過去
「はぁ……どっと疲れたわ」
家に辿り着いたメイは明らかにサイズの合っていないセーラー服を破かないように四苦八苦しながらやっとの思いで脱ぎ捨て、全裸になるとユニットバスに入っていった。
「まだイケるわよね、私……」
ユニットバスの浴室に設えてある少し大きめの鏡に自分の体を映し、両手で軽く胸を持ち上げてみる。
平均的な女性と比べても明らかに大きいその豊満な胸は、年齢にしてはハリもあり、非常に良い形をしている。
しかし手を放すとぶるん、と重力に逆らえずにだらしなく垂れさがってしまう。
力無く両側に泣き別れになってしまう両乳。
昔はこうではなかったはず。もっと上向きで、手や下着で支えていなくとも、綺麗な谷間を形成していたはず。
若作りはしていても、時の流れには逆らえないのか。
「色も……昔はもっとこう……ピンク色だった気がするのになあ」
そこまで綺麗だったかどうかは分からないが、メイは昔の自分の姿に思いを馳せる。当然写真などは残してはいないのだが、やはり今の自分に比べれば、昔の体はもっと地球の重力に逆らう反抗心を備えていたように感じられてならなかった。
いつもならシャワーを浴びる前に、ジムに通うなり、それも億劫な時は自宅でケトルベルなど使って筋トレを欠かさないメイであったが、今日は色々なことがあり過ぎた。さすがにこれ以上体をいじめる気になれなかった彼女は、自分の体との対話を諦め、シャワーを手早く浴びた。
はっきりと言えば同年代どころか年若い女性と比べても魅力的な筋肉と、それを覆う女性らしい脂肪を纏った、美貌に満ち溢れている彼女であったが、しかしそれでも加齢による衰えは彼女の心をむしばんでいた。
髪を乾かしたメイは冷蔵庫から取り出したスト□ングゼロをちゃぶ台の上に置いてプシッと飲み口を開ける。
一口ごとに意識は鈍り、明日への不安をふやけさせていく。しかしそれと同時に過去の思い出が鮮明に甦ってきた。
それを思い出させる出来事が今日の彼女にはあったのだ。
「まさか、あんなところでキリエに会うなんてね」
つまみのビーフジャーキーを噛み締め、スト□ングゼロを流し込む。レモンの爽やかさと、喉を焼くようなアルコールがメイを慰める。
「そもそも……あんたが誘ったから私が魔法少女なんてやる羽目になったっていうのに」
思わず力が入ってしまい、缶がベコリと凹む。メイは目を瞑って、過去に思いを馳せる。
二十年前、まだキラキラと輝いていたころの自分へと。
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「メイちゃん、私ね、不思議な猫を見つけたの」
葛葉メイと井田キリエは、幼稚園の頃からの幼馴染みであった。余談ではあるが木村スケロクもそうである。
ともかく、いつも夢見がちでふわふわととらえどころのないキリエの言葉を、リアリストのメイはいつも通り話半分に聞いていた。
一見水と油のように性格の合わない二人が仲が良かったのは、ひとえに冷静に現実を見つめてしまうメイが、キリエの自由な発想に憧れにも近い気持ちを持っていたからに他ならない。
しかしその日のキリエの言う事はいつもと少し違っていた。
夢見がちと言っても十二歳の少女である。いつもは空想の話はそれと分かるように話していたのだが、その話は妙に具体的で、そして彼女自身「現実の事」として言い切っていたからだ。
「不思議な猫?」
「うん。人間の言葉をしゃべるの」
メイは思わず目を見開いた。いくら何でも現実離れが過ぎる。しかし彼女はイマジナリーフレンドを作って、夢と現の区別がつかなくなるような類いの人物ではない事はメイもよく知っている。
「それでね、その猫、フェリアって言うんだけどね。『魔法少女にならないか』って誘われたのよ」
しかしいくら何でも酷い。さすがのメイも「アニメの見過ぎじゃないの」と言いそうになったが、しかし彼女の真剣な表情に言葉を飲み込んだ。
「メイちゃんも一緒に行こうよ! 一人だと怖いし……それにね」
表情の乏しいメイにとって、キリエの太陽のような笑顔は殆ど抗い難いほどの魔力を秘めていた。
「もし悪者と戦うことになっても、メイちゃんと一緒なら安心だもん!」
そんなことはあるはずがない。
あるはずがないのだが、だからこそメイは心惹かれた。
何も無いなら無いで、少年少女の頃の淡い冒険譚でいい思い出になる。
何かあるなら、確かにキリエを一人で行かせるには不安だったからだ。メイは小さい頃から空手を習っており、普通の大人なら相手にならないほどの技前の持ち主であった。
少しずつ日も傾いてきた夕方、キリエに連れてこられたのはどこかの企業の資材置き場のようであった。「勝手に入ってもいいものか」と逡巡したが、キリエはずんずんと奥に入っていく。
(まあいいか。もし怒られても、子供相手に警察なんて呼ばないだろうし)
「フェリア~、フェリアちゃ~ん」
しばらくキリエが猫の名前を呼んでいると、ちりん、と鈴の音がして、黒い仔猫が姿を現した。
鮮やかなその青い目は、キリエの発言に現実味を帯びさせるような不思議な魔力と、知性を秘めているように感じられた。
「よく来たニャ、キリエちゃん」
(本当に喋った!)
「そっちの子は?」
「この子は私の親友のメイちゃん。一緒に行ってもいいでしょう?」
「親友」という言葉にメイは喉の奥がかゆくなるような、妙な気恥ずかしさを覚えた。
「ボクが用があるのはキリエちゃんだけだったんだけどニャ……ま、いいニャ。ついてくるニャ」
ちりんと、鈴の音をさせてフェリアは踵を返して資材の奥に歩いていく。キリエとメイは慌てて彼の後を追った。
「凄い……本当に喋ってる」
「ね? 私の言う事に間違いはないんだから」
それまでも、メイにとってキリエはかけがえのない親友であったが、この時の出来事により、彼女の中でキリエは一層大きい存在になっていった。
彼女についていけば、自分一人では行けない場所まで行ける。
見つけられない物を見つけられる。
彼女こそまさに「物語の主人公」なのだ。
だから、私がこの大切な「親友」を守り続けなければならないんだ。
私が彼女を見捨てない限り、きっとこの「主人公」は私をずっと親友だと思い続けてくれるはずだ、と。
彼女の中に育った「友情」は、まるで「崇拝」にも近い気持ちであった。