアに歩み寄り、引手に手をかけてアキラの方を見た。
「ま、こうなることは分かってたぜ。そっちがその気なら、こっちも『奥の手』を出すだけだ」
スケロク達三人が声を合わせ、ドアを開けながら大きな声を出す。
「先生! お願いします!!」
ドアを開けられたその先、廊下に仁王立ちしていたのは、キリエだった。