正論は人を変えはしない
『いい? この社会の歪み、残酷さは全てクソオス共のせいなのよ』
分かる。
『男たちがいつまで経っても女性を虐げ、性的搾取の対象としているから社会はいい方向に進まないの』
なるほど。
『それをやめさせるにはそもそも男の性欲をどうにかしないといけないわ』
同意しかねるが言いたいことは分かる。
『よってキン〇マ狩りよ』
分からない。
『なんでわからないのよ! いい? 男が女をちやほやするのはね、全部セッ〇ス目的なの。性欲由来なのよ。そんな汚い目で向けられた好意、迷惑でしかないわ。そしてそれによって得られるメリット以上にデメリットの方が多いの!』
言っていることは分かる。分かるのだが、何故そんな極論になってしまうのかが分からない。そもそも……
「どうやってそんな事達成するのよ」
『既に手は打ってあるわ』
自信満々に答えるヤニアであるが、その自信がどこから来るのかがメイには全く分からない。
『市販の向精神薬を改良して作った性欲を完全になくすクスリが作ってある。こいつを世界中のクソオス共に投与することでイデアたる理想の世界を作るわ。喜びなさい、そのための兵隊としてあなたのレプリカを大量に作ってあげるわ。キン〇マ狩りの戦士としてあなたは後の世の教科書に載るのよ』
「肖像権の侵害なんだけど」
とっさに突っ込んだがそれ以外にもいろいろと引っかかる。まず気になるのは……
「それ、人類滅びるんじゃないの?」
『そうね。でも本当に性欲でしか子供を作れないような愚かな生き物ならしかたないんじゃない? むしろそれでも人類がそれを乗り越えて子孫繁栄できるなら、その時本当に人間は新しいステージに行けるのよ』
神視点である。
『むしろそれを克服せずに子供をつくるなんて犯罪だわ。しかも生まれた子がもし男なら、女から性搾取する悪魔を再生産する強産魔とクソオスのカップルになるのよ? ああ、おぞましい』
そんなことを言っているが、この女、経産婦である。
「いや、しかしさ……」
小首を傾げてメイは考える。
「男に性欲が無くなったら女の扱いも悪くならない? 男が女に『女性』を求めないって事は、私がおっさんを扱うように、男が女性を扱うようになるって事でしょ? それはそれで女性にもデメリットあるんじゃ?」
ついこの間も教頭を一人吹き飛ばした女の発言は重みがある。
『ハッ、よく口が回るわねこの名誉男性が! それってつまり男は性欲が無きゃ他人に親切にすることもできないような劣等種って事? あんた言ってることが破綻してるわよ。そんな害悪しかない連中なら滅んで当然ね。私を中心とした新しい世界がやっぱり必要とされるのよ』
「いや……そうじゃなくてさぁ……だって」
ぽりぽりと頭を掻きながらメイは天井を見上げ、言葉に詰まった。
何を言おうか考えているのではない。「これを口に出していいのか」と考えているのだ。「さすがにこれを言ったらブチ切れるんじゃないだろうか」と。
男性が性欲を失うということは、女性を「性別」のない個体として認識するという事である。
そして、そこには即ち「美しさ」も「可愛さ」も「女性性」も求められない。つまりはそんな者すべて取り払って男性と同じフラットな位置に立つという事である。
そうした立場に立った時に人に向けられる「優しさ」とはなんなのか。他人に向けられる差し支えない程度の小さな親切、そして子供や老人、障碍者などの弱者に向けられる庇護欲である。
そうしたものをこのヤニアに向けられるかと考えた時……
「ないわ」
『何がよ』
「だってあんた性格悪いもん」
『は?』
元々メイは女性なので性欲に基づく「優しさ」を女性に向けることなどないが、だからこそ言える。言う事ばかりいっちょ前でやたら攻撃的、他人を蔑み、そのくせ自分は他人に優しさを見せない。
もちろん老人でも子供でもなく、健常者である。
そんな人間に対して「優しさ」を施す気になどなれない。
「男女の垣根を取っ払った時にあなたに向けられる優しさってどういうものか分かる?」
『え? どういう事よ』
「それってつまりあなたが攻撃的な性格で無職の中年男性に対して見せる優しさと同じよ」
『は? なんで私が性格の悪い無職の中年オスに優しさ見せなきゃいけないのよ!』
まいったな、とメイは頭を掻く。可能な限り分かりやすく説明したつもりであったが、やはり伝わらなかった。
「だから、他人にとってはあなたがまさにそれなのよ。性格の悪い無職の中年。自分がそんな人に優しさを見せられないのに何で自分は他人から優しさを施されると思ってるの?」
『え?』
これで伝わらなければ無理だろうな、とメイは考える。
『私女なんですけど?』
伝わらなかった。
大きくため息をつくメイ。
伊達に十年近くも教師をやってはいない。彼女はよく知っている。
人は「論破」されたからといって変わらない。
正論で人を変えることは出来ないのだ。たとえデータや数値に基づく正論であっても。
人が意見を変えるのは唯一、「信頼する者との対話」のみである。
生徒相手であればそれは成り立つ。生徒にとっては教師は「絶対的強者」であり、信頼するに足る相手だからだ。
だが保護者相手には大抵の場合これは成り立たない。特にメイのような年の若い教師の場合。
それを成り立たせるためには根気よく対話を続け、信頼関係を築かなければならない。
それが面倒なのでこの十年間、メイは保護者を無視し続けた。教頭に何を言われようとも。
そして当然ながらメイはヤニアと信頼関係を築くつもりなど毛頭ないし、元々そんな余裕もない。月曜の朝までには片付けたいのだ。
互いに説得が通じない。ヤニアはまだ何か気持ちよく演説を続けてはいるのだが、メイは既に対話を諦めている。そんなことは不可能だと。
対話による解決が困難である場合、解決の方法は主に二つ。
一つは金。
もう一つは……
「やっぱり……」
ヤニアの喚き声をBGMに、腕組みをしながらメイは独り言を続ける。
「やはり暴力。暴力は全てを解決する」