あの頃お前は天使だった
「あのマリエって子さ……どうにかなんない?」
馴染みのバー。
バーボンのグラスを傾けたスケロクは柄にもなく随分と疲れた様子であった。
「赤塚さん? どうにかって……なんかあったの? 落としたいってこと?」
「逆だ」
メイはいつものようにアルコールのきついカクテルを飲んでいる。
互いにあまり友達のいない二人。互いに絶対に恋愛対象にはならないという安心感からなのか、いつの間にか不定期にバーで飲みながら愚痴を言い合う飲み友達のような感じになっていた。
しかし逆、とはどういうことなのか。メイは訝しげな眼でスケロクを見る。
スケロクがロリコンとしてのスケベ心丸出しでマリエとどうにかなりたいから協力しろというのなら、分かる。しかし彼は「逆だ」と言った。
「ストーキングされてる」
「はぁ?」
メイは考え込み、マリエの事を思い出そうとする。そんなことをするような子だったか? しかし、何も思い出せなかった。正直言って彼女は教師を「ビジネス」としてしか考えていない。だからはっきり言って生徒とも「ビジネスライク」な関係である。
それ以前に彼女、赤塚マリエは教科担任ではあるものの、あまり接点がない。しかし彼女が見る限り割とドライで皮肉屋、大人を敵視している厄介な子供、という印象だったが、その子がストーキングを?
「考えすぎじゃないの? 統合失調症?」
すると、スケロクはスマホを取り出してLI〇Eの画面を見せる。
『スケロクさん今日は遅くなるんですか?』
『何時頃帰ります? カレー作って待ってます』
『何時に帰るんですか? 早く返事しろ』
『メイ先生と飲み会ですか。浮気したら殺すぞ』
スケロクからの返信はなく、一方的にマリエが話しかけているようだ。しかもなぜかメイとバーに行くこともバレている。
しかしそれでも分からないところがある。『カレー作って待っている』とはどういうことか。どこで待っているのか。
「おそらく、俺の部屋の中からLI〇Eしてる」
「は? なんで? 合鍵あげちゃったの?」
「盗まれたんだよ! 鍵変えてもいつの間にか合鍵作ってるし!」
「んなアホな……あんたのマンション、セキュリティどうなってんのよ」
「どうやら魔法少女にとってはあの程度のセキュリティ、忍び込む障害にはならんらしい」
「頭おかしいわね、あの子……」
そのとき「しゅぽっ」と音がして新しいメッセージが表示された。
『誰が頭おかしいだとこのババア』
「ひっ!?」
メイは驚いて頭を左右に振って辺りを確認する。リアルタイムで、監視されているのだ。スケロクは彼女の態度にも、リアルタイムの監視報告にも驚くことなく小さな声でぼそぼそと喋った。
「どうやら、盗聴されてるらしい」
「公安相手に盗聴するとか怖いもの無しね」
しかし所詮はメイにとっては他人事。ふっと鼻で笑ってカクテルで唇を湿らせ、スマホをスケロクに返した。
「ロリコンのあんたにはちょうどいいじゃない。こんな機会なかなか無いわよ? 童貞捨てるチャンスね」
しゅぽっ
『なかなかいいこと言うじゃないババア』
リアルタイムで会話に参加しないで欲しい。
「あのなあ、俺にだって選ぶ権利があるんだ。年下なら何でもいいわけじゃねえぞ。
それにな、説明するのが面倒だから自分でも『ロリコン』っつってるが、俺は別にロリコンじゃねえ。年上好きだった時期だってあるんだぜ」
「へぇ、初耳ね。純粋培養のロリコンだと思ってたわ。いつ頃の話なの?」
「十歳くらいの頃だな。十二歳くらいの年上のおねーさんが好みだった」
「ブレない男ね……」
要は、恋愛対象の年齢が物心ついてから全く変わっていないのだ。
「まあ、なかなかできない経験だし付き合ってみれば? ぶっちゃけ私今それどころじゃなくって構ってる余裕なんてないのよね」
そう言ってメイは笑顔で自分のスマホを取り出す。ニヤニヤしながら操作をする様はなかなかに気持ちが悪い。
スケロクが「堀田先生か?」と聞くが、メイはスマホの操作に夢中で問いかけには答えなかった。代わりに聞いてもいないのに近況報告を始める。
「あれから一回デートもしたんだけどさ、いやあ、ホントにいい人紹介してくれたわ。ありがとね、スケロク」
スケロクは相変わらず疲れた顔でバーボンを口内に注ぎ込む。メイは隠しようもないくらいの上機嫌である。
「こないだは映画に行ってその後サイ〇リヤで食事したんだけどさ、本当ああいうのって『どこに行くか』よりも『誰と行くか』が一番重要なのよね。それに気づかないバカ女の可哀そうな事可哀そうな事」
「サイ〇リヤは問題外」ではなかったのか。つくづく現金な女である。
「なんか、複雑な気分だなあ」
猫背になって、覇気のない表情でスケロクがそう言った。
「幼馴染みのお前が、俺の紹介した男と付き合ってるなんてな……」
「なにが複雑なのよ。幼馴染みなんだから祝福しなさいよ」
スケロクは大きくため息をつき、バーボンを飲んでから背もたれに寄りかかった。
「実を言うとよ」
物寂しげな眼で、スケロクはゆっくりと話す。
「俺、昔お前のことが好きだったんだぜ」
「な……」
しゅぽっ
『なんだと』
だからリアルタイムで会話に参加するな。
「なっ、何言いだすのよ急に!? わ、わたし……ええ!? あんたが、私を!?」
ぐびりとカクテルを多量に口に含んで、一気にメイはそれを嚥下する。あちらこちらに視線をせわしなく振り回して、途端に髪をいじり始めた。
「ほ、ホント何言いだすのよ……い、いつ……ちなみにいつ頃の話なの」
「十二歳ころの話だな」
「ホントブレないわねこのクソロリコン野郎が」
先ほどまでの取り乱しようが嘘かのようにメイの目が据わった。
「あの頃のお前は……ホント天使だった……」
「やっぱりあんたロリなら誰でもいいんじゃないの」
しゅぽっ
『何いい雰囲気になろうとしてるんですか。浮気ですか』
これのどこが『いい雰囲気』なのか。これが音声盗聴の限界なのか。スケロクは小さくため息をついてスマホの画面を確認する。
しゅぽっ
『あと十分で店を出ないと浮気とみなす。あと返信しろ』
しゅぽっ
『もういい。ぶっ殺す』
「俺の部屋から……殺害予告が届くわ」
「あんた他に相談できる友達とかいないの?」
「うるせーな。お前の方こそ他にこういう惚気話出来る友達いねーのかよ」
二人は考え込み、そしてほぼ同時に酒を口に含んでから、問いかけに同時に答えた。
「お前しかいねえなあ……」
「あんたしかいないわね……」