コピー
「うそ……でしょ……」
メイは鏡の前でガックリと膝をついた。
前話から時間は少し前後して、メイがアパートで鏡の中からアスカにコンタクトをとる少し前。『鏡の中の世界』のメイを倒した直後である。
鏡の世界に入った直後に襲ってきた敵、メイのコピーはアウトラインは似ているものの、よくよく見てみれば目じりや首の小じわ、毛穴の汚れなどが酷く、『解像度』の低いものであった。
と、メイは思ったのだが。
『それは間違いなくあなたのコピーよ。普段鏡見ないの?』
鏡の世界の主、ヤニアから投げかけられた無情な一言。
確かにメイは前日、テストの採点を夜遅くまでしていて、寝る時間がだいぶ遅くなっており、コンディションが万全の状態ではなかった。
なかったのだが、しかしあまりにも。
「私、こんな顔だっけ」
そう。年を取るとコンディションの悪化、寝不足や疲労などの影響が出やすく、ふとした時に鏡で自分の顔を見た時にあまりの老けっぷりに「誰やコイツ……」となってしまうことがあるのだ。特に三十代を過ぎると疲労からのリカバリーがきかなくなる。読者の諸氏も経験があることだろう。
……ない? そう。じゃいいや。
「うう、こんなことになっていたなんて……普段鏡で自分の顔なんてマジマジと見る事ないから……化粧するときは眼鏡外してるし」
『うふふふ……大分精神的ダメージを受けているようね』
楽し気なヤニアの声が聞こえてくるが、メイはそれどころではない。まだ膝をついて項垂れたままである。
『種明かしするとね、私の能力は、魔力を持ったものをこの世界に引きずり込んで精神的、または肉体的にダメージを与えることでその者の持つ魔力を吸収する事なの」
結構重要なことを喋っているのだが、しかしメイは相変わらず反応しない。
『あなたは直接引きずり込んだ覚えはないから、誰かからチケットを手に入れたのかしら? まあいいわ。警戒していたよりもずっと与しやすそうな相手ね。それだけダメージを受けているようなら、きっと……あれ?』
それっきりヤニアの声は途切れ、しばらく無音の状態となった。メイは相変わらず膝をついて座り込んだままブツブツと何かつぶやきながら自分の頬を両手で触っている。
『メイ……あなた、ショックを受けたふりしてたり、する?』
脳内に直接響く声。どこに顔を向けたらよいか分からないが、自分に明確に声を掛けられたのでメイはなんとなく上に顔を向ける、が、声は発さない。その無気力な表情はとても演技には見えない。
『おかしいわねぇ……最強の魔法少女だって聞いてたから期待してたのに……ほとんど魔力が吸収されてないわ』
今度はヤニアがぶつぶつと何かつぶやく番である。何かのエラーなのか、メイに精神的ダメージを与えたにもかかわらずほとんど魔力が吸収されていないようである。
「ふぅ~……ッ!!」
大きく息を吐いてからメイはしゃがみこみ、全身の力を振り絞るように立ち上がった。
「私、決めたわ」
『うふふ、ようやく腹が据わったかしら? でもあなたに私をこの世界で見つけ出すことが……』
「これからはテストの採点は生徒自身にやらせるわ」
『は?』
「これは前々から考えていたことなんだけど、生徒達も自分の受けたテストを自分で採点することで問題への理解が深まる。という体で全部生徒にやらせて負担軽減。そもそもなんで残業代も出ないのに仕事持ち帰ってやらなきゃなんないってのよ。わけわかんないわ、ナメやがってあの教える頭め。ブチ犯すわよ」
沈思黙考。
しばしヤニアは黙り、考え込む。
全く会話が成立しない。
おかしい。
メイはどこからか『チケット』を手に入れ、この鏡の中の世界に攻め込んで来たものの、自分のコピーの襲撃を受け、これを撃退したものの、しかしヤニアの居場所の手掛かりになるものはなく、元の世界に戻る術もなく、絶望的状況のはず。
しかし自分の内面的な問題のみに向き合い、ヤニアと対話をする気が全くない。
彼女の目には現実に向き合っていないようにすら思えた。
そしてそれは同時にヤニアの事を『取るに足らない敵』であると認識しているように映ったし、事実そうなのだろう。ヤニアは自分の『強さ』にそれほど自信があるわけでも、誇りを持っているわけでもなかったが、しかしそれでも「相手にされない」のには少し腹が立つ。
そして気になることもいくつかある。
なぜたしかにメイに精神的ダメージを食らわせたのに、魔力を吸い取ることができなかったのか。その疑問と、メイに少しでも一矢報いたい気持ちから、ある答えにたどり着く。
『あなた、もしかして魔力がないんじゃない……?』
「はぁ? 何言ってんの。私は『最強の魔法少女だ』って、さっきあんたが言ったことでしょう」
そうではあるのだが、何かがおかしい。
そして思い返してみれば先ほどのメイの、自分との戦い。肉弾攻撃しかしていなかったように感じられた、というか、完全に魔力などかけらも使っていなかったのだ。
そしてヤニアは前述のように自分の世界に閉じ込めた者の魔力を吸い取って、溜めた魔力を使い、『魔力コスト』を支払って『鏡の中の世界』の構築に使ったり、一度この世界に入れたことのある人間を自分の兵隊として構成することができる能力なのだが。
『そう言えば、あなたのコピーを作った時に消費した魔力が異常に少なかったわね……』
そう、つまりやはり最初に違和感を感じた通り、メイ自身の保有している『魔力』が異常に少ないという推論が成り立つのだ。それも一般人レベルに。
だからこそダメージを与えても得られる魔力量が異様に少なかった。
だからこそコピーの作成コストが異常に少なかった。
『なるほどねぇ……』
「何が『なるほど』なのよ」
しかし予想していたものとは違うものの、状況はそれほどヤニアにとって悪くはない。
なぜならば得られる魔力量が少ないのは置いておくにしても、彼女がこの世界に入ってきたことによって、結果的にはメイのコピーを作るための『メモリ』を得ることができた。
魔力は他の者から調達すれば、製造コストが低い上にアホみたいに強い「兵隊」をいくらでも作れるという事なのだ。
「はぁ……にしても、ショックだわ」
ヤニアが考え込んで喋らなくなってしまったため、必然的にメイは目の前にある鏡を見る。鏡の中の世界にいるせいか、そこに自分の姿は映ってはいなかったが、しかし先ほどのやり取りを思い出してメイは凹み、洗面台に両手をついて項垂れた。
普段のスキンケアの手抜きがこんなところで自分を襲うとは思いもよらなんだ。
ドンドン、と何かを叩く音がする。ヤニアであれば普通に脳内に話しかけてくるはず。不思議に思ってメイが顔を上げると、鏡に映っているのはメイではなくアスカだった。
「あれ? なんで私の部屋の中に白石さんが?」