あの頃はこんな目をしていただろうか
「私ね、魔法少女やめようと思うの」
親友の思わぬ告白にメイは愕然とし、口をつけようとしていたカップを落としそうになり、慌ててソーサーの上に置いた。
なんとなく嫌な予感はしていた。久しぶりのキリエからのプライベートでの呼び出し。高校も卒業して別々の道を歩き始めた二人は会う機会も減ってきており、魔法少女としての活動の時以外は話すことも稀であった。
その元親友から「大切な話がある」と晴丘市の少しお洒落なカフェに呼び出されたのだ。メイは嫌な予感しかしていなかった。
もしこれが男女関係であればまず間違いなく「別れ話」だろうというシチュエーション。
魔法少女であってもなんとなくそんな予感はしていた。
要はコンビ解散である。
「やめるって……魔法少女を!?」
「そう言ったでしょ」
「ま……マジで?」
半笑いの表情のメイの声は震えている。
嘘であってくれ、冗談であってくれ。悪い夢であってくれ。いやむしろ、「魔法少女」であることの方が悪い夢であってくれ。
「マジよ」
しかしキリエの回答は無情な物だった。メイは思わず立ち上がってキリエの襟首を締め上げる。
「ちょっと、本気で言ってるの? 魔法少女やめるって、魔法少女じゃなくなるってことだよ!?」
「本……気……ちょっ、ギブ……」
パンパンとキリエがメイの腕を二回タップしてようやく彼女は解放された。
「ゴホッ、ゴホ……私だってね、色々あるのよ。魔法少女も、もう卒業かなって……」
「卒業って、意味分かんないよ!!
私達が魔法少女やめたって悪魔がいなくなるわけじゃないんだよ!? 困ってる人たちがいなくなるわけじゃないのよ!?」
「魔法少女をやめる」ということは、物語の終わりを意味しない。少なくともメイにとってはそうであったが、しかしキリエには違ったのだ。
あまりデカい声で「魔法少女」と言ってほしくないキリエはちらりと周りを確認してから小さい声でゆっくりと話し始める。
「私ね……結婚するの」
「ひっ……」
メイは思わず小さな悲鳴を上げてドスンと椅子に着席する。
「け……結婚って、男の人と一緒に暮らしたり、子供作ったり、裸エプロンしたりする、あの結婚!?」
「そう、その結婚。
他にどんな結婚があるのか私知らないけど。あと裸エプロンもしないけど」
目の前が真っ暗になる思いだった。
大学デビューにも失敗し、相変わらず便所飯生活のメイにとっては全く想像もつかない話であった。いつの間にか、親友はそんな遠いところまで行ってしまっていたのだ。
「結婚て……ええええ、マジで……裸エプロンもなし……私は、どうすれば……」
ぐらりと体が揺れ、椅子からずり落ちそうになるのをかろうじて堪える。
「ちょ、ちょっと、早すぎなんじゃ……もっと、よく考えてから……私達まだ十九なのに」
「実を言うとね……できちゃったの」
「ほげぇ!?」
予想していなかった告白に思わずのけ反るメイ。
「中出し婚!!」
「オブラートに包んで」
メイの手がぷるぷると小刻みに震える。
「それにね……」
しかしキリエの攻撃はそれで終わらなかった。
「私達もういい加減、魔法少女って歳でもないでしょう。十九にもなって」
とどめであった。
その後の事はあまり覚えていない。
気が付いたら既にキリエの姿はなく、彼女の分の会計だけがテーブルに置かれていた。
――――――――――――――――
「はぁ……」
ことり、とメイはスト□ングゼロの缶をちゃぶ台の上に置いてため息をついた。
「好き放題言いやがって」
まさか再会することになるとは。
年齢からすればおそらく彼女の連れていた子供……ユキといったか、あれはその時お腹の中にいた子供だろう。
自分を魔法少女の世界に誘っておきながら、あっさりとそのまま置き去りにした幼馴染み。その幼馴染みをまさか市民として助けることになるとは。しかも子供とセットで。
「私だって好きでこんなことやってるんじゃねーっての」
独り言ちて、また酒を一口飲む。彼女の言葉に応える者は誰もいない。ガリメラはもう部屋の隅ですやすやと寝息を立てている。
「好きでやってるんじゃ……」
― なんで
考えてはいけないような気がしても、その思いを留め得ることは出来ない。
― なんで 私 こんなことやってるんだろう
― 誰に感謝されるわけでもなし
火照った瞼を閉じ、ゆっくりと顔を天井に向ける。
思い出されるのはつい先ほど、熱い抱擁を交わしていた母子。
― 結婚して 子供作って……
― あんな未来が 私にもあったのかな
― 普通に生活して
― 普通に恋愛して
― 普通に結婚して
― 普通に子育てして
「普通というものが、こんなにも難しいものだったとは……」
瞼を開いたメイは、酒を口に含んで、ゆっくりと嚥下してから、また顔を上に向ける。
今度は物思いにふけるためではない。涙をこぼさないようにするためである。
その時、コンコン、と彼女の部屋のドアが叩かれた。チャイムはいつからなのか分からないが壊れているようで、一度も鳴ったことはない。
「ちっ、誰だ? こんな時間に」
メイは涙にぬれた眼を手でぐしぐしと拭き、若干ふらつく足で立ち上がる。
時間はもうなんだかんだで日付を跨いだころである。こんな時間に訪問者など、尋常な事態ではないが、絶対的強者であるメイは臆することなくアパートのドアを開ける。
吹き込む冷たい風に少ししゃっきりとする意識。
アパートのドアの前にいたのは、紅顔の美少年。
「あ……あなた、確かさっきの」
寒そうに背筋をピシッとして立っているのは、キリエの息子、ユキであった。
「あ、あの……」
恥ずかしそうにもじもじとして、なかなかうまくしゃべる事の出来ないユキ。メイは彼の頭越しにキリエの姿を探す。さすがにあんなことがあった直後、彼が一人で出歩いているとは考えづらい。
どこかに隠れているのだろうか。だとしたら何故? 一人で伝えたいことがあったという事だろうか。
少女と見紛うような可憐な少年はぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい! さっき……助けてもらったのに、お礼も言えなくって」
まさか謝罪の言葉が聞けるとは思っていなかった。
いつも悪魔を倒すと決めの口上もなく、さっとその場を立ち去ってしまうメイ。自分が助けた人間と会話をするなど、彼女にとって初めての経験であった。
「ふっ、別にいいのよ。当然のことをしただけよ」
「それじゃあ僕の気が済まないんです! お母さんは『気まずいから』って一緒には来てくれなかったですけど……」
正直に言うとメイもその方が助かった。この上さらに仲のいい親子の姿など見せられたら精神がもたない。
「メイさんは、強くて、格好良くて……助けて貰えなかったら、今頃どうなってたか」
真っすぐな目でメイを見つめてくる。
その姿に彼女の顔には柔らかい笑みが浮かんでいた。
そうだ。
二十年前、魔法少女になったばかりの頃、きっと自分もこんな目をしていたのだ。
「改めてお礼を言わせてください」
そう言ってユキはまたぺこりと頭を下げた。
「ありがとう、おばさん!!」