夢で逢えたら
「それは違う」
いつの間にか、コウジは意識を取り戻し、腕で上半身を支えている。状況を正しく把握しているかは甚だ疑わしいが、メイの独り言に応えたのだ。
「鏡の中は……左右逆になんかなっていない」
『は? 何言ってんの? あんた鏡見たことないの? 実際左右逆になってるじゃない』
コウジの言葉にヤニアがツッコミを入れたが、しかしコウジはそれ以上は喋らなかった。別に喋れないほどの重傷というわけではない。
それ以上喋れば「内容が全員に理解できてしまう」と考えたからだ。
何も分からずに鏡の中に引きずり込まれてメイ・レプリカに痛めつけられたコウジではあるが、彼なりに状況把握はしている。
すなわち自分を痛めつけたメイの姿をした人物は敵であるという事。そしてそれと敵対しているオリジナルのメイは「敵の敵」であるから味方の「可能性」があるのではないかという事だ。
ならば、自分の出した「ヒント」が理解できるのは話しかけた「彼女」だけでいい。喋りすぎることが得になるとは考えなかったのだ。
「なるほどね……」
オリジナルメイの構えが深くなる。勝負を仕掛ける気だ。レプリカの方の構えは腰が高いまま。おそらくは互いに何を仕掛けるのかはある程度予測がついているだろう。
一瞬、消えたかと思うほどの速度でオリジナルメイが突進する。真っ直ぐレプリカに、しかし少し低い。片足へのタックル。
これを読んでいたレプリカはタックルに膝を合わせて一撃で決めるべく迎撃態勢に入るのだが。
「ぐっ!?」
レプリカが前に出ようとした瞬間コウジが足を引っかけた。
メイの体幹は強い。その程度で転倒などしないのだが、しかし膝での迎撃を一瞬遅らせるには十分であった。
オリジナルは見事にレプリカの左足に取りつき、グラウンドに持ち込もうとする。しかしレプリカもそれをこらえ、両腕のふさがったオリジナルに左の拳を見舞おうとする。だがオリジナルは即座に相手を倒すのを諦め左の足首に持ち手を変え、ヒールホールドに切り替えようとする。
「ちょこまかと!!」
レプリカは即座に足を引っ込めてオリジナルの体を掴もうと手を伸ばす。しかしこれにオリジナルはあっさりと脚を取るのを諦め、レプリカの手首を取ると立ち位置を激しく変えながら合気挙げで姿勢を制御し、チキンウイングアームロックを極めた。
実戦でのサブミッションは相手を拘束してギブアップをさせる技ではない。それは即ち相手の関節を破壊する攻撃である。
「ッああ!!」
躊躇なくメイはレプリカの腕をへし折り、そして先ほど最初のレプリカを倒した時と同じ、すぐに後ろに回り込んで裸締めの体勢に入った。
「そうね、鏡は左右が入れ替わってなんてない」
メイは笑みを見せ、横目でちらりとコウジに視線をやる。
「入れ替わってるのは『表裏』よ」
『そ、それがどうしたっていうの!?』
「面と向かっての打撃は平面的な判断で対応できても、前後左右に回り込む寝技の応酬には意識が回りきらなかったみたいね。反応が打撃の時よりも格段に遅かったわよ」
寝技は当然ながら打撃よりも距離の詰まった戦いになる。打撃の間合いでは相手の体勢を大きく崩さないと敵の背後に回り込むことなど不可能であるが、しかし密着した距離でなら少しの移動で相手の横、背後に回り込むことができる。
コウジがレプリカの足を引っ掻けるとは思わなかったので一か八かではあったが、レプリカがトランスアキシャル面(人体の軸に垂直に交わる面)の認識能力に難があるという事に賭けたのだった。
もし間違っていたとしても致命的なミスには繋がらないとはいえ、希望的観測に基づく賭けであった。
それでも彼女がこの賭けに出たのは殆ど確信に近い勝算があったからに他ならない。その勝算とは即ち……
「やはり愛は勝つ!!」
きっと「運命の相手」であるに違いない堀田コウジとの共同作戦、失敗するはずなどないと考えていたのだ。
(もうこれは殆ど『夫婦の初めての共同作業』と言っても過言ではないはず)
過言である。
ともかく、レプリカの首を絞め落として勝利したメイは立ち上がり、コウジの方もそれほど大怪我ではなかったのか、立ち上がってメイに歩み寄った。
「メイさん……これは、いったい……?」
戸惑いを隠せないコウジ。当然である。鏡の中の世界に吸い込まれ、その中でメイとメイが戦っていたのだ。一般人には理解など出来る筈もなし。
「驚くのも無理はないわね。コウジさん、あなたはヤニアという女の能力によって……」
「いやそうじゃなくて、その魔法少女みたいな服装はいったい?」
メイは言葉を止め、自分の姿を見る。
もうすぐ三十三歳の熟女が、身長百七十五センチの大女が、日曜朝八時半にしか許されないような魔法少女風の服装を着て大暴れしているのであるが、残念なことに今は金曜夜の八時半である。
「…………」
どう答えるべきか、どう答えるのが正解なのか。メイの灰色の脳細胞が悲鳴を上げて高速起動する。
「何か……罰ゲームで?」
自発的に着たのだ。しかし他人の目からはどうやら罰ゲームに見えるらしい。
「悪の組織と戦う女性は、こういうものだ」という考えのメイにとって、これは大変ショックであった。自分のアイデンティティを否定されたのだ。二十年にわたって悪と戦う自分の存在を否定されたのだ。正義のために戦っている自分を。許せない。これに対し、メイの取った行動とは。
「コウジさん、これは夢よ」
ごまかすことにした。
そりゃそうだ。
狙ってる男に変態だと思われるくらいなら魔法少女のプライドなど容易く捨てられよう。
「ゆ、夢?」
訝しむ目。
当たり前である。先ほどメイ・レプリカにボコボコにされた時の痛みは現実のものに違いなかった。今も試しに頬をつねってみるが、やはり、痛い。
コウジのリアクションから、メイも自分の仕掛けたごまかしが上手くいっていないことを察する。
まずい。ごまかしが足りない。
もっと大きな嘘をついてごまかさなければならない。さらに言うならその「嘘」がコウジにとって好ましい物であれば、よりごまかしやすくなる。
しばしの沈思黙考ののち、メイは意を決して口を開く。
「そう。これは夢の中の出来事よ」
「い、いやあ……どう考えても夢では……」
「どうせ夢なんだから、セッ〇スしましょう」
「夢かもしれない」




