植物由来の乳酸菌
ピンチであった。
メイとしては、まだコウジに自身が魔法少女(熟女)であることを知られたくはない。しかし事実として魔法少女の衣装に身を包む自分の姿を見られてしまった。
結果としてメイが思いついたのは、今この状況は「夢」であると主張することであったのだが、今しがたメイ・レプリカに物理攻撃を受けていたコウジがやすやすとこれを受け入れるとは思えない。
そこで彼女の方からコウジへ十分なベネフィットを提供し、魅力あるマニフェストとして彼のコンセンサスを得られると考えてサジェストしたスキームが次のものであった。
「どうせ夢なんだから、セッ〇スしましょう」
(既成事実も作って私にも輝かしいサクセスをコミットする一石二鳥のサジェスト。男ならこれに必ずアグリーするはず!)
しかし。
「そうか……確かに夢の中ならセッッッッいや何言ってるんですか!!」
ダメだった。
「たとえ夢の中でもそんな軽々しくするもんじゃ……っていうかそんな場合じゃないでしょう!!」
耳まで真っ赤になって提案を却下するコウジ。彼の童貞力をナメていたと言わざるを得ない。
(男なんてエロをぶら下げればすぐにでも食いつくもんだと思ってたのに、身持ちが固い……ッ!! やだ、尊い)
なぜかこれに胸キュンするメイ。ただの童貞仕草であるが、もはや彼女にとってはあばたもえくぼ。
『男なんてエロをぶら下げればすぐにでも食いつくもんだと思ったのに……でも確かに私の世界でファックするのはやめて欲しいわ』
「あの、メイさん、さっきから聞こえてるこの声は何なんでしょうか?」
「何の事かしら、私には聞こえてないわ」
『ふざけんな聞こえないふりすんな!!
私はこの“鏡の中の世界”の主、ヤニアよ。残念ながらあなた達はもうこの世界から出られない。おとなしく野垂れ死にすることね』
「かっ、鏡の中の世界!?」
「夢の中なのに設定凝ってるわね、コウジさん」
メイはどうやらあくまでも「夢の中」で通すつもりのようである。
設定が定まらないため、コウジはやはり自分の置かれている状況が確定せず、どうしたらいいのか分からない。彼はとりあえず自分の着ているフリースのジッパーを下ろして脱ぎ、メイの肩にかけた。
「コウジさん?」
「その……夢の中でこんなこと言うのもなんですが、まだ夜は冷えますし」
そう言ってコウジはちらりと横目でメイの方を見てから、顔を逸らす。
「なんというか、その格好は、目に毒で……」
メイの魔法少女の衣装はヘソ出しミニスカート、谷間もばっちり強調されている。童貞には少し刺激の強い服装である。
(やだ! めちゃ紳士!! 尊いッ)
『思春期男女みたいなじれじれしたやり取りしてんじゃないわよこのアラサーカップルが。勘違いしない事ね、紳士に見えるような行動しててもそんなものはさっき話してた“性欲由来のやさしさ”よ。好感度上げてヤろうと思ってるだけなんだからね!!』
「『植物由来の乳酸菌』みたいな言い方」
「夢の中のはずなのになんで僕の知らないところで話が進んでるんだろう……結局この『声』は何者なんですか? 別に何に由来してても出力が『優しさ』なら構わないと思うんですが……」
どうやらコウジはメイと同意見のようである。というか普通はそうだろう。そもそも性ホルモンの活動と人間の人格は切っても切れない物である。医者であるコウジはそれをよく分かっている。
それを無くすという事になれば無色無臭な味のしない均質なスープのような物に世界を変えたいという事だ。実現すればそれはディストピアに他ならない。
『これだからジャッポスは! 汚いエロ目線の混じった優しさなんかいらないってのよ。そんな優しさなら無い方がマシよ。バ〇ァリンの半分が優しさで出来てるなら、つまりその優しさが性欲ってことよ? バ〇ァリンの半分は精〇で出来ています、って言われたら、あんた飲む気しないでしょう!?』
「喩えが独特過ぎてついていけない」
「あんたそのうち訴えられても知らないからね」
二対一になったところでヤニアとの対話は平行線に終わったようである。しかしやはりここに来てもコウジは状況を全く理解することができない。メイの異様な服装は置いておくとして、結局ここは何なのか。
メイの主張する「夢の中」とヤニアの主張する「鏡の中」で意見が真っ向から対立しているのだ。どちらも受け入れ難い主張ではあるが、彼個人としては「夢の中」とは少し違うような気がする。
「で、結局ここはいったい……? ここから出るにはいったいどうしたら」
当然である。重要なのはここから出て元の世界に戻る事なのだ。
『残念。さっきも言ったでしょ? ここから出る方法なんかないわ。そのまま野垂れ死になさい』
と、ヤニアは言うものの、実はある。
メイの持っているチケットで出られるのだ。しかし使用できるのは一回、それも一人だけ。
(さっきヤニアは「この世界にいる私」って言ってたけど、やはりあの女はこの世界のどこかにいるんだろうか。だとすれば見つけ出してぶちのめせば話は早いけど)
チケットを使ってコウジを外に出し、自分はここに残ってヤニアを探す、という手もある。しかしそれをした場合切り札を失ってしまう上に外に出されたコウジもすぐまたこの世界に引き込まれて徒労に終わる可能性もある。
メイの経験上、抗いようのない強力すぎる能力、というものには接触したことがない。今回で言えば鏡の中に放り込んで飢え死に待ち、術者はリスクを冒すことなくゆっくりと待ってればいい、などと言うのはあまりにも都合の良すぎる能力で、現実味がない。
何か脱出の方法があるか、もしくは術者にもリスクがあるはずなのだ。
「根源的な話として、そもそもここはどこなのか……」
『だから言ってるでしょ。“鏡の中”だって!!』
同じことを繰り返し問いかけるコウジにヤニアはどうやらイライラしているようであるが、しかしそれでも彼は思考を止めない。若干解像度の低い周囲に視線を彷徨わせてからゆっくりと口を開く。
「『鏡』に、『中の世界』なんてない。ただの光の反射だ」
だが現実としてコウジとメイはこうしてこの世界にいる。
「おそらくは、何か条件を満たせば、この世界から出ることは出来るわ」
メイの言葉にコウジは考え込んでぶつぶつと独り言を呟く。
「一般社会と隔絶されて、条件を満たすまで出ることができない……まるで」
「そう、まるで」
その言葉に継ぐようにしてメイが話を繋げた。
「セッ〇スしないと出られない部屋みたいね」
まだ諦めていなかった。