Fxxk!
春。
それは出会いの季節。
周辺に比べて気温が高いため既に桜は散ってしまっているのだが、ここ、聖一色中学校にも春が来る。
四月になり、アスカ達は二年生へと上がり、そして新しくこの学校に入学してくる生徒もいる。
「葛葉先生、葛葉先生、大丈夫ですか?」
その日、メイは死体のような青い顔で、その足取りもふらふらと覚束ない様子であった。普段から二日酔いでふらふらしていることもあるので、それほどには珍しいことではなかったが、しかしこれはいつもより程度が酷いぞ、と教頭が声をかけたのだった。
「ああ……教える頭、何か用ですか」
「教頭です。葛葉先生、頭の中で私の事そんな呼び方してたんですか」
先制攻撃をしたのに機先を制されて、教頭はこほん、と小さく咳払いをする。
「ま、いいですが、随分体調が悪そうですけど、大丈夫ですか?」
この日の朝一にあった入学式の時からずっとである。目の焦点は定まらず、口は半開きの状態。これでは「心配するな」という方が無理がある。
「大丈夫です。精神的なものですから」
メイは事も無げにそう言って眼鏡のブリッジを押し上げた。その行為がスイッチになっているのか、彼女はもう本当に何事もなかったかのような顔をしていた。
「そうですか……それならいいですが、ところで『あの話』の事は考えてくれましたか?」
「あの話……愛人になれっていう……」
「そんな話はしてません。田中先生の産休の話です」
「田中先生産休取るんですか!?」
これは本格的にだめかもしれない。そう思いながらも教頭は話を進める。何しろ本人が「大丈夫」だと言ってるのだから。
「朝も言ったばかりだと思うんですが……まあいいです。それでですね、バレー部の顧問が居なくなってしまうんで葛葉先生にお願いしたいっていう話なんですが」
「え? でも私バレーなんてやったことないですし……クラシックも聞かないので」
「バレーボール部です。うちの学校バレエ部なんてないですよね? それすら把握してないんですか」
自分の興味のないことはなるべく視界の外に置いて生きてきた女である。教頭は頭を抱える。「本当にこのまま話を進めていいのか」とも思ったが、しかし学校の決まりがあり、話さないわけにはいかない。
「あのですね、うちの学校の教師は原則的にみんな何かしらの部活の顧問をやってもらうことになってるんですよ。慣習的に」
「そうなんですか?」
白々しい。さすがに知らない筈はないのだが。
「今まで強硬に固辞してきたので何か理由があるのかとなあなあにしてきましたが、これ以上誤魔化しが効かないんですよ。何とか田中先生の産休の間だけでも、顧問をやってくれませんかね」
「そうですか……」
メイは腕を組んで少し考え込む。
メイは見た通りかなりの高身長であるし、体格にも恵まれている。元々何か運動系の部活の顧問をして欲しいという声は出ていたのだ。
「イヤだからお断りします」
唖然とする教頭を置いて、メイはコツコツと廊下を歩き去っていく。一瞬遅れて我に返った教頭は逃がすまいと彼女の前に回り込んだ。
「ちょ、ちょっと葛葉先生! 困りますよ、慣習で決まってることなんですから! それになんか理由があるならともかく『イヤだから』なんて通りませんよ!!」
「でもイヤなんです」
進路をふさがれたメイはやぶ蚊でも払うかのように教頭を押しのけて廊下を歩き続ける。可哀そうに、身長百六十センチほどの教頭は簡単に弾かれて廊下の壁に体を打ち付けた。
「ぐ……葛葉先生」
壁に叩きつけられた教頭は力を振り絞って立ち上がる。
完全に暴力行為ではあるが、しかし葛葉メイはそれでも女性である。軽く振り払っただけの女性に対して暴力行為を問うという行為は男のプライドが許さなかったのかもしれない。
「わ、分かりました。顧問の件はいいです……それより、田中先生への出産祝い、まだ出してないの葛葉先生だけですよ!」
既に教頭を「いないもの」として歩き出していたメイが立ち止まる。
「……まだ出産してないでしょう」
「近いうちにするんですよ! 五千円でいいですから!!」
「流産するかもしれないじゃないですか」
不吉なことをサラッと言う。
「みんなもう出してるんですよ! 往生際の悪い! 出すもん出してスッキリせえや!!」
さすがの教頭もいい加減我慢の限界のようである。しかしメイの答えは……
「お断りします」
「なんでや!!」
メイはようやく教頭の方に振り返って恐ろしく冷たい目つきで言葉を放つ。
「いいですか? 教頭先生。出産するという事は、中出しF××kをキメた、という事です。なんですかこれ? 気持ちよかった上にお金まで取るんですか。私が中出ししたんじゃないのに」
「あんた神聖な学び舎でなんてこと言うんだ!!」
「その神聖な学び舎で中出しF××kを祝う金を払えと言ってるのは誰ですか」
教頭が思わず唸る。言い負かされたからではない。メイのあまりにあんまりな言い様に怒っているのだ。
「田中先生はまだ出産していない……という事はやはり中出しF××k祝いというのが正しいでしょう。名目を『中出しF××k祝い金』と改めるなら喜んで出すもん出しましょう。たっぷり中に出してあげますよ」
言い終えるとメイはコツコツと足音をならせて再び廊下を歩き始める。
「ああ分かったよ!! 強制じゃないですからね! でも他の先生方にはちゃんと言いますからね! 『葛葉先生だけ拒否した』って!!」
「ご自由にどうぞ」
メイは一瞥することなく歩き続ける。
その背中を遠くで見守る三人の影があった。
「つ、強い……」
「メイ先生相変わらずキレッキレね」
「…………」
アスカ達三人である。チカはあまりの下品なやり取りに言葉を発することすらできず耳まで真っ赤にしている。
別に出世も望んでいない。
職場の人間関係など屁ほどにも思っていない。彼女だからこそできる振る舞いであった。
「はぁ……」
そんなメイはようやく教室に到着して大きくため息をついた。
実のところ、彼女にはここ数日気に病んでいることがあり、それどころではなかったのだ。
今年、出産を控える田中先生の代わりにメイが受け持つことになった新一年生のクラス。つい先ほど入学式を終えたばかりで初々しい十二歳の子供達。
そんな子供達と担任の初顔合わせである。
メイは出席簿を開いて、そして一番最初に書いてある名前を見てまた大きくため息をついた。
しかし職務は遂行しなければならない。
「ええと……有村ユキさん」
「ハイ!」
まだ声変わりしていない、元気のいい返事が聞こえる。
手を上げて立ち上がったのは、セーラー服を着た、可愛らしい少女であった。