お父さん
「お父さん……」
街灯に照らされた三人の男女。
「お義父さん?」
何か微妙にニュアンスが違う気がした。
突如としてスケロクとアスカの前に現れたワイシャツに作業着の中年男性。アスカは彼の事を父と呼んだ。
「そ、そちらの方はどちらさんで?」
アスカの父が問いかける。当然の仕儀である。年頃の娘が自分よりも少し年下くらいの中年男性と夜中に出歩いているのだ。彼の頭の中には「援交」や「パパ活」といった不穏な単語が浮かんでいる事であろう。
「この人は……」
そう改めて問われるとアスカも答えづらい。
もちろん正直に「公安です」とは言えないし、「魔法少女関係の人間」とも言えない。そもそも、もちろんだが彼女が「魔法少女」であることは彼女の父は知らないのだ。
「あっ、あ、いや、どうも、その……お義父さん、アスカさんと、ちょっとお付き合いをさせていただいている木村と……」
「ちょっと!!」
アスカの拳がスケロクの脇腹に突き刺さる。
いきなり何を言い出すのか。父も目を丸くして予想だにしていなかった言葉に呆気に取られている。
「いや、なんか……仕事上の『お付き合い』を、ね」
「誤解を受けるような言い方をしないで!!」
酷いテンパり具合である。当然ながら「付き合っている」と言えば「男女の付き合い」だと思うのが普通であるが、今の彼の自己紹介では「意図せずして彼女の父親に鉢合わせしてしまってテンパりながら交際の許可を願う彼氏」のようにしか見えなかったし……
「実際なんか言ってるうちに『あれ? 俺もしかしてアスカちゃんと付き合ってるのかな?』って気分になってきちゃって。そう考えたらもう、なんか頭の中に結婚式で誓いのキスする絵が浮かんできて……」
「わけ分かんないこと言わないで!!」
再びアスカの拳が脇腹をえぐる。知り合いの父親に会ってしまっただけでテンパり過ぎである。これが童貞の経験値の無さというものなのだ。
「その……随分と娘と仲がよさそうですが……」
「いかにも」
「いかにもじゃない!!」
三度アスカの拳がスケロクの胴体を捉える。父親としてはそのやりとりもイチャついているように見える。たまったものではない。
「一体娘とはどういった関係で?」
もはや遠回りに聞いていてもまともな回答は出てこないと考えて直接的な質問に踏み込んできた。
「あ、いや、僕その、公安やってまして」
「それ言っていいの?」
今度はアスカが戦々恐々とする。正直言ってこの数分のやり取りでスケロクは「頼れる大人」から「何やらかすか分からないアホ」に成り下がった。
テンパりすぎて一般人相手に言っちゃいけない情報まで言ってしまうのではないかと心配しているのだ。そもそも公安はその仕事内容から秘匿性が高く、「公安であること」事態を伏せなければいけない事もあるほどである。
「で、ですね? お宅のアスカさんが魔法少女やってまして、その関係で知り合いましてね?」
「魔法少女……?」
訳が分からない、という顔であるし、それも当然である。普通の人間であればこんなこと言われれば「こいつシラフか?」と思うのは当然であるし、なんだったらたとえ酔っていても許されないレベルの妄言である。
(魔法少女……何かの隠語? もしかして最近は『パパ活』って言葉も古くなって若年売春婦のこと『魔法少女』って言うようになったのか? まさかアスカがそんなこと……)
アスカの父の頭の中に可能性のかたまりがぐるぐると渦巻く。
「今追ってる悪の組織の関係で協力してるだけでして、決して怪しいものじゃないんですよ」
怪しさの塊である。
当然ながらアスカの父は訝しげな目を向けるし、人の感情にあまり頓着しないスケロクにもそれは十分見て取れた。
「あ、あの、こういうものでして」
スケロクは慌てて名刺を取り出してアスカの父に渡す。
「あ、これはどうも」
サラリーマンの習性か、アスカの父もそれを受け取り、手早く自分の名刺をスケロクに渡すが……
「ん……これは……」
警察庁公安部 以下秘匿
氏名:秘匿
役職:秘匿
勤務地:秘匿
一番下に携帯電話の番号だけが書かれている。
正直言って森林資源の無駄である。キャバクラで嬢との会話を盛り上げるためだけに作られたのではないかと疑いたくなるほどの無意味な紙切れ。
それを見てアスカの父は動きが止まり、表情が沈む。
スケロクも当然それに気づき、慌てて別の物を取り出した。
「け、警察手帳!」
今度はいきなり警察手帳を取り出して見せた。緩急つけすぎである。しかしアスカの父も警察手帳など初めて見るし、その真贋を判断する能力などないのだが、勢いに押されて信じざるを得ない。
横でアスカは一言も発せずにやり取りを見てるだけである。このやり取り、本当に許可されているものなのかどうか、開示していい情報だったのかどうか。
「その……『魔法少女』とかいうのは……?」
「あ、それは、秘匿! 秘匿事項です!! 守秘義務があるので細かいところは言えません!!」
じゃあ最初っから言うな。やはり言ってはいけない情報だったようだ。何がしたかったのだこの男は。
アスカの父はとりあえずはスケロクの事を(納得いかないながらも)信じたようで、アスカの制服の袖を引っ張ってスケロクから少し離れたところで彼女に話しかける。
「アスカ、付き合う友達は選んだ方が……」
「友達じゃない」
信じたのかどうか微妙なラインである。
「そもそも、なんでこんな時間に出歩いてるんだ」
「それは……」
思わず言葉に詰まってしまう。それこそ言えるはずがないのだ。数学の教科担任が魔法熟女になって鏡の中に閉じ込められてしまったなどと。
「お父さんには関係ないでしょ。普段は無関心なくせにこんな時だけ父親面して」
父の表情は苦悶に歪んだが、しかし言い返しはしない。自分が家庭を顧みない父であるという自覚はあるのだろう。
「俺だって……」
そこまで言って言葉を飲み込んだ。
「俺だって一生懸命やっているんだ」……おそらくはそう言いたかったのであろうか。
だがそれは「大人」が、「親」が、言ってはいけない言葉なのだ。
一人の人間が出来ることなど限られている。それは子供のアスカだって分かっていることだ。
実際彼女がまだ小学校低学年の小さい頃は父親は毎日早く帰ってきていた。しかしそれは「無理やり早く帰っていた」のだという事はアスカもなんとなくは分かっている。
あまり仕事の話を家庭でする人間ではないものの、しかしアスカが身の回りの事を自分でできるようになり、父が遅く帰っても大丈夫なようになるとすぐに彼は課長に昇進して毎日遅く帰るようになったからだ。
甲斐甲斐しく世話をしなければならない時期が過ぎると、今度は将来のために学費を稼がなければならない。
父がその時その時に応じて「やらなければならない事」をこなしている事は知っているのだ。しかし「知って」はいても「納得」は出来ていない。
どれだけ身を粉にして働いていようと、シングルファーザーの苦労があろうとも、それでも、どんな事情があろうとも、アスカにとっては、彼がただ一人の肉親なのだから。
そこには「言い訳」など介在しようがないのだ。