ちぢれ毛
「まずいことになったニャ」
教室の中にある机の上の空間が一瞬黒くなったような錯覚にとらわれ、いや、それは錯覚ではなかったのかもしれないが、その空間からキリエの飼い猫であり、かつて彼女が魔法少女だった時のマスコットを勤めていた黒猫のフェリアが現れた。
「まずいことって何が起こったのよ。まさか有村さんが攫われたとでもいうつもり?」
「なんで知ってるニャ」
早い。
あまりにも早すぎる。
ほんのついさっき教室を出て行ったばかりなのに。
今まさにその有村ユキが狙われているという話をしたばかりなのに。
気付いた時にはもう攫われている。
メイは急いでスマホを取り出して何やらタップを始める。後ろからアスカが背伸びをして覗き込むと、どうやらLI〇Eで誰かと会話をしているようだった。
『有村さん攫われたらしいんだけど。返せこの短小』
『知りません』
『知らねーことねーだろ、お前がホモなのみんなにバラすぞ』
『別に隠してませんので。あと、ホモではなくバイです』
どうやら山田アキラ教諭に直球で話を持って行っているようだ。
この女はとにかく行動が早い。しかし「ホモ」ネタを材料にゆするのはどうなのだろうか。さきほど全員にバラしてしまったばかりのネタを。
「向こうは知らぬ存ぜぬですか……」
「チッ、知らねーわけねーだろっつーのに」
舌打ちをしてマリエは自身のスマホを取り出してチャットアプリを起動する。
「スケロクさんに連絡する。きっと助けになってくれるはず!」
どうやら彼女は彼女でLI〇Eを立ち上げてスケロクに連絡を取るつもりのようだ。
『スケロクさん、今何してます?』
『返事は? スケロクさん?』
『スケロクさんいっつも思いますけど返信が遅いですよね。普通女の子からLI〇E貰ったら一分以内に返信するのが常識だと思いますけど? もしかして私の事都合のいい女って思ってます?そうこうしてるうちに最初のメッセージからもう6分も経ってますけど? 喧嘩売ってます?』
『今日は自宅でテレワークしてるってのは分かってるんですよ。メッセージに気付かないはずがないんです。はは~ん、さてはアレか。私の反応を見て楽しんでるのか』
『もういい。ぶっころす』
どうやら上手くいかなかったようだ。
「すいません、メイ先生、私用事を思い出したんでちょっとぶっ殺しにいってきます」
「え? ちょっ」
止める間もなくマリエは教室を出てどこかへ行ってしまった。
「ん~……」
メイは腕組みをして考え込む。スケロクを呼んで戦力を増強しようとしたが、逆にマリエがいなくなって戦力ダウン。さて、どう組み立てるか。
「フェリア、有村さんの居場所は分かるの?」
「分かるニャ。少し離れた場所で前みたいに監禁されてるみたいニャ」
「さっきの瞬間移動みたいなの、初めて見るんだけど、それで有村さんを助け出せないの?」
メイの目つきが鋭くなる。
それが出来れば話は早い。問題はすべて解決なのだが、当然ながらそうは問屋が卸さない。
「残念ながら、さっきのは体が実際に移動してるわけじゃないニャ。今のボクは思念体。体は家にいて、意識だけを送ってるだけニャ。
でも、ユキの近くに移動して励ましてあげることくらいなら出来るニャ」
「それでいいわ、フェリア。せめてユキ君を元気づけてあげて。『お母さんが必ず助けに行くから』って。
それと、何か異常があったら私に知らせて頂戴」
「猫使いが荒いニャ」
そう言ってフェリアは顔を洗い始める。思念体なら顔を洗う必要などないように思えるのだが、これは彼の心理状態でも表しているのだろうか。
「問題はアキラの方ね……」
そう言ってメイは視線をふらふらと天井に彷徨わせる。人は考え事をするとき、視覚情報をなるべく減らして思考に集中するために何もない天井や壁を見つめる傾向がある。
少ししてメイは残っている魔法少女、アスカとチカに視線をやる。
メイ本人は当然ユキを助けに行くつもりなのだが、その間本当にアキラが何のアクションもとらないのか。そこを彼女は知りたいのだ。つまり誰か最低でも一人はアキラにつけたい。だが、正直言ってこの二人の少女では手に余る相手でもある。
スケロクが居ればその問題は解消されたのだが。
「キリエ……あなたに、山田アキラを見張っててほしいんだけど……」
苦渋の選択。
元魔法少女ではあるが、彼女は今は一般人である。
とはいえ、一般人になったからといって魔法少女の頃と何か変わったわけではないのだ。今も昔と同じように『変身』も、戦闘も、出来る筈なのである。
ならば、二人に任せるよりは、経験豊富なキリエに任せる方が、まだ安全。
「それに、キリエなら失敗して死んでも、あんまり罪悪感湧かないしね」
「本音が出てるわよこの行き遅れ」
怒りの感情をぶつけるキリエではあるが、しかしメイの考えていることはなんとなくわかるし、何より自分が彼女の立場なら同じ選択をするだろうという事も、分かる。その上で、彼女は提案をする。
「よし。だったら私が直接その山田先生を尋問するわ」
「え!?」
アスカとチカは驚きの声を上げる。
「うふふ、私の『魔法少女の力』、見せてあげるわ」
自信満々な笑みを見せて教室を出て行き、一直線に職員室に向かっていくキリエ。
メイ達三人は不安そうな表情をしながらもついていくことしかできない。
「山田先生、ちょっとよろしいかしら?」
キリエの声に少し不審な表情をしながらも、山田アキラ教諭が立ち上がる。
「有村君のお母さんですね。どうか致しましたか?」
白々しい。
もし仮に今回の件にこの男が絡んでいなかったとしても、この男は知っている筈なのだ。有村親子の事を。今回の件だけでなく、狼女のロディも有村親子を味方に引き込もうとしており、そしてこの山田アキラこそが屈筋団のスカウトとして活躍している張本人なのだから。
しかしそんなことを考えているメイ達をしり目に、キリエは山田アキラ教諭の手を引いて廊下をズンズンと歩いていく。
「あの……有村さん? なにを」
「あなたに少し聞きたいことがあるのよ」
そう言いながらキリエはアキラの手を引き、職員用のトイレの中に入って行ってしまった。
「え……?」
メイ達は思わずトイレの前で立ち止まる。
いったい何のつもりなのか分からない。
確かに彼女は「尋問する」と言っていた。
という事はつまりどこかの空き教室かどこかでアキラを拘束して拷問でもするのかと思っていたのだが、しかしキリエはメイ達三人を置いて、トイレの個室に入ってしまった。
少しして、その個室から異様な音が聞こえた。
ジュコッ、ジュココココッ!! ジュポッ、ジュポッ、ブヂュルルルルルジュポッ!!
「え……なんの、音……」
異様な音の後に、男性の叫び声が聞こえる。
「んほおおぉぉぉ♡ らめえええええええぇぇぇぇぇ♡♡♡」
そして静寂。
カラカラカラ……
ガコンッ
ジャアアァァァ……
ぎぃ、ときしむ音を響かせて個室のドアが開いた。
キリエが、ハンカチで口元を拭きながら出てくる。
「んっ、うんっ。んんっ」
執拗に咳払いをしてから、静かに声を発した。
「何も知らなかったわ」
チカとアスカは呆けた表情でキリエを見上げる。
「キリエ……」
その異様な雰囲気の中、言葉を発せるのは、メイだけだった。
「歯にちぢれ毛が挟まってるわよ」