侵入者
「おかえりなさい、あなた♡ ご飯にする? お風呂にする? それとも、ア・タ・シ?」
「ええ……?」
スケロクはスーツの下に備えていたホルスターから手を放してだらりと下げ、周囲を確認するように小さく首を振ってから、声の主を見た。
「なんなん……?」
「うふ♡」
「帰って」
待ち構えていたのはほんの数時間前まで一緒にいた少女……魔法少女、赤塚マリエであった。
今は例の魔法少女の服装の上に、エプロンを着けている。
「まずな……」
スケロクは辛そうな表情で目頭を押さえる。
言葉を発し始めたものの、しかし何から言い始めたらいいのか。
「まず、どうして入った?」
「スケロクさんに会いたかったから!」
そうじゃない。
そう言う事ではない。どうやってこのセキュリティの高い高層マンションに侵入したのだ。
マリエはカギを見せる。
それと同時にスケロクはポケットの中に手をやり、カギを確認する。ある。盗まれてはいない。
「クローゼットの中の棚に、スペアキーがあったから」
盗まれていた。
「そんな事よりですね! カギを見つけた時に同じ場所に印鑑もあったから、判、押しておきましたよ!」
そう言ってマリエは緑色の紙を見せる。
初めて見る紙だ。少なくともスケロクはこの書類を目にするのは初めてである。
「あのな」
スケロクは彼女からその紙を取り上げてまじまじと眺める。
「婚姻届け?」
間違いなく婚姻届けであった。一番上にそう書いてあるのだからまず間違いあるまい。名前の欄にはマリエの名前と判子、そして微妙に筆跡を変えたスケロクのサインと判子も押してあり、証人の欄には「葛葉芽衣」と「有村桐絵」のサインと押印がしてあった。
「嘘だろ? あいつらサインしたのかよ!!」
「してませんけど」
あまりにもあっさりとした答えにスケロクは振り返って目を見開く。
「私が書いて、判子もその辺で買ったものです」
「いや……え?」
しかし考えてみればそうおかしいことでもない。
なぜならばスケロクの部屋のスペアキーを盗んで勝手に部屋に侵入、婚姻届けに勝手に押印して筆跡を変えてサインしている時点でもう十分無茶だからだ。「一人殺すも二人殺すも同じ」理論である。
「でも、聞くまでもありませんよ。メイ先生もきっと可愛い生徒と幼馴染みの結婚ですから祝福してくれるに決まってますから」
するわけない。
「まあ……こんなもん出したところでまだ十三歳だから受理なんかされるわけないし」
「されましたけど?」
なんだと。
「よく見てください。それカラーコピーです。原本は既に市役所に提出済みです。
晴丘市役所、仕事が適当過ぎる問題。
「くっ、仕方ない。今日はもうゆっくり寝ようと思ったけど朝一で市役所行ってこよう。そんなもん取り消しだ」
婚姻届けの提出は実は二十四時間できる。しかしマリエが初めてこの部屋に入ってカギを盗んだのは恐らく昨晩。という事は市役所は書類を受け取っただけで処理はしてないはずである。
「ダメですよ。私達は結ばれる運命なんですから。そんなことをしたら未来の歴史を変えてしまうことになっちゃいます! 運命の歯車はもう回り始めてるんですから」
「なんなの君? そんなヤバい子だったの!? 助けて誰か! セキュリティなにしてんの!!」
スケロクの言葉にマリエは光彩の消えた瞳でにっこりと微笑む。
「警備員なら、ぐっすり眠ってますから」
スケロクはあまりの恐怖にその場にペタリと座り込んでしまった。
「怖すぎるやん」
純然たる恐怖であった。
ただただ恐ろしかった。
今まで女性が電車で痴漢されただとかセクハラされただとか、そんな話を聞くたびに鼻で笑ってきた。
「本気で嫌なら抵抗なんていくらでも出来る筈だ」と。しかし違うのだ。圧倒的暴力の前では、人はあまりにも無力なのだ。そのことを初めてスケロクは、心で理解したのだった。
明日から、少しだけでも、女性に優しく接しようと思った。
とはいえ、スケロクの知り合いの女など暴力の権化のメイしかいないのだが。
「もうホントすんません。勘弁してください。許してください、怖いんです」
スケロクは土下座した。
マリエは優しく彼の肩をポンと叩き、声をかける。
「何を怖がってるんですか、大丈夫ですよ。この世界の全ての残酷さからスケロクさんを守ってあげますから」
話が通じない。
言葉は通じるが、話は通じない。
「それと、隣の市に住んでる木村啓介さん五十四歳と木村恵子さん五十二歳、それに千葉県に住んでる妹のサクラさんも私が守ってあげますから!」
家族の住所まで割れている。
「やめろ……何が目的だお前」
恐怖に顔を染めながらもスケロクは立ち上がる。
「家族に手を出すな、殺るなら俺を殺れぇ」
そう言いながらスケロクはホルスターから銃を取り出してマリエに向ける。しかしマリエは相変わらず余裕の表情である。
「うふふ、スケロクさん喜びのあまり錯乱してるんですね。カワイイ♡」
「おまっ、アレだぞ! 本当に撃つぞ! 脅しじゃないぞ!!」
スケロクの声は震えているが、しかし一方マリエの方は余裕綽々。どちらが「強者」なのかは一目瞭然である。
マリエは先ほどの朗らかな笑みから一転、底知れぬ恐怖を感じさせる虚ろな目をしてニヤァと口の端を歪める。
「スケロクさんは撃てませんよ。そんなことできる人じゃないって、私知ってますから」
「脅しじゃない! 本当に撃つぞ!!」
そう言って撃鉄を起こそうとして、スケロクは異変に気付いた。
目を見開き、リボルバーのシリンダーを外して中身を見る。
「か……空? なんで?」
「うふふ、これ、なーんだ」
マリエがエプロンのポケットから何かを掴み取り出す。
何か金属が手のひらの中からぽとぽとと落下して床に散らばった。
それは、間違いなく彼の銃から抜き取られた、弾丸であった。そう。確かに「撃てるはずがない」のだ。
「え……いつのまに」
「スケロクさんから盗み取るのは流石に無理だから、チカちゃんが持ってる時に抜き取らせてもらいました。子供があんな危ないオモチャ持ってたら危険ですからね」
パチンとウィンクをするマリエ。
恐ろしい。
何が恐ろしいって、先ほどの戦いはつまり、チカは丸腰でロディに挑んでいたという事なのだ。そしてそれに誰も気づかなかったし、友達をそんな状態にしてこの女は平気だったという事なのだ。
「大丈夫ですよ。私メイ先生とスケロクさんなら必ず何とかしてくれるって思ってましたから♡」
可愛らしく笑って見せるが、しかしスケロクは既に心が折れてしまって、よろよろとふらついて壁に背を預ける。
「さっ、今日は新婚初夜ですよ。さっさとファックしましょう!」
しかしスケロクはポケットから素早くスマホを取り出して電話をかけた。
「もしもしぃ~警察ですかぁ!? 不審者がマンションに侵入!! 助けてぇ!!」
まさかの110番である。
「チッ、警察の犬め!!」
公安の犬である。
マリエは窓ガラスを割って外に逃げていった。