助っ人
マジで時間の無駄であった。
メイのアパートをカギをかけずに後にしたアスカは若干イラつきながら道を歩く。
現在メイは、何者かの攻撃を受けたのか、それとも彼女自身が何かアクションを起こして鏡の中に入ったのかは分からないが、とにかく鏡の中の世界に入ってしまってそこから出られない状況。
そこまではいいのだが、なぜか始まったジェスチャーゲーム大会。苦労して読み解いた割には得られるものはほとんどなく、「部屋の鍵を閉めろ」と指示を出すメイを無視してアスカは日の落ちた晴丘市の町に出た。
「さて、誰か人を呼ぶにしても、誰を呼ぶかな」
いつも一緒にいる仲間と言えば赤塚マリエと青木チカの二人の魔法少女ではあるが、正直言って自分がそうであるように、その二人もあまり頼りにはならない。
ならばメイ以外で魔法少女関係で一番頼りになるのはやはり公安の木村スケロクだ。そう思ってアスカはすぐに彼のマンションの方へ歩きだす。
本当なら携帯電話で連絡を取りたいところであるが生憎と彼女は携帯電話を持っていない。
「おい」
スケロクの家への道を急ぐ途中、暗闇から声がかけられた。立ち止まって振り向く瞬間。振り向く方向へと同時に視界から逃れながら人影が流れる。まるで彼女の振り向くタイミング、方向を全て把握していたかのように。
声をかけた相手の確認もできないままアスカは何者かに背後を取られ、後ろ手に腕を引かれると同時に叫び声も上げる間もなく口を押えられて狭い路地に引き込まれてしまった。
不覚。まさかこんなタイミングで攻撃をされるとは。完全に油断していた。
「しっ……」
一瞬のスキをついて相手の足の甲を踏み潰そうとしたところで、アスカを暗がりに引き込んだ男は顔を見せて人差し指を口の前に当てて彼女が声を上げるのを制した。
(スケロクさん……!?)
敵ではなかった。まさに彼女が今探しに行こうとしていた人物、スケロクその人だったのだ。
緊迫した空気から解放されて「ふう」と息をつくアスカ。そして彼女は「でもコイツロリコンだったよな」と、思い直し、振り上げた足でやはりスケロクの足の甲を踏み潰した。
「んぐッ!?」
声を出せず、そのままうずくまって足を押さえるスケロク。アスカのこの行為自体には正直言ってあまり意味はない。急におどかされたことへの意趣返しである。
スケロクはなんとか痛みを堪えてからスマホを取り出して何か操作してからアスカに見せた。
『メイに何かあったのか?』
確かにそうなのだが何故それを彼が知っているのか。しかしそれより先に何故声を出さないのかが気になり、アスカはスケロクのスマホを取り上げてメモ帳に文字を入力した。
『ありましたけど、それ以前になんで喋れないんですか?』
スケロクの返信を待ちながらふと考える。よくよく考えたらさっきもジェスチャーゲームなんてせずにスマホに文章を打つなりノートに筆談するなりしてメイと応答すればよかったのだ。
「鏡の中にメイが入ってしまった」という異常事態に浮足立ってしまってそこまで考えが及んでいなかった事にアスカは少し反省した。こういう「応用の利かなさ」がメイ達のようなベテランのファイターと自分との違いなのだろうか、と。
まあ、メイもそこには気づいていなかったのではあるが。
『最近マリエに盗聴されてて、こっちの話が筒抜けなんだよ』
スケロクの返信を見てアスカは大きくため息をつく。
「どうでもいいじゃないですかそんなの! 別に盗聴されたって!! そんな事よりメイ先生が鏡の中の世界に閉じ込められちゃったんですよ!!」
「いや、でもさあ、こっちゃプライベートもあるっつーのにずっと盗聴されてるとかちょっと嫌じゃない?」
「『鏡の中』に入っちゃったんですよ? そこにはノーツッコミですか?」
「まあ、なんか異常があったんだろうな、とは気づいてたからな」
「知ってたんですね……もしかしてスケロクさんもメイ先生のアパートに行ってたんですか?」
「いや、ガリメラの歯茎の内側に盗聴器を仕掛けてるんだ。俺はお前ら魔法少女と違って悪魔の探知能力なんてないからな」
「盗聴してんじゃねえか!!」
思わずアスカは持っていた学校のカバンを路上にバシン、と叩きつけた。
「さんざん『盗聴されてるからどうのこうの』言っておきながら自分はちゃっかり盗聴してるじゃないですか!! ふざけんなぁ!!」
「お、落ち着けって。ホラ、俺公安だからサ。それに一応直接メイじゃなくてガリメラを盗聴するあたり遠慮はしてんのよ? あいつ怒らせると怖いからさ……」
微妙な心遣いである。
メイとスケロク。頼りになる大人二人ではあるが、どちらも少しズレている。
「しかし鏡の中か……少し面倒なことになってるみたいだな」
「あっ、でも、閉じ込められたのかどうかはよく分からなくて。もしかしたら自分の方から攻め込んだのかもしれないですけど……」
「ま、とにかくメイのアパートに一回行ってみるか」
そう言ってスケロクはアスカが今来た方向、メイのアパートに向かって歩き出す。アスカもすぐに彼についていこうとするが、しかし振り返ってスケロクがそれを制止した。
「今日はもう遅い。アスカちゃんは家に帰りな。親も心配するだろう」
時間は七時過ぎ。陽が落ちてからもうずいぶんと時間は経つが、しかしアスカはこの非常事態に「家に帰る」などという選択肢は全く考えていなかった。
「協力者は一人でも多い方がいいでしょう? それに……私の事を心配する親なんて、いませんよ」
「……親がいないのか?」
スケロクは一瞬尋ねようか尋ねまいか迷ったが、その言葉を口にした。相手のプライベートにそこまで踏み込んだ発言をしてもいいのかどうか、公安のこの男でも多少は躊躇するのだ。
別に親がいないわけではない。
いつも帰りは遅いものの、父親はいる。仕事にかまけて家庭を……アスカの事を顧みない父ではあるが。
母親は、死に別れたものとばかり思っていたのだが、最近マリエの報告により生きていることが発覚した。
両親は一応健在なのだ。家にはいないだけで。
スケロクもなんとなくは察した。
どうやら物理的にいないのではなく、自分の「心配をしてくれる」親がいないのだろうな、というニュアンスを。
「いいか。お前がどう思ってるかは知らないが、子供の事を心配しない親なんて……」
最初の二言三言話し始めた時点でアスカは不機嫌な顔になった。
「こいつも、他の大人たちと同じなのだ」と。したり顔で説教臭く家族愛を語ってくる大人達。本人の状況をよく知りもせずに。
ましてやこのスケロクは童貞なのだ。この男のどこに家族愛を語る資格があるというのか。家族を持つ見込みも全くないくせに。
「アスカ!!」
その時、彼女に声をかける人物がいた。
七三わけで黒い髪の、いかにもサラリーマンと言った風体の中年男性。ワイシャツとネクタイの上に作業着を着ているところからしてエンジニアか何かだろうか。スケロクは話していた途中の言葉を飲み込んで彼に注目する。
アスカは目を伏せる様にして逸らしながらも顔を男性の方に向けて、小さく口を開いた。
「お父さん……」