タイムリープ
「タイムリープ?」
メイが聞き返す。
タイムリープとは、一般的には過去のある時点にタイムスリップし、その時の自分と入れ替わる事を言う。
「は、はい。私は、さっき持ってた水晶『セーブクリスタル』を砕いた時点に、自分が死ぬか、強く念じることで何度でも戻ることができるんです」
要は失敗したら何度でもセーブした「ある地点」からやり直せるという便利な能力である。
だがやはり腑に落ちない。
何の制限もなく何度でもやり直せるのならば、それこそ成功するまで何度もチャレンジすればよいだけなのである。
それなのになぜ目の前のキムリカは涙を流し、顔を鼻水と涎でくしゃくしゃにして、失禁までして命乞いをしているのだろうか。メイにはどうしてもそれが分からなかった。
「こ、これで……」
恐怖に震えながらキムリカは口を開く。
「これで、百三十八回目の『やり直し』なんです……」
それは流石にキツイ。
「何をやっても、どこをどうしても、何度やり直しても、人質を取ろうとしても、結局殺されるんです」
キツイ。
「ここ十回ほどは、逃げることに専念してたんですけど、それでも全て殺されました……もう、私にいったいどうしろと」
「そんなこと言われてもね」
まさしく「そんなこと言われても」である。事実メイはキムリカを一度も殺していないのだ。まだ。
しかし一方でキムリカの方はというと、もう百三十八回もメイに殺されているのである。メイにとっては初対面の相手でも、キムリカにとってメイは「キムリカ絶対殺すマン」であり、両者の認識の差は如何ともしがたい。
これでようやく合点がいった。クリスタルを割るまでは自信満々だったキムリカが、それを割った後、一瞬で顔面蒼白になって恐怖し、まるで人格が変わったかのようになったわけが。
そりゃあ百三十八回も殺されれば人格が変わるのも頷けるというものである。
要は、RPGとかで元の場所に引き返せないラスボスの手前でセーブしてしまい、逃げることもレベル上げすることもできず「詰んで」しまったような状態なのだ。
「素直に謝って有村さんを返すっていう選択肢はなかったの?」
「当然やろうとしましたよ! でもあの子を解放しようと近づいた瞬間こちらの話も聞かずに一瞬で殺されました。八回ほど。
だから今回はいっその事人質からも離れてどこかでやり過ごそうと思ったのに! なんで人質ほったらかして殺しに来てるんですか! バーサーカーですか!?」
「そんなこと言われてもね」
「もういいです。分かりました。そんなに殺したいなら一思いに殺してください」
キムリカは目を閉じて神に祈るように両手を組む。
「但し、後三十分ほど待ってください。クリスタルを砕いてから一時間で効果が切れます。そんなに殺りたいならセーブクリスタルの効果が切れてから殺ってくれれば私ももうこの地獄から抜けられるんです。せめてそのハンマーで、痛みを感じる間もなく」
「いや別に殺したいわけじゃないのよ」
「え?」
手を組んだままキムリカは右目だけを小さく開けて聞き返した。メイはやれやれといった感じで小さくため息をつく。
「あんたが、これまでにも人を殺したことがなくって、これからは心を入れ替えて悪事を働かないってんなら別に殺さないわ」
「め……メイ様!!」
キムリカがロッカーから這い出てきてメイに縋りつこうとしたのでメイはバックステップでそれをよける。
「触るな尿漏れ」
「わたし……私もうきっぱりと足を洗いますから!! 生まれ変わったかのように真面目に生きますから!!」
百三十八回も生まれ変わっている。
「なんだったらメイ様に協力もします。私の事を信じてください!!」
「わ、分かった!! 分かったから近づくな!!」
メイはさらに間合いを取り、こほんと小さく咳払いをした。
「あんたに戦闘の意志も逃走の意志も無いなら、私は殺すつもりはないわ。但し嘘をついたらたとえロッカーに隠れていようが必ず見つけ出して殺すけど」
説得力のある言葉である。
「よ、よかった……なら、今すぐ人質を解放しに……」
「待て」
部屋の外に移動しようとしたキムリカの鼻先にスレッジハンマーのヘッドが向けられる。
「あんたの能力、もう一つあるはずでしょう……ドッペルゲンガーがどうとかいう奴」
当然ながら。
メイは相手が投降の意志を見せても油断したりはしないのだ。降参した相手が油断を誘っておいて裏切る、などと言うのは悪党の常套手段である。
そもそもメイは普段なら相手の話など聞かずに問答無用で殺害するのであるが、キムリカに対してそうしなかったのはひとえに「セーブクリスタル」のせいで殺してしまえば全て元の木阿弥になってしまうからに他ならない。
要は……
「いつでも殺せるって事を忘れないでね」
キムリカを見据える、冷酷な目。
真っ暗な闇夜を二十年間駆け抜けてきた、戦士の目である。
「せ……説明する。説明するからハンマーを下ろして」
キムリカが震える声でそう言うとメイは、彼女から視線は外さないがハンマーは下ろした。
「単純な物よ。いつでも好きな時にドッペルゲンガーを一人だけ出せるっていうだけの。基本的には私と目的を同じにしてるし、口頭で命令を聞かせられるけど、自由に操れるわけじゃないし、出すのは自由に出来ても引っ込めるのは向こうの同意が必要になるし」
どうやらそう便利に使えるものでもないようである。しかしメイも肌で感じているが、これまで戦ってきた悪魔は見かけが通常の人間と同じでも戦ってみると異常な身体能力を発揮することが多い。魔法少女がそうであるように。
それを戦闘中に自由に出されたりしたら相当厄介なようにも感じられるのだが、しかし実際にキムリカはその能力をもってしても百三十八回もメイに殺されているのだ。
「出してみなさいよ。そのドッペルゲンガー」
それでもまだメイは油断しない。ハンマーは下ろしているが、全身の力を程よく弛緩させ、膝を軽く曲げて、何かあれば即座に行動に移れる構えである。
その雰囲気を察しているからこそキムリカの額に冷や汗が滲む。
「じ、実は……」
希望の色が見え始めていたキムリカの顔に狼狽の様子が見て取れる。
「もう、出しているんです」
どういうことなのか。メイはキムリカから視線を外さないものの、周囲の気配に警戒する。
「その、上手くいけば私の身代わりになるかと思って。この階に来た時にドッペルゲンガーを出したんです」
「どういうこと。ここに来る途中そんなの見なかったわよ」
「私が、そのドッペルゲンガーなんです。会わなかったんなら、本物はきっと、三階の人質のところに……」